12.


 声をあげたのは、ショウの隣に控えていたユリアだった。常ならぬ彼女の叫びにあたりがしんと静まる。
 思わぬほどに注目されてしまったせいで、一瞬口をつぐんだユリアだったが、決心したように顔をあげると同じ言葉を繰り返した。
 周りに集まっていたほかのメンバーの視線もショウに集まる。その目は、ユリアの語った言葉と同じ意味の光をたたえていた。
 なにも、こんなときに、好きこのんで危険の中に飛び込むなんて。
 まして、彼女はEgg Shellの実質的な管理者だ。ショウになにかあれば、未来は簡単に揺らいでしまう。
「ショウ、あなたはいま、無くてはならない人なんです。あなたを黙って危険の中に送り込んで、その結果あなたが帰ってこなかったら、私たちはどうしたらいいんですか?」
 いつもは冷静なユリアの声が震えている。
 ショウはそれを見て、なんだかとてつもなく悪いことをしているような気分になったが、自分の主張を曲げようとはしなかった。

「皆さん、勝手なことを言ってしまってごめんなさい。でも、これは私がやらなければならないことなんです。アキがいなくなって、ここを守る責任者が私になったいま、私にしかできないことなんです」
 できるだけ心を落ち着けて、できるだけしっかりと前を見据えて、所々緊張に声を詰まらせながらも、ショウは自分の考えを口にした。
「いまも、外に出たい、帰りたい、という叫び声が聞こえます。記念碑広場にいる人たちだけじゃありません。このEgg Shell全体から聞こえるんです。私には、その叫びを無視することなんてできません。もう、この卵は限界なんです。私たちは、新たな道を見つけなくてはいけません」
 あなたまでそんなことを言い出すなんて、と言いかけたメンバーを、ショウは手の動きで止める。未だ続きがあるのだと視線で語った。
「何度も皆さんの意見として上がってきているように、力に自信のある人たちを集めて、広場を制圧してしまったほうがよっぽど簡単です。でも、私はそんな方法をとりたくないんです」
 何度も何度もその選択肢は、ショウに決断を迫った。しかし、彼女はかたくななまでにその選択を拒否しつづけてきたのだ。力は、いま使うべき選択肢ではない、と。
「解放を求める言葉の中に、帰りたいという叫びの中に、私は、別の声も聞こえるんです。もっと切実な、深い叫びが」
 その先を口にしかけて、ショウは言いよどんだ。彼らの前でこの言葉を口にしていいものなのか。自分も幾度となく悩んできた、深い深い溝について。
 しかし、悩みはしたものの、ショウは結局心を固めた。ここでためらっていては、なにもはじまらない。
「私は、ここに来る前、皆さんに相手にもされないような場所にいました。ここに来てからしばらくだって、同じです。広場にいる人たちのほとんどが、昔の私と同じ立場なんです。力を認められたわけでもなく、いるべき場所すら確信が持てなくて、さまよいつづけている人たちなんです」
 ショウが言い終わるとともに、少なからぬざわめきが部屋を満たした。ショウに対しての昔の自分たちの反応は、恥じ入るべきものではあった。しかし、優秀だといわれる彼らではあったが、その場所は、多くの人たちが思っているような、簡単に手に入ったものでは決してないのだ。
 他の人と同じように、場合によってはそれ以上に、費やされてきた努力の結果なのだ。その努力が単に、目に見えないだけなのだ。うらやむばかりの人々に言われる筋合いはない、と、大声ではなかったものの、それぞれがそれぞれの言葉で反論する。
 収拾がつかなくなりかけた場は、ショウの静かなまなざしで、徐々に、波が引くようにおさまっていく。
 なんと言ったらわかってもらえるのだろう、考えた末に、ショウは再び口を開いた。

「皆さんとここにいるいまは、私もその気持ちがわかります。でも、多くの人たちにとっては、それは見えないものなんです。卵はあまりに大きくなりすぎて、上を見ても下を見てもきりがないから。でも、それじゃだめなんです」
 目の前の状況に精一杯になりすぎて、それぞれてんでばらばらの方向へ、皆が走り出している。でも、それでは、卵は孵る前に崩壊してしまう。
「卵が孵るときには、皆ゼロです。このままこの地球で暮らすにせよ、切り札を使って脱出するにせよ、外はもうきっと、私たちの想像していた世界ではないでしょうから。そんなとき、皆さんの心に少しでもわだかまりがあったらどうします? それがそのままになってしまったとしたら?」
 仮にこのまま、しこりを残してひとつの結末を迎えたとしたら、そのしこりは成長しつづけ、再び悪夢を呼び起こすだろう。
 消えない確執は嵐を呼び、今度こそこの星を滅ぼしてしまうかもしれない。
 そんなことになってしまったら、すべての親たちは、どんなに悲しむことだろう。
「私たちは過ちを繰り返さないためにここにいるんです」
 過去の暗い歴史が教える過ち。それは、ほんの些細なことからはじまっていた。今度こそ、そんな間違いを犯してはいけないのだ。
 昔資料管理室で目にした資料の数々が、ショウの言葉に自信を与えている。まさか、こんなときにあの日々が役に立つなんて、思いもしないことだった。
「だから、管理者である私が行かなくちゃいけないんです。信じてもらえる方法は、わかってもらえる方法は、きっとそれしかないでしょうから。お願いします。行かせてください」
 あまりに頼りなく、震える声だった。それでも、ショウの声はこの部屋の誰よりも強く、メンバーの心に響く。
 うまくできすぎて、不可能に近い理想だとわかっていても、それは魅力的すぎる言葉だった。
 そして、それを考えたショウの並々ならぬ決意に、ユリアですらももう、なにも言うことはできなかった。
 夢を形にする。人が気の遠くなるほどの時間をかけても実現できなかった理想を、彼女がいるなら、自分たちが叶えられそうだった。


 すっかり準備を整えて、最後に小型の通信機を襟元に仕込んだショウは、皆の姿を見回した。
「わがままを言ってごめんなさい。何回も言いますけれど、絶対帰ってきます。こんなところじゃ、あきらめられません。それでも、もし、もし万が一、私になにかあったとしたら、ガーシュ、ユリア、皆さん、あとのことをよろしくお願いします。切り札の実行やEgg Shellのその後、すべて皆さんにお任せします」
 それから、と続けようとしたショウを、ガーシュやユリア、見送るメンバーのすべてが視線で止める。
「あなたが必ず帰ってくると言うから、私たちは納得したんです。あんな大演説をしたんですから、それはあなたが責任を持たなければ。そうでなければ、あんなことは言うべきじゃない。……本当に、困った人だ。ショウ。帰りを、待っています」
 泣き笑いの表情をしたガーシュが、メンバーの気持ちを代弁したかのように口を開く。その横でユリアは、すでにあふれる涙をおさえられないでいた。
「……はい。皆さん、本当にありがとう。行ってきます」
 広場の者たちが警戒してはいけないから、と護衛すらも断り、本当に身ひとつで乗り込むつもりのショウは、メンバーひとりひとりの顔を目に焼き付けると、いまではもう、本当にかけがえのない場所になった情報管理エリアをあとにした。

「さあ、ショウがいない間、私たちもやることは山ほどある」
 ぱん、と大きな手を打ち合わせて、気分を入れ替えるようにガーシュが声をあげた。しばし立ちすくんでいたメンバーたちは、その音ではっと我にかえる。のんびりとは、していられないのだ。
 それぞれがそれぞれの役目を果たすために、再びいるべき場所に帰っていく。
「ユリア、そろそろ泣き止まないと。君らしくないぞ」
 ただひとりだけ、いまだに涙を止められないでいたユリアを、困ったようにガーシュが見つめた。いつでも冷静で、感情の波など見せなかった彼女が、どうもこのごろ違う。それが気になって仕方がない。
「ごめんなさい、ガーシュ。そうね、ショウの努力を、無駄にはできないもの」
 そうは言ったものの、ユリアの気持ちはすぐに落ち着かないようで、濡れたまぶたがしきりに瞬いていた。
「おかしいわね、馬鹿みたい。いつの間に成長したあの子を見ていると、まるで妹か娘が大きくなってしまったみたいで寂しいのよ。離れていってしまうみたい」
 濡れた瞳に苦笑の色が混じる。まったく知らなかった、取るに足らない存在でしかなかったショウが、気が付くと、そこにいなければならない存在になっていた。それがいま、自分たちだけの存在ではなくなろうとしている。わかってはいても、誇らしい気持ちはあっても、どうしようもなく寂しい。
「……それは私たち、皆が考えていることだよ」
 複雑な表情のガーシュもまた、言葉に驚いて顔を上げたユリアと、同じ気持ちを抱いていた。
 寂しげな表情を浮かべたガーシュは、彼女を慰めるように軽く肩を叩く。それにつられたように、ユリアがかすかに笑った。