6.


「俺に行けってことか、それは、つまり」
 リーダーにしては珍しい、とげのある言葉が響く。それに驚き、その場にいたメンバーすべての視線がひとつに重なった。
 明かりが回復したばかりの、これまた回復したばかりの施設内通信機の前で、大声を発したのはヒロ。いまにも、怒りに任せてコードを引きちぎってしまいそうな様子である。
「先輩……大丈夫ですか?」
 おどおどと尋ねたルークの声にも反応せず、ヒロはひたすら、通信機の向こうの声に耳を傾けている。
 光が戻って間もないうちに、作業中のヒロたちのところに入った通信。それは、管理エリアのショウからの呼び出しだった。
 はじめは笑顔で受け答えていたヒロだったが、途中からだんだん雲行きが怪しくなってきた。顔からは笑顔が消え、まるで刃のような表情が浮かんでいる。眉間に寄るしわが、徐々に険しくなっていった。彼の周りの空気が、数度ほど下がったような気がして、ヒロの周りのメンバーは背筋を凍りつかせる。

「……ああ? 怒ってねえよ。お前のほうが怒ってるんじゃねえか。ああ、うるさい。わかったよ、わかったから。仕方ないな」
 通信機から聞こえてくる声に、渋面を作ってようやく頷くと、ヒロはため息をついた。
 先輩も怒ってるじゃないですか、と言ってはならないせりふをルークが好奇心から口に出しかけたとき、受話器が恐ろしい音を立てて投げ置かれた。ヒロが一方的に通信を打ち切ったのだ。
「ヒロさん……」
「せ、先輩?」
 怒鳴られはしまいかと身構えて、ヒロに問いかけたルークたちは、彼のきつい眼光を受けて抱き合わんばかりに身を寄せ合った。体が硬直する。
「俺たちは便利屋か?」
「……はい?」
 思わず上擦った声で問い返した言葉に答えることもなく、引きつった顔のヒロは乱暴に道具をまとめはじめた。さながら機関銃のように、言葉をまくし立てる。
「大体、まだ居住区の電力と通信が回復しただけなんだぞ! 作業エリアはそのまんまのこってる。迂回路を設定しただけだから正常な動きができるかわからない。本来の機能に戻すために、これからいったいどれだけかかると思ってるんだ! それなのに、ひとりかふたり寄越せないかだって? 俺にも来いってか」
 あとは、英語圏で育ったものには理解不能、意味不明の言葉が続く。
 遠巻きにヒロを見つめる視線に彼が気づいたのは、手持ちの道具をすべてまとめ、立ち上がったときだった。メンバーたちがおびえた目で自分を見ていることに気づき、ようやくヒロは我に返った。

「あ……すまん、その、つい気が立って。気にせず作業を続けてくれ」
 そうは言っても、突然のリーダーの豹変に、皆が正気に戻るわけはなく、呆然とその場に立っているものが多い。それに気づいたヒロが一睨みすると、慌てたように自分の作業へと戻っていった。時間は、いくらあっても足りないのだ。
「先輩、いったいどうしたんですか」
 口調も動作も大らか、というよりは乱暴であったが、ヒロは、いままでいちどたりとも理不尽な怒りをメンバーに向けることはなかった。その彼にすさまじい視線を向けられ、泣き出しそうになったルークが尋ねる。本気で睨まれると、こんなに怖いとは思いもしなかった。
「ルーク。いや、本当にすまん。大丈夫だ。お前たちに怒ってるんじゃないから。ショウの奴があんまり無茶なことを言い出すもんだから、つい」
 恥ずかしさを隠すための照れ笑いがヒロに浮かぶ。
 そういえば、とルークは思い出す。いまでこそ、このリーダーがショウに想いを寄せているらしいことは、本人以外には半ば周知の事実であった。が、もともと彼らはEgg Shell内でも有名な、口喧嘩の絶えない間柄だったのだ。
「無茶ですか」
「エレベーターに閉じ込められている奴がいるから、助けに行って欲しいんだと」
 ショウの言葉を思い出したのだろうか、怒りさめやらぬ声でヒロが言った。


 闇の中に、ぽっかりと明るい光がともる。静かな空間に、慎重な足音が響いた。
 ルークたちに後を任せ、ヒロはひとり、Egg Shellの外縁まで足を運んでいた。
 そこから、作業用に設けられた階段を使い、作業エリアへと降りるのだ。万が一のことを考えてあるためか、当然ながらエレベーターなどはない。自力でいくしかないのである。
 小脇に道具を抱え、もう片方の手には懐中電灯を握り締めたヒロは、荒い息をついた。日ごろあまり運動をしていないのとまだ怒りが収まっていないのが重なっている。

 確かに、ショウたちもショウたちで忙しいのだろうし、どのエリアに頼むといっても、ふさわしいエリアは他にはない。
 ただ、こちらにもこちらの事情があるということをまったく考えていないような願いに、もともと太くないヒロの我慢の糸が、ぶつりと音を立てて切れてしまった。
 売り言葉に買い言葉とでもいうのだろうか、熱くなればどちらとも、絶対にひくことはない。お互い懲りないよな、と少し正気に戻ればヒロも思うことはできるのだけれど。
 そして、結局のところ、自分が先に折れてしまうのだ。
 自らの情けなさに、ヒロは苦笑いをした。
 下へ下へと続く階段は、まるで闇へと落ちていくかのようにヒロを惑わす。身震いをしたヒロは、気を取り直して再び下へと下りはじめた。


 光が消えたままの作業エリアは、驚くほどしんとしていた。ショウたち管理エリアからの報告があるからと、居住区に行ったままのものが多かったのだろう。わずかに残った者たちも、居住区の混乱が伝わってこないせいか、さほどの騒ぎにはなっていないようだった。
 道すがら出会った者たちに居住区への避難経路を示しつつ、作業エリアの簡易マップを頼りにヒロはエレベーターフロアを目指した。
 止まったエレベーターが行き着くところは、おそらく作業エリアの最下層だ。ただひたすらに、ヒロは歩いた。

 閉じこめられるなんて間抜けなことをやったのはいったい誰だ、と毒づきながら、ヒロはエレベーターフロアへと続く最後の角を曲がる。大きくあいたそのフロアの入り口から、ありえない光が漏れているのを見つけて足を止めた。
 光は、非常用の淡いものではありえなかった。また、ここの電力は回復していないのだから、フロアの光ではありえない。まして、閉ざされているはずのエレベーターの光でもないはずだ。いったい誰が扉を開けるというのだ。
 そのまま入っていくのはまずい、とヒロは入り口付近に身を潜めた。張りつめた雰囲気に、鼓動が早くなっていく。
 注意しつつ、フロアの様子をうかがったヒロが見たのは、開け放たれたエレベーター、その中に座り込むリアリィとメイ。そして、ひょろりと長い体を白衣に包み、エレベーターの前に立ちすくむひとりの人物の姿だった。


 何故リアリィたちがこんな所に、とヒロは驚きの声をあげかける。リアリィが、あのキィワードを奪うようにして自分たちの前から去ったのはもうずいぶん前のはずだった。とうに隠された場所へとたどり着いていたのではなかったのか。
 それに、メイ。
 一番信頼していたハルの裏切りにショックを受け、部屋に閉じこもったままだとショウやリアリィが言っていたはずだ。
 ふたりがエレベーターの中にいることに首を傾げつつ、ヒロはエレベーター前の人物に注意を向けた。
 光が当たって、表情はよく見えない。だが、その特徴ある容姿に、ヒロは息を呑む。
 明かりに照らされて、もともと薄い色の髪がますます透けているように見える。長身に長い手足が良く映えるそれは――。

「ハル! リアリィとメイから離れろ!」
 リアリィたちの前にいる人物が何者かわかったとたん、ヒロは身を潜めていた物陰から飛び出した。
 声に気づき、長身の人物ははっとしたように振り返る。勢いよく飛び込んだヒロに体当たりをされ、彼とともに転がった。
 音をたてて、ふたりは床に打ち付けられる。不意をつかれたからか、飛びかかられたほうの人物は抵抗すらしようとしなかった。ヒロにされるがまま、拘束される。
 荒い息のもと、男の上に馬乗りになったヒロは彼の首を両手でおさえつけていた。力を込める。
 目の前にいるのは、この闇を生み出したもののひとり。この世界を壊してしまおうとするもののひとりなのだ。

「……首、絞めないのかい」
 静かな、男の眼差しとは逆に、ヒロの瞳は頼りなく揺れていた。男の首に当てた手が、かたかたと小刻みに震えているのがはっきりわかった。こんな状況なのに冷静な、男の視線が恐ろしい。
 ヒロが知っていたような、あの穏やかな雰囲気を持つ男とは別人のように違っていた。エレベーターの中のリアリィとメイに、なにか危害を加えるのではないかとおそれを抱くほどに。思わず飛び出したあとで、ヒロはひどく後悔した。このままでは、命が危ないのは、自分たち。
 毒を含んだ鋭い針に、突き刺されているような気持ちすら感じる。


「だめ、ヒロ、やめて! ハルを傷つけないで!」
 成り行きを、唖然として見守っていたメイが、ようやく我に返る。叫び声を上げて、ヒロたちのもとに駆け寄った。端から見れば、骨太のヒロと彼とでは、彼のほうがひどく弱そうに見える。ぽきりと折れてしまいそうな印象を受ける。
 泣きじゃくりながら、ヒロの体を押しのけた。
「ハル……っ」
 横たわったままの、白衣の男――混乱の一端を担っているはずのハルの胸元にすがりつく。
 メイの行動に気づいたハルは、信じられないものを見るような表情をしていた。離れてしまった少女がいま自分の側にいる。
「……メイ」
 口から出た言葉は、かつての穏やかなものに戻っている。柔らかい、穏やかな瞳が、彼の愛しい少女を見つめていた。