13.


 ショウは管理エリアを抜けて、Egg Shellの中心、記念碑広場を目指した。広場へ向かうと思えば思うほど、緊張からか、ショウの心臓の動きは速さを増していく。立ち止まってしまいたくなる。
 それでも、Egg Shellのこれからを、そして自分や大切な人たちの未来を思うと、ここでは引き返せない。勇気を振り絞って、前へと進んだ。

 広場へ向かう道の先々で、住民たちが混乱から立ち直り始めている。管理エリアからの指示を受けて、戸惑いはありつつもみんな助け合い、自分の居場所を守ろうとしていた。
 あちこちでそんな光景を見にしたショウは、思わず目頭が熱くなるのを感じ、こぼれそうになる涙を抑えた。
 いま助け合っている人たちは、普段はかかわりあうことのほとんどない人たちだ。でも、いまはそうではなかった。担当するエリアも、役職も違う。特別の力を持つ人も、そうでない人もいた。彼らはみんな、いまはそんなことなどお構いなしに、傷ついた人を手当てし、休ませ、壊れたものが人に害を与えないように協力して解体したり、移動させたりしている。
 混乱の生み出したこの光景は、Egg Shellが本当に目指していたものだ。歪みが生まれなければ、こうなっていたはずの卵の姿なのだ。それが、皮肉にもこんな状況になってはじめて形になろうとしている。
 もちろん、これは永遠に続くものではないだろう。普通の日々が帰ってくれば、一時的な協力は忘れ去られてしまう。混沌へと還ってしまう。

 それをさせないようにするのは、きっと自分たちの仕事だ。ショウはそう感じていた。この場所を、住民たちを守りたい。なんとしてでも立ち直ろうとするみんなの、力になりたい、と。ここは、ショウにとっても大切な、そう、故郷にも似た場所なのだから。
 ここで暮らした日々が、いまのショウを形作った。だからいまでは、ここがショウの居場所なのだ。大切な家族のもとへ帰りたいという気持ちは忘れてはいない。もしかしたら、もういちど両親に会えるかもしれないと、心のどこかで思ってもいる。
 でもそれと同時に、いまはこの場所が自分のすべてなのだと思う気持ちもあった。まるで卵をあたためる親鳥のように、Egg Shellを抱きしめていたい。

 人で溢れ返りつつも、混乱の影は居住区から消えつつあった。その中をショウは、ただひたすらに走った。


 記念碑が立つ広場には、重苦しい空気がたちこめていた。彼ら――解放を求めてこの広場に立てこもったものたちの前に立ちはだかるのは、外界とこのEgg Shellとを遮る分厚い壁。そこは大きくえぐれていた。各所から持ち出したものや、協力者から与えられた材料で、彼らがなんとか作り出した即席の火薬の影響だった。
 しかし一向に光は見えてこない。えぐれた先には相変わらず、硬いコンクリートが続いていた。しかもその周囲には、亀裂すら入っていない。ただ爆破をした場所だけ、軽く削れたようなものだった。
「なぜ、出られないんだ! ここが外に一番近い場所じゃなかったのか!」
 耐えかねたように、壁の前のひとりが叫んだ。ところどころに小さな明かりしかない、暗い広場の中にざわめきが広がっていく。
 その叫びは、誰もが胸のうちに抱えながら、言い出せなかった心だった。口に出してしまえばその疑問は、抑えることができなくなってしまうとわかっていたから、言いたくても言えない言葉だった。

 ざわめきが徐々に大きくなる。
 本当に、こんなことをして外に出られるのだろうか。それよりは思い切って投降して、他の仲間たちのところへ行ったほうがいいのではないだろうか。熱に浮かされたような状態から少し落ち着くと、恐れは波のように押し寄せた。
「俺たちに外を見せてくれるんじゃなかったのか! 外に出られるんじゃなかったのか!」
 広場に居合わせてしまったことで、この活動に加わることになったうちのひとりが、首謀者たちにくってかかった。混乱を起こしたことは自分たちにも責任の一端があるというのに、それはあまりに自分勝手な言いぐさだったが、いまの彼らにはそこまでの余裕はなかった。半ば恐慌をきたしたような表情で詰め寄っていく。
 それをきっかけに、同じように我慢できなくなった者たちが立ち上がった。皆一様に、疲れ切った顔に憤りを秘めている。
 いつ乱闘になってもおかしくない、張りつめた雰囲気がその場を支配する。

「誰だ!」
 そのとき、ひとつの光が闇の中を横切った。それは、広場と外とをつなぐ入り口からのものだった。
 しかし、広場の外からは、誰もここへ来ることを許してはいない。目的がたち成されるまでは、どこからも邪魔をされたくなかった。強行突破されないようにと置いていたはずの入り口の警備は、いったいどうしたのだろう。
 広場中の視線が、光の先に向けられる。
 沈黙、ついでざわめき。

 光を背にして立っていたのは、たったひとり。小柄な少女だった。


 ショウは暗闇に包まれる記念碑広場を、ぐるりと見渡した。ほとんどの者が、疲れと恐怖とがない交ぜになった、複雑な表情であちこちに座り込んでいる。
 彼らを囲む広場の壁が大きくえぐれている。それに気づいたショウは、わずかに顔をしかめた。爆発の原因は、おそらくこれだろう。
 広場中の視線がショウに集まる。心臓がはね上がりそうな緊張を、空気と一緒に呑み込んで、彼女は足を一歩闇の中へ踏み出した。一歩、また一歩。
 広場の中で、一番人が集まっている場所へと、ショウは進む。そこに彼らの行動の中心があるとショウは思ったのだ。
 真剣な表情で進むショウの歩みを妨げる者はいない。小さい、ほんの少女のはずのショウの雰囲気に、皆が気圧されていた。

「あなた方、ですね。この騒ぎを起こしたのは」
 広場の中心、願いを込めておかれた記念碑に近い場所。そこに、彼らはいた。呆然と、ただショウを見つめる彼らに向かって、ショウは確認するように問いを投げかける。
 彼らそれぞれの手に握られた、金属棒や掘削機を目の端にとどめ、それがいつ自分に向けられるかもしれないという恐れの中、ショウは自分を奮い立たせるように前を見据えた。
 視線を向けられた男たちは、ショウのあまりの視線の強さに息を呑む。
「私はショウ。Egg Shell管理者です。皆さんとEgg Shellのこれからについてお話しするために、ここへ来ました」
 静かだが、力強い声が広場に、そしてショウの襟元に仕込まれていた通信機を通じて、Egg Shellのすみずみまで響き渡った。


 Egg Shellの住民たちの動きが一瞬止まる。突然のこの放送は、広場にいる者以外にとっても驚きだった。皆、どこからこの声が聞こえてくるのかいぶかしみ、辺りを見回している。
 それ以外にも驚きはあった。
「管理者、ってアキだろう? まさか、なにかあったのか?」
「ショウって誰?」
「もしかして……あの、アキのそばにいた、なんか頼りなさそうな子?」
 ショウの一言が、Egg Shellに謎をばらまいていく。戻れない未来へと、知らぬ間に進んでいる。
 なんの告知もない突然の出来事で、Egg Shellはざわめきに包まれた。
 情報管理エリアのメンバーたちのように、ショウの思惑を悟った数少ない者は、このたくらみの成功を、誰にともなく祈る。これがおそらく、Egg Shellを動かす唯一の機会なのだ。いまを逃せばきっと、人に未来はない。

「俺が、一応の代表だ。アレンという。俺たちの望みは、外へ、俺たちの家族のところへ帰ることだ。上はようやくその気になったのか? 俺たちの願いを叶えてくれるのか? それとも、俺たちを拘束しに来たのか? 俺たちは屈しない。もう、未来が見えないまま、ここに居続けるのはいやなんだ!」
 ショウに見つめられた者のひとりが、あふれる感情をようやく抑えた顔をして、前へ進み出た。
「それに、なぜ君は管理者を名乗る? ここの管理者は、アキだろう。なぜ彼が出てこない。君は身代わりか? いったいどういうことなんだ」
 アレンの憔悴しきった顔には、焦りととまどいが浮かんでいる。ショウはそんな彼のすべてを受け止めるように見つめると、静かに口を開いた。
「アキは……前管理者は、私にすべてを任せたあと、姿を消しました。だから、いまは私が、Egg Shellの管理者です。そして私は、アキのことやEgg Shellと、外の、地球の現実を、いまどうなっているのかをお話しするためにここへ来ました」
 アキが姿を消した。その言葉はため息と、少しの驚きで迎えられた。管理者がいないというあの噂は、やはり本当だったのだ、と多くの者が思ったのだ。
「では、噂は本当で、俺たちは外に出られるのか? もう外は、俺たちが帰ってもいいくらいに静かに、なったんだよな?」
 祈るような、アレンの言葉。すがりつくような、みんなの視線がショウに向けられる。
 どうか、どうか、祈ったとおりであるようにと、Egg Shellのほとんどの住民が息を詰めて次の言葉を待った。
 痛いほどに、みんなの気持ちが伝わってくる。それでもショウは、首を縦に振ることができなかった。辛いけれどこれは、受け止めなければならない真実なのだ。

「いいえ……いいえ。外はもう、私たちの帰りたい場所では、ありません。もう十一年も前に、外界との連絡は途絶えています」
 きつく目を閉じて、のどの奥から絞り出されるようなその声は、かすかに震えていた。みんながどう受け止めてくれるか、それがショウにとって、いま一番の恐怖だった。