4.


 Egg Shell中心、情報管理エリアは、いまだかつてないほどの喧噪の中にあった。Egg Shell各域に散らばったエリアリーダーたち、それに現状把握のためにやはり全域を駆け回っている情報管理エリアのメンバーたちから、小型の緊急通信機に、ひっきりなしに連絡が入ってくるのだ。
 電力が落ちたために、通常のネットワークはほぼ使えない。混乱の中、情報管理エリアのメンバーが気を利かせてくれたおかげで、各メンバーたちとの連絡が取れる。
 頼る者なしに混乱に立ち向かうことほど心細いものはない。なにか救いを求めるかのように、言葉が管理エリアへと集まってくる。
 管理エリアに残ったメンバーは少なくなかったが、それでもやはり限界はある。休む暇もなく着信を告げる通信機に、入ったばかりの新人から管理者であるショウまで振り回されていた。


「怪我人の数はどれくらいですか? 落ち着いて。メディカル・センターは比較的混乱が少ないようです。怪我人はそちらへ誘導してください。聞いていますか? 落ち着いて、大丈夫です。そこにはあなたしかいないんです。お願いします、しっかりしてください」

「電力の回復にはまだしばらくかかります。どうか、冷静な行動を。……だから、大丈夫です。Egg Shellは壊れることはありません、大丈夫ですから」

「……はい、はい、……ええと、とにかく、落ち着いてくださいね。大丈夫ですから。……ええと……」

 ただひたすらに、不安を訴えてくる皆を落ち着かせ、適切な指示を出していく。暗闇がもたらす恐怖がと飛び交う叫びが、ここまで混乱を大きくしていくとは、本当に予想外のことだった。
 おろおろしているメンバーを叱咤しつつ、絶え間なく続くかのような助けを求める声に応えてゆく。ショウは、いつ終わるともしれないこの状況に、いいようのない不安を募らせていた。
 先の見えない恐怖はショウも同じである。それを紛らわせるために動き回っているといっても過言ではない。ここ二年近くの嵐の中に放り込まれたに近い状況で、ずいぶんと鍛えられたと思っていた。けれど自分は、ただのひとりの少女でしかない。重い責任に、いまでも押しつぶされてしまいそうになる。

 再び通信機が着信を知らせ、ショウが素早く会話に切り替えようとした、そのとき。
 ぐらり。部屋が大きく揺れるとともに、大きな爆発音が響いた。
『記念碑広場で再び爆発発生!』
 別の通信機から、それと同時にメンバーの叫びにも似た声が届く。
 ショウは慌ててその通信機の声に応えた。
「あなたは一時帰還して、詳細を報告してください。かわりの者を向かわせます。危険には十分注意して。帰還を命じます」
 そして、エリア内を見渡す。視線のあったメンバーが頷き、通信機を持って駆けだした。
 それから、他のメンバーに向かって声を上げる。
「再度の爆発で、混乱はますますひどくなるかもしれません。みんなも不安だと思いますがあともう少し、乗り切ってください。電力が回復すればきっと、大丈夫です。がんばって!」
 自らも恐怖に震えながら、ショウは再び通信機を手にした。


「――ただいま帰還しました」
 しばらく後、ショウの目の前にひとりのメンバーが現れた。荒い息をつき、肩がせわしなく上下している。混乱に巻き込まれたことが良くわかる、ひどい格好のままの彼に、ショウは作業の手を休めて立ち上がった。
「ありがとう、お疲れさまでした。戻った早々申し訳ないけれど、状況の報告をお願いします」
 誰かが用意してくれたらしい水を一息に飲んだ彼は、自らの見てきたものを話し始めた。

「爆発に直接関わったと見られる集団は約五十名ほど、それ以外で広場に立てこもる者は二百名ほどです。折悪しく、たくさんの住民が広場であの放送を聞いていたため、その住民たちも巻き込む形になったようです。手には武器とおぼしき者を持っている者が複数。ですが銃器や刃物ではないようです」
 それを聞いて、エリアには少しだけほっとした空気が流れた。銃器を持っているとしたら、追いつめられてしまったとき、なにをされるかわからない。
「実行犯のひとりと思われる者との接触に成功しまして、少しですが彼らのことについて掴むことができました」
「それは本当? 心強いわ。けれど、大丈夫だったの?」
 意外なメンバーの言葉に、ショウが声を上げる。ショウたちはいまだに、実行グループに関して詳しいことを知らない。立ち向かう相手が謎のまま、ただひたすらに走るよりは、少しでも相手のことを知っておくほうがいい。けれど、興奮しているであろう彼らから、話を聞くことなど絶対に不可能だと思っていたのだ。
 それでも、いまの状況で実行グループに接触するのは、大変な危険といえた。少しだけ咎める目をショウはメンバーに向けて、話の先を促した。
「済みません。以後重々気をつけます。少し乱暴な方法を使いましたが、なんとか今回は大丈夫でしたから。彼は実行グループといっても本当に下のメンバーのようで、重要なことまではわかりませんでした」
 頭の中で情報を整理しつつ、メンバーは話を続ける。
「彼によれば、やはりここから出ていくことが第一の目的であるようです。実行場所に記念碑広場を選んだわけも、そこが外に一番近い場所だから、と」
 ショウはその言葉に首を傾げた。そんな安易な考えで、混乱を巻き起こすとは思えない。もっと、はっきりとした確信のようなものがあるような気がしてならない。
「私から見ても、やはりそれは怪しいと思います。確かに記念碑広場はEgg Shellの最上部にあり、それは誰でも知っていることです。しかし」
「ここはシェルターです。いくら最上部とはいえ、横も上も分厚い壁で覆われています。何重もの殻に覆われているような構造を、ここにいる者なら誰でも知っているでしょう。それを破ってここから出よう、なんていくらなんでも不可能です」
 いつの間にか、半ばショウの補佐のようにして彼女のそばにいたガーシュとユリアが声を上げた。その言葉にショウも、また話を聞いていた他のメンバーも頷く。
 単に一番上だから、とその場所を選んだというのであれば、はなはだ安易な考えといわざるを得ない。
 詳しい構造を知らなくても、Egg Shellがなんのために作られたのかは住人のほぼすべてが知っている。外から大切な命を守るための卵は、そうやすやすと割れるものではないことも。
 一斉に、疑問の眼差しを向けられたメンバーは、それでも表情を動かそうとはしなかった。なにか、恐ろしいことを胸に秘めているかのような強ばった表情をしていた。
「話は、これで終わりではありません。彼らが記念碑広場を選んだのには、もっと深い理由があります。彼らには信じるに足るものがあって、あの場所を選んだようなのです。それは……」
 ひどく言いづらそうに言葉を呑んだメンバーを、無数の視線が見つめる。無言のうちに、言葉の先を促す。
「彼らは、この計画を実行不可能な、夢のような話として胸に秘めていました。叶うはずのないものとして。夢が現実になってしまうという、幻想に形を与えるものさえ出てこなければ、それはいまでも同じだったでしょう」
「幻想に形を与えるもの?」
 嫌な空気がエリアに流れた。皆の脳裏に浮かぶのは、やはりひとつの影だった。誰よりもすべてを見通せる頭脳を持った、かつて一番輝いていた人。
「……名前はわかりませんでした。そもそも、名乗らなかったようです。しかし、その協力者により、彼らはあの広場が外に一番近い場所だと確信を持ってしまったようなのです」
 少しずつ、なにかがひとつにまとまっていく。
 広場が外に一番近い場所なのだ、と間違った情報を与えたのは何故なのか。
 手にはいるはずのない爆発物や武器を、彼らが持っているのは何故なのか。
 ――その裏で、誰が一番得をするのか。


 外に出るために起こしたこの混乱が、確実に自分たちの破滅に繋がっている。利用されたのだということを、なにひとつ知らずに、闇に足を踏み入れている。
 そして、混乱に対応しなければならないショウたちも、いまの状況をわかっていながら振り回されるしかない。混乱の中で、とても目を向ける暇などないのだ。アキがいないいま、残されたのは管理者になりたてのか弱い少女なのだから。
 混乱の中、確実に恐怖は広がっていく。誰も知らない間に、足下を埋め尽くしている。
 暗い考えに支配されかけて、ショウは立っているのがやっとなほどだった。自分の身を抱えるようにしているショウを、ユリアが後ろから支えている。その彼女でさえも、かすかに震えていた。
「しっかりしてください、ショウ。いま頼れるのはあなたしかいないんです」
 耳打ちされ、少女はようやく我に返る。自分やユリアを勇気づけるようにしてわずかに頷いたあと、ショウは自分を確かめるように一歩を踏み出した。
「やはり、この混乱を片づけるのが第一です。踊らされていては状況を悪くするばかりですから。電力回復までは現状のままでいきましょう。懐中電灯がまだ残っていれば住人に配布を。あとは、情報管理エリアの使われていない部屋も、解放して構いません。それから、ガーシュ、ユリア、こちらに」
 ショウの言葉とともに、メンバーはまた、それぞれの仕事に散ってゆく。その場に残されたガーシュとユリアが、ショウに向かう。
「もし、この状況が長く続くようなら、私が記念碑広場に行くべきなのかもしれません。出口が他の場所にあって、その鍵はこちらにあるということがわかれば、もしかしたら投降してくれるかもしれません。投降とまでは行いかなくても、少し状況はましになるかもしれないと思うんですけれど」
 少ない時間の中、余裕のない状況で考えたそれは、ショウができる一番のことのように思われた。混乱が収まるのなら、いま、自分の身の安全など考えている場合ではない。
 問いかける瞳でふたりを見たショウは、厳しい四つの瞳に瞬きをする。
 元々厳しいふたりではあったが、いまのその視線はこれまで見たどの視線よりも怖い。
「あなたを失ったらすべてがおしまいです。馬鹿な真似はやめてください」
「私はあなたの身のほうが大事です。もしそんなことをするようであれば問答無用でここに閉じこめます」
 ナイフのように鋭い言葉と視線は、嘘を言っているようには見えなかった。
「それよりも、いまこの混乱の裏で進んでいることを考えましょう。電力が回復してからでは遅いかもしれません」
 そのままふたりは、ショウの提案などなかったことのようにして新たな問題に立ち向かった。
「ショウ、ぼうっとしている場合ではありません。あなたは管理者なんですよ」
 厳しい言葉の裏に隠された優しい心と信頼。そんな状況ではないのはわかっていたが、ショウはふたりに心からの感謝を捧げずにはいられなかった。