5.


 静かな音を立てて、端末がスリープ状態から戻る。
 ディスプレイに貼られたメンバーの写真を見ながら、ハルは微笑んだ。
 『Egg Shell』計画発動当時からの、植物エリアに関するデータは逐一保存してある。それはなによりも、このエリアのメンバーの仕事に対する熱意の表れであろう。
「おかげで助かった……かな」
 慌てた様子のヒロの様子を思い出し、笑みがこぼれた。
 空のディスクを端末に放り込み、必要と思われるようなデータを片っ端からコピーしてゆく。

「ハル、ねえ、データっていってもどういうのがいいの? 広範囲すぎて頭がこんがらがってきそう」
 同じように端末を立ち上げてディスプレイを覗き込んだまま、メイが困った様子で呟いた。
「そうだね、ショウが欲しいのはエリアに関する全体的なデータだと思うから、年間の植物育成数、酸素放出量、浄化量と、ああ、生産数もいるね。ほかに必要なものがあったら、いずれショウのほうから言ってくるだろう」
 ハルがメイの端末に近づき、身を乗り出すようにして覗き込んだ。メイの座っているイスの背もたれに手を置いて、横顔がぐっと近づく。
 こういうところ、気にしなさすぎというか鈍いのよね。メイが心の中で呟いた。あんまりそんなことしてると、誤解されちゃうんだから。そんな事を思いつつもメイの顔は淡く染まっていた。
 ハルはそういう誰にでも優しすぎるというところが幸いしてか災いしてか、本人の預かり知らぬところでもてすぎ、争奪戦まがいの事が繰り広げられているのだ。
 上は夫持ち、下は物心ついたばかりの幼女、と幅広く。

「メイ、聞いてる? メイ?」
 耳元でハルの声が響く。
「な……ななな、なに? 聞いてるわ、ハル」
 少なからぬ嫉妬心とともに自分の考えに浸っていたメイは、慌ててハルの身体を引き剥がすようにイスごと遠ざかった。
「おかしなメイだね。ええと、さっき言ったデータをディスクに保存して、僕のところに持ってきて。他のメンバーから集めたものと一緒にショウに持って行くから」
 そのまま自分の端末に帰ってしまったハルを見送り、はたと気づいた。肝心のどのデータを集めたらいいかしっかりと聞いていなかったのである。


 このシェルター、『Egg Shell』は上部エリアに居住区や管理部門、下部エリアに生産部門・作業部門が集中している。
 その上部と下部をつなぐ長いエレベーターの中のリアリィとショウ。
 ハルからデータを受け取り、いまはリアリィとともに、教育機関のデータをとりに向かうところである。居住区の中にある教育機関と下部エリアはとても離れているためか、少し長い時間の移動になる。
 ヒロが慌てていた事を考えれば、それでも遅くないでしょうとリアリィは言った。
「まったく、本当に困りものなのよね、ヒロってば」
 腰に手を当てて、怒り心頭といった様子のショウを横目に、リアリィが可笑しそうに肩を震わせる。
「ふふ、あなたたちふたりって、仲が良いのか悪いのかわからないわ。傍目にはじゃれ合ってるようにしか見えないんですもの」
「リアリィってば、変なこと言わないで」
「はいはい」
「もう、リアリィ!」

 怒るショウにそれを柔らかく笑ってからかうリアリィ。なんでもないようなこの風景も、成立するには時間を要した。
 その最大の原因が、それぞれの話す言語である。
 遠い過去の物語に出てくるような、全世界の言葉の統一などは夢のまた夢といった状況だったのだ。計画当初は同じ言語域の集団で固まらざるを得ない状況があった。
 言語学の天才と呼ばれた前教育統括者、ウィルの努力がなければそれはいまも同じだったろう。
 メインとなる言葉はその当時、多くの地域で使われていた英語。能力を認められてEgg Shellに収容されたほとんどの者たちは、その能力故かすでに問題はなかった。だがそれより遙かに多くの、ランダムで選ばれた者たちの中には、英語など触れたこともないという者もたくさんいる。そのため、ウィルはじめ教育エリアのメンバーは、熱心に言語教育にあたった。
 頭の柔らかいうちに、生活上毎日使わざるを得ない状況で、となると、その習得も早いものである。
 ウィルが亡くなったいまでも、その努力と功績故にEgg Shellでは、アキと並んで――もしかしたらそれ以上に――尊敬を集める人物である。彼が若くして突然亡くなった、ということがあったからかもしれない。


「さて、ついたわ。少し待っていてね」
 エレベーターを降り、居住区の一番にぎやかな場所に着く。子どもがいっぱいの、基礎教養の教室だ。
「うん、待ってるね」
 子どもに挨拶しつつ、にこやかに通り過ぎるリアリィを見送って、懐かしい部屋を眺める。ショウ自身も、ここで教育をうけた身なのだ。
「あ、ショウ! 久し振りじゃない、元気にしてた?」
「あれ? ミリじゃない! そうか、教育エリアだったよね。久し振り!」
 横からぽんと肩をたたかれ、振り向くと、昔仲の良かった顔なじみの姿があった。

「今日はどうしたの? 情報管理エリアだったよね。こんなところまで珍しいね」
「うん、ちょっとお仕事。リアリィ待ちなの」
「そっか。大変だね」
「ミリは最近どう? うまくやってる?」
 子どものざわめく声を背景に、久し振りの会話は盛り上がる。話が進むにつれ、ふと、ミリが表情を曇らせて愚痴るように呟いた。
「なんでかな、こうやってショウとかとは気軽に話せるのに」
「え?」
「あのね。ほら、あたしってランダムで選ばれたじゃない? ショウと同じで。それでね、選ばれたヒトたちっていうか、上のヒトたちにあんまりうち解けてもらえないような気がして、困ってるんだよね」
「そうなの? だってリアリィだって選ばれた人じゃないのに、リーダーまでになってるじゃない! ここって、そういうこと良くあるの?」
「ショウは幸せだね。リアリィさんだってね、いろいろあるんだよ。他にいっぱいリーダーになってもいいってヒトはたくさんいたのに、ウィルさんの後任はリアリィさんだったでしょう? だからね、後任指名の裏になにかあったんじゃないか、って選ばれたヒトがいってるの、聞いたことがある。ウィルさんが突然亡くなったときだったから、その混乱もあったんだろうけど」
 あれほどの功績を残したウィルが、突然の病でこの世を去って、ウィルの後には同じように優秀な人を、というのが当然の成り行きだったのだろう。それほどまでに、過去というものは強いのだ。
「えっ……どうして」
 ショウにとって、いま親しくしている友人たちは、主に選ばれた人が多かった。だから、そんな一面を聞くのは、とても意外だった。
「そういうヒトも、いるってこと。ね、困りものだよね。気にしてばっかりじゃ、仕事できないよ」
「うん」
「やだ、ショウ、気にしちゃった? あたしだって、別に嫌いだからそういうこと言ってるんじゃないんだから、ね」
「うん、ありがと」
 あわてたようにミリが付け加えたが、ショウの心は晴れないままだった。

「お待たせ、ショウ。ごめんなさいね。あら、どうしたの? 顔が青いわ」
「なんでもない! ありがとリアリィ! じゃあ、私急ぐから」
 自分の心の内の変化を悟られるのが嫌で、止める言葉も聞かぬまま、ショウは部屋を飛び出した。