10.
「ごめんね、ショウ。泣く、つもりなんかじゃ、なかったのに」
そう言いつつも、いまだにメイは泣きやまない。メイ自身も、涙の止めほうがわからないのだ。心の奥底から、不安や恐怖が押し寄せてきてどうにもならない。
しゃくり上げるメイを、ショウは困ったような表情で宥めるしかなかった。こんなにも感情をあらわにする彼女の姿ははじめてで、どうしてやればいいのか見当もつかない。ただ、「大丈夫だから」と声をかけることしかできない。
管理者代理としても、ひとりの友人としても、なにもできない自分が情けなくなってくる。捨てたはずの、昔の暗い気持ちがよみがえる。なんて無力なのだろう。
おぼつかない手つきでメイを慰めるうちに、なぜだかショウは、自分まで泣き出したくなってしまった。
ようやく落ち着きかけたメイが、それに気づいて、慌てたように身を離す。
「ごめん、ごめんね。困らせるつもりじゃなかったの。やだ、泣かないでよ」
「ごめん……。私、もっとしっかりしなきゃね。みんなが泣かないですむように、がんばらなきゃ」
管理エリアのメンバーといるときには、決して表にしない、それはショウの中の年相応の心だった。奥に閉じこめて、絶対に出さないようにしていた本音なのだ。
皆の前では泣けない。泣いたら、自分を頼りにしているメンバーたちが途方に暮れてしまう。
抑えていた気持ちが、友人たちに接したことで少し自由になりすぎてしまった。必死で、押し寄せてくる涙をこらえながら、ショウは「泣いてはいけない」と、自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
泣くべきときは、気持ちを解放させるべきときはいまではない。
「大丈夫だよ、ショウなら」
「……ありがとう」
ふたりの少女が笑みを交わす。心はようやく落ち着き、流された涙は乾きつつあった。
「私、ここにいても力になれないみたい。ごめんね。なにか私にもできること、ないかな?」
ハルたちについて、メイが知っていることはもうない。ここにいたところで、エリア外のメイは足手まといになりこそすれ、役に立つことなどひとつもない。
気分を入れ替えるために伸びをすると、メイは努めて明るい声でそう言った。
「あ、そうね。とりあえず、メイのエリアのメンバーと連絡を取って……。フィル! 植物エリアのメンバーはどこ?」
「はい、リーダー。環境調整・植物エリアの皆さんには、居住区第十二エリアにおいて、負傷者の救護をお願いしてもらっています」
声を投げかけられた管理エリアのメンバーが、遠くから声を返す。
「だ、そうよ、メイ。悪いけれど、そこまで行ってもらえるかしら?」
「もちろんよ。教えてくれてありがとう、ショウ」
いまは他のことに集中したことが良さそうだもの、と笑ったのち、メイはきびすを返した。
「大丈夫かしら、メイ……」
走り去るメイの姿を、ショウは不安の残るまなざしで見つめていた。
それは、そばにいたヒロにとっては、そうやって呟くショウこそ、心を砕く対象である。影を潜めていた不安定さが、ほんの少しだけ彼女に現れているような気がする。
しかし、口論をしたこともあってか、ヒロはそれを素直に口に出すことができなかった。
「ショウ、ちょっといいか」
「あ、ヒロ。どうしたの?」
そんな内心をまったく知らないショウは、いつものように振り向いた。どことなくぎこちないのはヒロと同じ理由だからだろうか。
「メイに聞いたとは思うが、ハルがリアリィをつれてアキたちのところへ向かってる。リアリィはアキたちを説得するため、ハルは、やるべきことがあるとかなんとか」
あのときの、ハルの決意に満ちた表情を思い出しつつヒロは語った。
「そう。じゃあ、ハルはEgg Shell解放計画を阻止しようとしてくれていたのね、本当は」
「おそらくは、な」
あのハルの表情に嘘はなかった。しかし、口には出さないでいたものの、ヒロはいまだにハルに対する警戒を解いてはいなかった。現時点では、油断はできない。
「じゃあ、ふたりがアキたちを説得してくれている間、私たちががんばらなくちゃね。まだ終わった訳じゃないもの」
光が戻ったとはいえ、Egg Shellは未だ混乱から解き放たれたというわけではなかった。混乱の中心である記念碑広場は、さすがに爆発こそもうないものの、いまなお手つかずのままだった。こちら側の人間は、誰ひとりとして彼らの説得に成功していない。
不幸にも、混乱が起こったとき、人々はショウからの知らせを待って各々集まっていた。多くの住民がいた場所では、負傷者もかなりの数に上っている。
メディカル・センターのスタッフだけでは人手が足りず、メイにも告げたように、他エリアの応援に頼らざるを得ない状況だった。
「それにまだ連絡が取れていない、いわゆる行方不明者もいるの。こちらでもまだ、すべてを把握しきれていないのよ」
ショウはため息をつく。Egg Shellの中心である管理エリアですらも、この流れに追いつけていない。
「それでも、なんとかしなくっちゃね、なんとか」
半ば自分に言い聞かせるようにして、ショウは言葉を漏らした。
「ヒロにも、まだやってもらわなきゃいけないことがたくさんあるの。お願いできる?」
どことなく無理の感じられる笑みを浮かべたショウは、ヒロに尋ねた。
視線を向けられたヒロは、その無理矢理作った彼女の顔に胸が痛む。心配せずにはいられない表情だった。精一杯強がっているのが見て取れる。
しかし、心の中のしこりが、素直な言葉を告げるのを邪魔していた。
「ああ、わかった。なにかあったら連絡をくれ。俺は戻る」
ぶっきらぼうにそれだけを告げて、いるべき場所に行くために去っていく。
「待って!」
背を向けたヒロを、ようやく出せたかのような大声でショウが引きとめた。思わずヒロのほうが緊張に揺れる。なぜだか、心臓が早鐘のように鳴っていた。
「あの、ね。さっきの通信機ではごめんなさい。私、言い過ぎた。相手がヒロだからと思って、他の人にお願いするより気安かったせいもある。でも、人にものを頼む態度じゃなかったよね。あのときの私」
エレベーターが止まってしまって閉じこめられた、とリアリィに連絡を受けたあのときのことを思い出すと、顔から火が出そうに恥ずかしい。
まさか断られるとは思いもしなかった。だからヒロの事情も考えずに半ば命令するような言葉を告げてしまった。
「あれから、ユリアにすごく怒られちゃったの。『いくらなんでも無茶が過ぎます』って。自分でもそう思う。傲慢だったと思う。反省しています。ごめんなさい」
初めてショウが折れてくれた。奇妙な感慨とうれしさの中、ヒロはショウの言葉を聞いていた。
「気に、すんなよ。別にもう、なんとも思っちゃいない」
合図をするように片手を挙げ、再び歩みを進める。
口の端に上る笑みを見られたくなくて、後ろは振り向かなかった。
「先輩! 戻ってきてくれたんですね。お帰りなさい。大丈夫でしたか?」
もといた場所に帰ると、ルークがヒロの姿をめざとく見つけて駆け寄ってきた。他のメンバーも、作業する手を休めてヒロのもとへ歩み寄る。
「ああ、大丈夫だ。こっちはどうだ?」
うまくいつも通りの表情が作れるかどうか、ヒロは不安だった。ふとした拍子に笑みがこぼれそうになってしまう。それでも、なんとか無理矢理顔を作って平静を装う。
「あ、はい。こっちは相変わらずです。現状維持が精一杯。……それと」
ルークは手に持った端末を、深刻な表情で指し示した。
「もう電力停止という最悪の状況は起こらないと思います。とりあえず、最低限の電力は確保できるよう、プロテクトを敷きましたから。でも、出力が予定より少ないんです。徐々に削られていっている、そんな感じで。これはいまもなお続いています」
ルークの言うとおり、端末に表示された出力状況が、回復当初の値より下がっていた。
「いったい、どういうことなんだ?」
心の奥底から、得体の知れない恐怖が押し寄せてきた。訪れるはずの静けさは、平和なものではあり得ない。偽りの、そして死へと向かう静けさだ。
「あ、先輩!?」
気がつくと、ヒロは道具と通信機を掴んで走り出していた。なにかがうごめく、卵の中心へ。
「ごめんね、ショウ。泣く、つもりなんかじゃ、なかったのに」
そう言いつつも、いまだにメイは泣きやまない。メイ自身も、涙の止めほうがわからないのだ。心の奥底から、不安や恐怖が押し寄せてきてどうにもならない。
しゃくり上げるメイを、ショウは困ったような表情で宥めるしかなかった。こんなにも感情をあらわにする彼女の姿ははじめてで、どうしてやればいいのか見当もつかない。ただ、「大丈夫だから」と声をかけることしかできない。
管理者代理としても、ひとりの友人としても、なにもできない自分が情けなくなってくる。捨てたはずの、昔の暗い気持ちがよみがえる。なんて無力なのだろう。
おぼつかない手つきでメイを慰めるうちに、なぜだかショウは、自分まで泣き出したくなってしまった。
ようやく落ち着きかけたメイが、それに気づいて、慌てたように身を離す。
「ごめん、ごめんね。困らせるつもりじゃなかったの。やだ、泣かないでよ」
「ごめん……。私、もっとしっかりしなきゃね。みんなが泣かないですむように、がんばらなきゃ」
管理エリアのメンバーといるときには、決して表にしない、それはショウの中の年相応の心だった。奥に閉じこめて、絶対に出さないようにしていた本音なのだ。
皆の前では泣けない。泣いたら、自分を頼りにしているメンバーたちが途方に暮れてしまう。
抑えていた気持ちが、友人たちに接したことで少し自由になりすぎてしまった。必死で、押し寄せてくる涙をこらえながら、ショウは「泣いてはいけない」と、自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
泣くべきときは、気持ちを解放させるべきときはいまではない。
「大丈夫だよ、ショウなら」
「……ありがとう」
ふたりの少女が笑みを交わす。心はようやく落ち着き、流された涙は乾きつつあった。
「私、ここにいても力になれないみたい。ごめんね。なにか私にもできること、ないかな?」
ハルたちについて、メイが知っていることはもうない。ここにいたところで、エリア外のメイは足手まといになりこそすれ、役に立つことなどひとつもない。
気分を入れ替えるために伸びをすると、メイは努めて明るい声でそう言った。
「あ、そうね。とりあえず、メイのエリアのメンバーと連絡を取って……。フィル! 植物エリアのメンバーはどこ?」
「はい、リーダー。環境調整・植物エリアの皆さんには、居住区第十二エリアにおいて、負傷者の救護をお願いしてもらっています」
声を投げかけられた管理エリアのメンバーが、遠くから声を返す。
「だ、そうよ、メイ。悪いけれど、そこまで行ってもらえるかしら?」
「もちろんよ。教えてくれてありがとう、ショウ」
いまは他のことに集中したことが良さそうだもの、と笑ったのち、メイはきびすを返した。
「大丈夫かしら、メイ……」
走り去るメイの姿を、ショウは不安の残るまなざしで見つめていた。
それは、そばにいたヒロにとっては、そうやって呟くショウこそ、心を砕く対象である。影を潜めていた不安定さが、ほんの少しだけ彼女に現れているような気がする。
しかし、口論をしたこともあってか、ヒロはそれを素直に口に出すことができなかった。
「ショウ、ちょっといいか」
「あ、ヒロ。どうしたの?」
そんな内心をまったく知らないショウは、いつものように振り向いた。どことなくぎこちないのはヒロと同じ理由だからだろうか。
「メイに聞いたとは思うが、ハルがリアリィをつれてアキたちのところへ向かってる。リアリィはアキたちを説得するため、ハルは、やるべきことがあるとかなんとか」
あのときの、ハルの決意に満ちた表情を思い出しつつヒロは語った。
「そう。じゃあ、ハルはEgg Shell解放計画を阻止しようとしてくれていたのね、本当は」
「おそらくは、な」
あのハルの表情に嘘はなかった。しかし、口には出さないでいたものの、ヒロはいまだにハルに対する警戒を解いてはいなかった。現時点では、油断はできない。
「じゃあ、ふたりがアキたちを説得してくれている間、私たちががんばらなくちゃね。まだ終わった訳じゃないもの」
光が戻ったとはいえ、Egg Shellは未だ混乱から解き放たれたというわけではなかった。混乱の中心である記念碑広場は、さすがに爆発こそもうないものの、いまなお手つかずのままだった。こちら側の人間は、誰ひとりとして彼らの説得に成功していない。
不幸にも、混乱が起こったとき、人々はショウからの知らせを待って各々集まっていた。多くの住民がいた場所では、負傷者もかなりの数に上っている。
メディカル・センターのスタッフだけでは人手が足りず、メイにも告げたように、他エリアの応援に頼らざるを得ない状況だった。
「それにまだ連絡が取れていない、いわゆる行方不明者もいるの。こちらでもまだ、すべてを把握しきれていないのよ」
ショウはため息をつく。Egg Shellの中心である管理エリアですらも、この流れに追いつけていない。
「それでも、なんとかしなくっちゃね、なんとか」
半ば自分に言い聞かせるようにして、ショウは言葉を漏らした。
「ヒロにも、まだやってもらわなきゃいけないことがたくさんあるの。お願いできる?」
どことなく無理の感じられる笑みを浮かべたショウは、ヒロに尋ねた。
視線を向けられたヒロは、その無理矢理作った彼女の顔に胸が痛む。心配せずにはいられない表情だった。精一杯強がっているのが見て取れる。
しかし、心の中のしこりが、素直な言葉を告げるのを邪魔していた。
「ああ、わかった。なにかあったら連絡をくれ。俺は戻る」
ぶっきらぼうにそれだけを告げて、いるべき場所に行くために去っていく。
「待って!」
背を向けたヒロを、ようやく出せたかのような大声でショウが引きとめた。思わずヒロのほうが緊張に揺れる。なぜだか、心臓が早鐘のように鳴っていた。
「あの、ね。さっきの通信機ではごめんなさい。私、言い過ぎた。相手がヒロだからと思って、他の人にお願いするより気安かったせいもある。でも、人にものを頼む態度じゃなかったよね。あのときの私」
エレベーターが止まってしまって閉じこめられた、とリアリィに連絡を受けたあのときのことを思い出すと、顔から火が出そうに恥ずかしい。
まさか断られるとは思いもしなかった。だからヒロの事情も考えずに半ば命令するような言葉を告げてしまった。
「あれから、ユリアにすごく怒られちゃったの。『いくらなんでも無茶が過ぎます』って。自分でもそう思う。傲慢だったと思う。反省しています。ごめんなさい」
初めてショウが折れてくれた。奇妙な感慨とうれしさの中、ヒロはショウの言葉を聞いていた。
「気に、すんなよ。別にもう、なんとも思っちゃいない」
合図をするように片手を挙げ、再び歩みを進める。
口の端に上る笑みを見られたくなくて、後ろは振り向かなかった。
「先輩! 戻ってきてくれたんですね。お帰りなさい。大丈夫でしたか?」
もといた場所に帰ると、ルークがヒロの姿をめざとく見つけて駆け寄ってきた。他のメンバーも、作業する手を休めてヒロのもとへ歩み寄る。
「ああ、大丈夫だ。こっちはどうだ?」
うまくいつも通りの表情が作れるかどうか、ヒロは不安だった。ふとした拍子に笑みがこぼれそうになってしまう。それでも、なんとか無理矢理顔を作って平静を装う。
「あ、はい。こっちは相変わらずです。現状維持が精一杯。……それと」
ルークは手に持った端末を、深刻な表情で指し示した。
「もう電力停止という最悪の状況は起こらないと思います。とりあえず、最低限の電力は確保できるよう、プロテクトを敷きましたから。でも、出力が予定より少ないんです。徐々に削られていっている、そんな感じで。これはいまもなお続いています」
ルークの言うとおり、端末に表示された出力状況が、回復当初の値より下がっていた。
「いったい、どういうことなんだ?」
心の奥底から、得体の知れない恐怖が押し寄せてきた。訪れるはずの静けさは、平和なものではあり得ない。偽りの、そして死へと向かう静けさだ。
「あ、先輩!?」
気がつくと、ヒロは道具と通信機を掴んで走り出していた。なにかがうごめく、卵の中心へ。