11.


 長身のヒロの姿が、人混みの中に消えていく。ショウはそれを、ただじっと見送っていた。片手を挙げた格好が彼らしいと思いながら、先ほどまで緊張でこわばっていた顔をゆっくり和らげた。ほっと息をつく。
「ショウ、見ていましたよ。よく言えましたね」
 と、彼女の背後から声がした。ショウが慌てて振り向くと、そこにはかすかに微笑みをたたえたユリアの姿があった。
「もう、黙ってみているなんて人が悪いです。でも、ありがとう。ユリアのおかげで私、ちゃんとヒロに言えたもの」
 ほんの少しすねた顔をして、このところ急に柔らかい雰囲気が感じられるようになったユリアを、ショウは見つめた。
 ユリアがどんな人物であったか、こうして管理者の役を肩代わりするまでショウは知らなかった。同じ情報管理エリア内とはいえ、中心部で幾人ものメンバーを率いて働くユリアと、ただひとり、エリアの辺境にいたショウとでは、あまりに立場が違いすぎたからだ。ショウが補佐の役につき、渦の中に放り込まれてからしばらくも、それが変わることはなかった。
 こんなに言葉を交わすようになったのは、本当にごく最近になってからだ。それなのに、まるで昔から顔なじみだったかのような思いを、ショウは抱いていた。必死にならなければいけない状況がそうさせるのか、いま本音を隠すことなど皆ほとんど忘れていることもあるのだろう。本音をぶつけることで、見えてくるものもある。
 もしもこんな状況でなかったなら、いまでも眠る情報の守人として過ごしていたなら、こんなことも知ることはなかったし、こんなに人に囲まれることもなかったのだと思うと、ショウはいま、自分の置かれている状況に奇妙な感慨を抱かずにはいられなかった。

 同じようなことを、ユリアもまた感じていた。ともすればプレッシャーで押しつぶされそうになっているこの少女は、彼女にとって、つい最近まで見知らぬ存在だった。知るようになってしばらくしてからも、たいしたことのない人間だと思っていた。
 それはこのエリアのメンバー、ほとんどが同じだっただろう。いまでこそ、ショウを守り助ける補佐のような立場であり、少女に付き従うあのガーシュだって、はじめは少女を認めていなかった。むしろ、彼女を追い落とす急先鋒だったのだ。
 それがいまではどうだろう。彼女とともに、自分たちはここにいる。頼りなさの奥に潜むショウの強さが、自分たちを惹きつけて放さないのだ。
 そう、それはまるで、アキへの思いと似ていた。
 けれど、とユリアはこうも思う。
 アキとショウはやはり決定的なところで違うのだ。
 アキに対するとき、メンバーは彼の歩むあとを導かれるように進んでいくことがほとんどだった。申し分のない指導者であるところのアキに、ついて行くだけで事足りた。
 ショウに対するときはそうはいかない。なにしろ、彼女には経験がない。いつも頼りなさげに時々後ろを振り返り、おっかなびっくり歩みを進める。危なっかしいことこの上ない。だが、そうである故に、自分たちはショウを助けつつ共に歩むことができる。
 歩みは遅いけれど、その分ゆっくりと確実に、道を進めることができる。はるかに、遠くまで。

 ショウは、アキ以上の存在になる。ユリアはそんな思いを抱いていた。彼女ならきっと、この卵を飛び出して、空を翔けてゆける。暁をこえて、青空広がる時間へと羽ばたいていける。
「ユリア? ぼうっとしてどうしたんですか?」
 気がつくと、ユリアの目の前にショウの顔があった。いつの間に、思考の海に沈みかけてしまったような彼女を、ショウが首をかしげてのぞき込んでいる。
「いえ、なんでもありません。それよりショウ。各エリアに散らばっていたメンバーたちが、幾人か戻ってきています。これからのためにも、彼らの話を聞きましょう」
「あ……そうですね。ええと、じゃあユリア、ガーシュたち、主だって動いている責任者も集めてください。そう何度も話し合いに時間を割くわけにもいきませんし、せっかくですから現状把握をしましょう」
 考え込みつつ指示を出すショウを見たユリアは、意味ありげな微笑みを浮かべてみせる。
「そうおっしゃると思いましたので、実はもう、皆を集めています。あとはあなただけですよ、ショウ」
「ずいぶんと手回しがいいんですね。ありがとうございます」
 当然のことです、あなたをお手伝いするのがいまの私の仕事ですからね、というユリアに驚きつつ、ショウは彼女の指し示す方向へと向かった。


 ユリアの言葉通り、そこにはもう、必要とするメンバーがすべてそろっていた。
 ショウが位置に着いたのを合図に、メンバーの報告がはじまる。
「現在稼働中、つまり電力供給が再開している区域ですが、このエリア、居住区およびメディカル・センターのみとなっています。また、解放を叫ぶ者たちが立てこもる記念碑広場は、爆発の影響で配線に異常が生じたらしく、闇に閉ざされています」
「記念碑広場ではそのため、首謀者グループおよびその考えに賛同してしまった住民の他には、入るものはいません。また、厳重な警戒のもとにあるため、潜り込むことはほぼ不可能に近いと思われます」
 まずはじめに、混乱のひとつである記念碑広場のことが話に上った。いまなおこちら側の言葉に耳を貸すことなく、彼らはただ外だけを見つめている。人質を取るなどという卑怯な手に出ていないことだけは救いがあったが、闇の底に沈む危険を考えれば、一刻も早く手を打ちたいところだった。
「闇の中の混乱でけがをした住人が多いため、処置を担当しているメディカル・センターはパンク寸前です。比較的軽傷が多いものの、中には重傷者もあります。ご存じかと思いますが、手の空いたほかエリアのメンバーと空き部屋を使って対処しています。しかしいまなお先は見えていません。また、下層の作業エリアに取り残されてしまったなど、所在不明の住人の確認を急いでいます」
 報告は続く。自分が手をこまねいてみているうちに、どんどん被害が広がっていくような気がして、ショウは頭を抱えたくなった。なんとかしなければという焦りが、それに拍車をかける。
 次々にメンバーの口から発せられる混乱の爪痕は、ピークを過ぎたもののなおも卵の命を削っているように思われた。
「……以上です、ショウ」
 最後に全体把握を述べて、ガーシュが確認をするようにショウの名を呼んだ。
 内心の混乱を気取られぬよう、苦心して平静を装いながら、ショウは言葉を発した。
「皆さん、お疲れのところ本当にご苦労さまです。まだ気は抜けませんけれど、先を信じてなんとか頑張りましょう。けがをした住人の方々は、適切な治療を受けられるように配慮をお願いします。また、各エリアリーダーにメンバーの確認を再びお願いしてください。誰かひとりでも見あたらない場合は、すぐに報告を」
 報告に基づいて、ショウは質問や相談を挟みながら解決方法を探していく。現状をひとつずつ打開していくしか、いまは方法がないのだ。
「それから、記念碑広場の他の、もうひとつの種ですけれど、実はいま、アキたちの説得をお願いしている人がいます。もし成功したら、切り札の使用が可能になります。外に出られるかどうかは現時点では判断が付きませんが、ひとつの手として皆さんも考えておいてください」
 大地へ降り立つのか、それとも星の海へと旅立つのか。先は見えないけれど、それは希望のひとつだった。
「ではショウ。切り札で記念碑広場の者たちを説得するということなのですか? しかしそれでは、あまりに不確定要素が多すぎます」
 アキを説得できるかどうかもわからないし、また外に出たところで立てこもる者たちの望みが叶えられるとは限らない。こちら側の要求は、拒否されてもおかしくないのだ。
 メンバーの言葉に、ショウはゆっくりと首を振った。この卵の外を目指して立てこもる人々に、そんなものが効果があるとは思えない。ショウには、ずっと考えていたことがあった。何度提案しても、危険すぎると拒否されてきたことだったけれど。
「いいえ、彼らを説得するのに切り札は使いません。切り札はあくまで、Egg Shellの住民みんなが幸せになるために使うものです。彼らは、私が説得したいと思っています」
 あまりにもさらりといわれたことに、その場にいたメンバー全員がはじめは気づかなかった。しかし、一瞬の後、発せられた言葉の意味に思い至り、目を見開く。
「無茶だと、何度いったらわかるんです、ショウ!」
 一際大きい声が、あたりに響いた。