5.


「こっちも違うか。まったく、いったいどうなってやがる。こんなの、見たことねえぞ」
 我知らず独り言を漏らしながら、男は手をしきりに動かしている。
 明かりといえば、男の手元を照らすきわめて原始的な懐中電灯のほかにはなく、あたりはほぼ暗闇に閉ざされているといってもいい。
「ヒロさん、こちらもやはり、配線に異常はないようです」
「こちらもおなじく、リーダー」
 暗闇の中から、男――ヒロに声が向けられた。この混乱の中、ようやく見つけられた機械調整エリアのメンバーだ。彼らもまた、この電力停止に半ば混乱していたが、いまはヒロの指揮のもと、普段の平静さを取り戻し作業に取りかかっている。

 ヒロはため息をついた。Egg Shellの動力の中心であるここまで来たものの、この異変の原因箇所がまったくつかめないのだ。
 ショウたちから報告を受け、どうやらアキたちの仕業らしいことはわかっていた。だが、具体的にどこでどういうエラーが起こっているかとなると、まったく見当が付かない。
「先輩、とりあえずでもいいからとにかく、居住区に明かりだけでも返してあげましょうよ。そうじゃないと、落ち着けません」
 携帯用の端末を操作しつつ、ルークが言った。バッテリーの残量を気にしながら、動力機関内部を走査している。彼らの上から、何重もの壁を通していてもなお伝わってくる混乱を、しきりに気にしていた。
「ルーク、そうは言ってもその方法はあるのか? 走査結果は」
 ヒロとて、そうしたいのは山々だった。この混乱をどうにかしなければ、渦中にあるショウの身も危ない。焦りばかりが先行し、この混乱と相まって叫びだしたい衝動に駆られてしまう。
「目立った異常は認められません。ただ……どこかで電力の流れが変わっています。別の場所へと流れ込んでいるようです。この中のどこかであるのは確実ですが、場所まではわかりません。電力の流れが変わる場所さえつかめれば、そこに至る前に迂回路を設定すればどうにかなるかもしれませんが」
 ようやく端末から顔を上げたルークが、仕事用の眼鏡の奥から深い眼差しをのぞかせた。

「流れが変わっている? そんな馬鹿な」
 いったいなにが理由で、と言いかけ、ヒロはアキの姿を思いだした。彼が本気ならば、やるかもしれない。
「電力が流れている場所は、もしかしてEgg Shell中心部じゃないか?」
「ちょっと待ってください……。やっぱり具体的な場所はわかりません。けれど、そうですね、考えられるのはそこかもしれません」
 同じく、アキたちの思惑をかけらでも知るルークが、ヒロの言葉に頷いた。
「でもまあ、とりあえずはこれでうまくいくと思います。どうですか?」
 眉をひそめて、ヒロはルークの端末をのぞき込み、しばらく考える顔になる。ディスプレイに表示された配線図には、ルークがつくったらしいシミュレーションが流れていた。
「だけどなぁ……。これは、あとで元に戻すのに、また一苦労じゃないか?」
 確かにルークのシミュレーションはいいアイデアであるのは確かだったが、その場しのぎでは、後々なにがあるのかわからない。そのときになって後悔しても遅いのだ。
 悩ましげなヒロに、ルークはさらに言葉を重ねた。
「先輩、多分いまはそんなことを考えている場合じゃないと思います。ここが中から崩壊するかしないか、その瀬戸際なんですから」
 ルークの言うことはもっともだった。それでも、少しの迷いが心から離れない。
 ヒロはあたりを見回し、集まったメンバーの表情を見た。皆、口には出さなかったものの、「いまは仕方がない」という表情を浮かべている。確かに、いまはそれしか方法がない。
「仕方ない、ルークの案でいこう。ルーク、説明してくれ」
 ため息をつきつつ、ヒロが言った。


 辺りが暗いと、寒くもないのに寒いと感じるものなのかもしれない、まどろみつつあるメイを抱きしめながら、リアリィは思った。
 明かりが消えてから、どのくらい経ったのだろう。いまではもう、時間の感覚もはっきりせず、なにもかもが麻痺しかけている。エレベーターに備え付けられた連絡機器は、この電力停止の影響を受けてか、動きを止めていた。非常用なのに使えない、と憤るメイのように、はっきりと怒りをあらわにしたわけではなかったが、リアリィも同じようなことを思う。
 いままで、こんな状況に陥ったことがなかったために、危機的な場面に対する心構えも無きに等しい。Egg Shellの外は大変なのに、のんきなものね、とリアリィは自嘲を込めて呟いた。
 Egg Shellの中はいったい、どうなっているのだろう。相変わらずゆるやかに下降を続けるエレベーターの中からは、わずかに様子をうかがうことすらできない。時折大きな揺れとともに爆発音がしたり、ざわめきのような、波のように揺れる音が上から響いてきたりするだけなのだ。
 放ってきてしまった自分のエリアのことが頭をかすめる。メンバーや子どもたちは無事だろうか。

「リアリィ、明かりまだ付かないのね」
 寝ぼけたメイの声がした。子どものようなそれに、思わずリアリィは顔をほころばせる。
「そうね……困ったわね。それに、まだ下にもつかないみたい」
 その言葉に、メイは頬を膨らませる。
「ヒロったら、本当に真面目に仕事してるのかしら」
「いまは本当に大変なことが起こっているのだから、そんなことを言ってはヒロが可哀想よ。きっと今頃、必死になっているはずだから」
 言葉は乱暴ながら、ヒロの仕事に対する姿勢は真面目そのものだ。文句を言いつつも作業している姿が、メイにも想像できたのだろう、くすりと笑いが漏れた。

 暗さに目が慣れて、お互いの顔の判別が付くようになって、明かりが消えてしまった当初のような不安が薄らいでいく。ふたりは、ようやく微笑めるような精神状態になっていた。
「……長いね」
 いったい何度目かわからない言葉をメイが発したときだった。
 鋭い光がふたりの瞳を射る。
 思わずきつくまぶたを閉じたそののち、ゆるゆると開いた瞳には、いつも通りの外の姿が映っていた。
「光よ光! やっと直ったんだわ」
 一瞬、事態を理解できずにいたメイが、喜びの声を上げる。その声で、リアリィは我に返った。見慣れた光に、ようやく緊張を解く。
 微笑める状態になったとはいえ、知らず知らずのうちに強ばっていた心がほどけていく。
「良かったわ……」
 緊張を吐き出すように、ほっと息をついた。
「さあ、今度こそここから出られるように、連絡を取らなくてはね」
 普段通りの眼差しを取り戻し、リアリィが微笑んだ。


「ショウに連絡を取ったら、ヒロに救助を頼むそうよ。ここから出られるまで、あともう少しね」
 ようやく繋がった受話器を置いて、リアリィがメイの方向に振り向いた。リアリィの話す様子を興味深げに聞いていたメイは、嬉しそうに頷く。
「元に戻ったら、今度こそ急いでハルのところに行かなくちゃ。なんだか、もうなんでも来いって感じよ」
 あの暗闇が、メイにいかなる変化をもたらしたかはわからないが、少なくともいまは良い方向に向かっているようだった。
「そうね、本当に」
 そうして、エレベーターの外へと耳を澄ませる。いまだに下がり続けるエレベーターは、心なしか、その速度を落としているように感じられた。下が近いのだろうか。
 そのまま静かに動きに身を任せていると、予想通りにエレベーターが、ひとつ大きく揺れて動きを止めた。あとは、ヒロが扉を開けてくれるのを待つのみだ。
 不安が無くなり、落ち着きを取り戻したのがきっかけか、メイとリアリィは同時にあくびを漏らし、互いの顔を見て笑う。そういえば、満足に寝たのはいつだっただろう。
「……少し、寝ても罰は当たらないと思う、私」
「ヒロたちには悪いかもしれないけれどね」
 そう言いつつも、襲い来る睡魔には勝てない。早々に寝息を立ててしまったメイを横目に、リアリィも少しだけ、と瞳を閉じた。


 ――扉が開く音がしたような、気がした。
 なんだか幸せな夢を見ていたはずなのに、その音がメイを現実に引き戻す。少しだけ不機嫌になって、わずかに目を開けた。助けに来てくれたヒロだろうか。
 少しずつ少しずつ、目の前の扉が開いていく。闇の割合が大きくなっていく。光が戻ったエレベーター内と違い、外はまだ闇に支配されていた。作業エリアまでは、明かりが戻ってきていないのだろうか。
 首を傾げたメイの視界に、扉を掴む白い手が入る。繊細な大きい手。明らかに、ヒロのものとは違う。彼ならば、もっと無骨な手のはずだ。
 ヒロとともに、誰か手伝いの人間でも来たのだろうか。そう思ったメイだったが、少しだけ、心の中に疑問が浮かぶ。
 ――どこかで、こんな手を見たことはなかっただろうか。
 見覚えのある、何度もこの目にした手のような気がする。いつだったか、なにかの折に触れたような――。

 大きな音をたてて、最後の抵抗をしていた扉が諦めたように開いた。
 闇の中に白く浮かび上がる手の先、立っている長身の人物を、メイは信じられない気持ちで見つめていた。