14.


 息を呑む音が、広場全体、そしてEgg Shell全体に広がる。静かに告げられたショウのたった一言が、なによりも破壊力を持つ刃となって、惑う卵の中を駆け抜けた。

 ショウはぎゅっときつく目をつぶる。住民たちの驚きが手に取るようにわかるから、これ以上酷な言葉を続けたくはない。ショウ自身も、あの衝撃から立ち直るのにずいぶんの時間を要したというのに、それをわずかの時間で理解しろと住民に要求するほうが無謀だというものだ。
 けれど、いまは本当に時間がない。いつ、Egg Shellが崩壊してもおかしくはないのだ。リアリィがアキを説得してくれるということだったし、彼女を信じてもいたけれど、未来はどう転ぶかまだわからない。いずれ話さなければならないことなら、おそらくいましか時間はないだろう。
 苦しいほどの沈黙が、Egg Shell全体を包んだ。その押しつぶされそうな力にかろうじて耐えながら、ショウは再び口を開く。

「このEgg Shellが外界から遮断されて二年後のことです。本来あるべき定時連絡は、Egg Shellに届けられることはありませんでした。それからいままで、外からの連絡はただのいちども、ありません。……当時の国際事情から鑑みてもおそらく、外の世界の存続はほぼ絶望的だと思われます」
 必死に、言葉を紡ぐ。よけいな感情を入れると、ショウ自身も暴走してしまいそうだったから、あくまでも事実だけを、冷静に告げる。
「もしかしたら、それでも外には生存者がいるかもしれません。連絡が途絶えて十一年です。外の世界は、もしかしたら私たちが暮らしていけるくらいには回復しているかもしれません。でも。おそらく、私たちがしばしの別れを告げてきた世界が失われてしまったのは事実です。帰りたかった場所は、もうない確率のほうがきっと、ずっと多いと思います」
 外を見るのが怖くて、ショウはまだ、外界の確認ができなかった。破壊され尽くした外の世界を見てしまったら、自分の抱いている小さな希望の光すらも、すべて奪われてしまうかもしれない。そんな恐怖心が胸の奥底に燻っているのだ。

「そしていま、このEgg Shellの中にも滅びの風が吹いています。一歩間違えば、希望の卵は孵らないままになるかもしれません。皆さんもきっとご存じだと思います。『Dr.ウインド』という名を持つ人物のことを。彼が最後に望んだことは、この卵の、そして残された希望の崩壊。Egg Shellを解放するという名の下に、滅びをもたらすこと」
 ざわり、と声が起こった。『Dr.ウインド』とは、禁忌の名前。すべての元凶であるということは周知の事実だ。彼から逃げるためにここに連れてこられたといっても過言ではないのに、まさかここにまで彼の力が及んでいるなどと、誰が想像できただろうか。
 それと同時に、いきなり起こった『解放運動』への疑惑が生まれる。少女の言うことが本当ならば、いま広場で起こっている混乱は、それに繋がるものなのではないだろうか。
 アレンたち、『解放』を求めて立ち上がった者に、疑いのまなざしが向けられる。
「俺たちは、だまされたのか……? いや、そんなはずは」
「どうなってるんだ、いったい」
 ざわめきは、とどまることなく広がり続ける。

「俺たちは、だまされたんじゃ、ないっ」
 言葉をどう続けようかと考えあぐねていたショウは、突然両腕を鷲掴みにされる痛みで我に返った。ぎりぎりと締めつけられる腕が、悲鳴を上げている。
 ショウの前には、血走った目を見開いたアレンの姿。
「俺たちは、誰にも惑わされたりなんかしていない! でたらめだ、全部、全部でたらめだ! 俺たちの故郷は昔と変わらずにあるし、俺たちを待ってくれている人もいる。もうないなんて、絶対に嘘だ!」
 絶対に帰れると思ったからこそ、危険を冒してでも立ち上がった。それがアレンに自信を与えていた。けれど、少女の言葉を聞いていると、それが本当は、あやふやなものでしかないことを指摘されているようだった。
 この広場が外に繋がる扉だと、そう告げたのは情報管理エリアで管理者の側近を名乗るものだった。疑うアレンたちに、内部事情を詳しく教え、彼らの信用を勝ち取ったその人物は、自信たっぷりにその言葉を告げたのだ。
 それとも、それすらもたくらみのうちだったのだろうか。確かにいま考えてみると、かの人物は姿をこちらに見せることなく、すべて声だけ、もしくは文字だけのやりとりだった。
 だいたい、管理者の側近などと怪しい肩書きで、名を明らかにすらしなかったのに、なぜ自分たちはああもやすやすと信用してしまったのだろう。
 なんとも簡単にだまされたことだ、と今頃笑っているのだろうか。

 それを思うと、アレンは腸が煮えくりかえるような激しい怒りを覚えた。
 それと同時に、少女の言葉を嘘だと信じることで、自分たちの行動は正しかったのだ、と、そう思いこもうとした。
 そうして気がつけば、目の前に立つ少女に、力任せに掴みかかっていたのだ。
 力一杯ショウの腕を握る手が、徐々に上へと上ってゆく。肩をすぎ、それはショウの細い首へとたどり着いた。
「な、にをす……」
 言いかけたショウの喉がひゅうっと鳴る。
 通信機はその音をも拾い出し、Egg Shellのすみずみまでそれを知らせた。
 少女になにが起こったかを悟った幾人かは、押さえた口許からか細い悲鳴を漏らした。


 息ができない。めまいがするほどの頭痛がショウを襲った。目の前の男は、すでに恐慌をきたしたような表情で、もはや正気ではない。崩れ落ちそうになる意識をショウは必死で支えながら、なんとか男の手から逃れようと、もがき続けた。
 じっと、アレンの理性を失った瞳を見つめる。
 こんな場所で、意識を失ってなどいられない。絶対に戻ってくると、情報管理のメンバーと約束したのだから。
 ここに来る直前、視線を交わし合った仲間たちの顔を思い出す。

 ――みんなで、しあわせになる。
 絶望も悲しみもなにもかも乗り越えて、絶対に私たちはしあわせになる。
 自惚れでもいい、それでも私は、みんなをしあわせにする責任がある。だからこそ、こんなところで倒れるなんて絶対にあってはいけないことなんだ。

 アレンの力は強すぎて、ショウがどんなにもがこうと、その拘束はゆるまない。喉から漏れるのはただ空気の音だけ、意味をなす言葉はもう、紡げない。
 けれど見開いた瞳だけは、負けずにアレンを見つめ返した。
 絶対に倒れない、という強い意志を表すショウの瞳の光は、アレンの狂気を含んだ瞳を静かに見据える。

 静かな戦いは、アレンのくずおれる音で終わりを告げた。うなだれるアレンのほうからは、くぐもった嗚咽が漏れはじめた。
 激しく咳き込んで、けいれんを起こしたかのような喉をさすりながら立ち上がったショウが、アレンを見下ろした。彼もまた、失ってしまっただろうものの大きさに、惑わされてしまった人なのだ。
 消えてしまったアキのように。
 迷いを断ち切るようにアレンから視線をはずす。
 なりゆきを息を呑んで見つめていた広場の住民たちのほうへと顔を向けた。

「失ったものはもう、にどとこの手には戻りません。でも、いまこの手に抱いている大切なものは、これから守ることができます。それを知っていたからこそ、Egg Shellの計画者たちは私たちをここに連れてきたんだと思います。確かに、私たちの置いてきたものはもう、失われてしまったのかもしれません。待ってくれる人は、いないかもしれません。でも、でも。だからこそ、私たちは生きることをあきらめてはいけないんです」
 静かに、けれども意志を持つ声は力強く、人々の胸に響く。過去からの願いが少女に乗り移っているかのような錯覚を、多くの人は覚えた。
 か弱く頼りない印象ばかりの少女の声は、弱さを知る故に心強く胸に響く。
「私はまだ、管理者として未熟です。やむを得ない事情で表舞台にたてなくなったアキの、代わりにしかすぎないのかもしれません。多くの皆さんと同じ、無作為に連れてこられた存在でしかないんです。それでも、私は少なくとも、アキの代わりにEgg Shellの、皆さんの未来を背負える覚悟があります。皆さんとともに、未来への道を創る思いがあります」

 ショウの言葉に、皆がのまれていく。必死に訴える少女の姿、そして声が、人の心を惹きつける。
 泣き出してしまいそうになりながら、それでも必死にそれに耐え、ショウは大きく息を吸い込んだ。自分ばかりがその気になっていても、成功などするはずがないのだ。共に歩むことこそが、きっと一番大切なことだろうから。
「だから、どうか皆さんの力を貸してください。どうか風に負けないで、明るい未来へ進む道を創っていきましょう。立ち止まらなければ絶対に、未来は開けるんです。私たちのこれからも、地球のこれからも。私たちをここに眠らせた人たちの思いを、無駄になんかできません」
 なにを願ってこの卵が創られたのか。それは時の流れの彼方に消え去って、本当のところはもう知ることはできない。けれどショウには、なぜだかそれが、わかるような気がした。
 はじまりの存在となること、かえるべき場所を創ること。
「私たちが故郷を創るんです。新しい、この惑星の。すべてのいのちが等しくしあわせを享けられるような、そんな世界を。理想なのかもしれません。でも、願っていれば、そして力の限り目指し続ければ、不可能はいつか不可能ではなくなります」

 こわばっていたショウの顔は、いつしか力強い笑顔へと変わった。夢を語る少女の表情と声が、希望の卵の中を駆けめぐる。
「あきらめなければ、きっといつか。だから、皆さんの力を貸してください。皆さんが必要なんです。誰もが『ここにいてほしい人』なんですから」