2.
「メイ、大丈夫? 怪我はしていない?」
突然の衝撃で倒れ込んだメイを支えるように、リアリィは膝をついた。
「うん、なんとか大丈夫。いったいどうしたんだろう。さっきの大きな音、爆発みたいだったよね。なんでこんな所でこんなことが起こるの?」
安全であるはずの卵の中で、危険な爆発など起こりえない。施設中の電力が停止するなど、ありえないし、あってはならないはずだ。不安が急速に、エレベーターの中に満ちてゆく。ゆるやかに動き続けるエレベーターが静かな音をたてて、ふたりの不安を膨らませてゆく。
「やっぱり、これも計画のひとつなのかもしれないわ。Egg Shellの全機能を停止させれば、みんなの不安を煽ることができるもの。どうやら換気みたいな、生命維持に必要なものは無事みたいね。電力が回復するまで、待つしかないのかしら」
換気装置の静かな駆動音を耳にして、リアリィは深い息をつく。このままでは端末は動かない。アキたちのいるはずの空間に、たどり着くことはできないのだ。
「閉じこめられたまま、このまま落ちちゃったらどうしよう。怖いよ……」
薄暗がりの不気味な雰囲気に、メイが怯えた声をあげる。一生に一度どころの確率ではない。おそらくEgg Shellでもリアリィとメイが最初で最後かもしれない。いったいなんの因果で閉じこめられたのだろう。
エレベーターは相変わらず、ゆるやかな下降を続けている。
「落ちたりしないわ、大丈夫。こんなときのために、エレベーターには非常用のバッテリーがあるって聞いたわ。一番近い階まで移動する分だけのエネルギーらしいのだけれど。……どうやら下がっているようだし、下部の作業エリアまで行ってしまうのかしら」
昔聞いた設備概要を思いだし、メイを安心させる。
一番近い階がもし、アキたちのいるところだったとしても、そこに着く可能性はまずないだろう。そう思うと、心の中に焦りが生まれる。けれど、メイをこれ以上不安にさせることはできない。
できるだけ柔らかく、メイに語りかけた。
「ねえ、リアリィ。『秘密の部屋』って、本当はなんのこと?」
心の中になおもくすぶる不安に堪えかねたのか、メイは黙っていることができず、リアリィに質問をぶつける。なにかしゃべっていないと、不安に押しつぶされそうになる。
その不安を感じ取ったのか、リアリィはいつも子どもたちにそうするように、メイと正面に向き合った。しっかりと視線を合わせて微笑む。座ったままのメイの肩を抱いて、優しく背中を撫でた。
「居住区と作業エリアを繋ぐ、広くて大きな空間はね、Egg Shellの最後の希望があるそうよ。ここをつくった人たちが私たちに託してくれた、再生への祈りが」
未来へと希望を繋げる、最後の希望がここにある。それを思うと、痛いような悲しいような、そしてひどく優しい気持ちになれた。
「そんなところに、どうしてハルたちがいるの? ……ねえ、本当はいったい、なにが起こっているの? ハルやファムが言ってた計画のことだっていうのはわかる。けれど、それが本当になにを意味するのか、まだ、知らないの。なんだか、とんでもないことだっていうのはわかるんだけど」
リアリィの言葉の端々に現れる焦りや不安、そしていまの混乱。ハルやファムの浮かべていた、深い表情。それはすべて、『計画』というひとつの事柄に起因しているように思えた。ハルに決別の意志を示して以降、ずっと怖くて触れられなかったそれ。
「メイは、外の世界に置いてきたものはあるかしら。外に出るのは楽しみ?」
メイの質問に、リアリィは答えなかった。繋がりさえ感じられない、まったく別方向の問いを投げかける。メイはその意図がつかめずに、怪訝そうに首を傾げた。
「う、ん、私が産まれたのは外だし、住んでいたのは大切なところ。置いてきた緑たちはたくさんあるし……。うまく言えないんだけど、帰るところはやっぱり外だと思うの」
すでに、待っていてくれるものはなかったけれど、メイにとっていつか帰るということはあらかじめ定められている未来だった。いちどだってそれを疑ったこともなかった。
幼い頃ここになにも知らないまま連れてこられてから、幾年もの月日が流れた。ここで暮らした年月のほうが、いまでは長い。はじめの頃は寂しくて悲しくて、外に出たくて仕方がなかった。それでもここの生活に耐えることができたのは、外に一緒に帰りたいと思う人がいたからこそ。
「そうね、きっと、Egg Shellにいるほとんどの人たちがそう思っているでしょうね。それは、アキたちも同じことだと思うのだけれど」
そこで、一旦言葉を句切ったリアリィが、悲しい光を瞳に宿した。
「ねえ、メイ。もしも帰る場所がもうない、ってわかったら、あなたはどうするかしら」
言葉の意味がわからない。リアリィの声が、メイの耳をそのまま通り過ぎていく。
「びっくりしないで、聞いてね、メイ」
「どうしたの? 怖い顔、リアリィ」
「――あのね、帰りたかった故郷は、もうないかもしれない。ここに来たとき、あなたは小さかったけれど、外の世界は危うかったくらいのことはわかるわよね。……悲しいけれど、それは事実になってしまったみたい。外との連絡はね、もう十年くらい前に途絶えていたそうよ。生き残った人も、もしかしたらいないかもしれない」
あえて感情的にならずに、淡々と事実だけを述べる。どんなに衝撃的なことを言っているのかは、リアリィにもわかっていた。
「外は、もうないってこと? ……嘘」
衝撃が大きすぎて、メイの声は震えている。彼女には、残してきた大切な人はいない。メイにとっては、あの、緑あふれる場所があるかないかだけが重要だった。それでも、その事実はメイの心を波立たせる。心の支えが突然なくなり、世界中にひとりぼっちになってしまったようだった。
「帰りたかった場所は、もう、きっと……」
帰りたかった場所のないリアリィは、帰る場所を無くした人たちの気持ちを察することしかできない。だからこんな状況になってもほんの少しだけ、外から眺めることができる。それが時々、罪悪感にかたちを変える。
こんな状況にあって、取り乱すでもなく騒ぐでもない自分に、嫌気がさした。
心に帰る場所を持つゆえに、悩み、泣き、苦しむ皆が、リアリィは羨ましかった。それがまた、リアリィの心にちくり、と罪のとげとなって突き刺さる。
だからこそ、彼らにできないことを、やる。それがリアリィなりの贖罪だった。
「アキも、きっと帰りたかったのだと思うの。もしかしたら、外が無事かどうかもわからない、そんな状況で、卵の中で自分たちだけが安全な場所にいることに耐えられなかったのかもしれない。……もしも愛する人たちがいなかったとしたら、自分なんてどうでもいいって、滅ぼしてしまいたい、って思ってしまったのかもしれない」
リアリィは、卵の中にひそむDr.ウインドの思惑についてはメイに語らなかった。ファムの心の中にある闇は、メイには辛すぎる。メイがなにより大切に思うハルにも繋がることなら、語るべきは自分ではなく、彼らだろう。
「帰りたい、外に出たい、できることなら大切な人たちのそばにありたい、っていう思いが、アキを動かした。それに力を貸しているのがファムやハル。いまの状態で外に出ることが、自殺行為だとわかっているのに」
それが、現実と少し違うであろうことを、リアリィは感じていた。自分ではまだ理解することのできないなにかが、この問題奥深くに眠っているような気がしてならない。
「それが……いま起こっていること……」
「みんなの不安を煽った上で、この卵を中から開いていく。アキたちはそれを解放計画というけれど、私にはどうしても、そんな風には思えないの。望みがほとんどない中で、まるで自分を滅ぼしたいだけに思えてしまう」
アキやファム、ハルの中にある心の闇が、彼ら自身を傷つけている。それが悲しくて、悔しい。
「馬鹿だね……。どうしてそんなに不器用なんだろう。馬鹿だよ……」
リアリィの言葉に頷くように、メイが泣きそうな声を発した。
「ハルに会いに行ったら、今度は諦めたりしないわ。アキだってファムだって、変に格好つけちゃったりして、そんなの誰も望んでないのに」
馬鹿だよ、と、メイはもういちど言い、泣き笑いの表情をした。
リアリィはもういちど、メイに寄り添うように肩を抱いたあと、立ち上がる。
「こうしていても仕方ないわね。まずは電力が回復しないとどうしようもないもの。外の状況がわからないとなんとも言えないけれども……。連絡、とってみましょうか」
エレベーター端末の、光を失った画面のそば。連絡用にと備え付けられている受話器をリアリィは手に取った。
「メイ、大丈夫? 怪我はしていない?」
突然の衝撃で倒れ込んだメイを支えるように、リアリィは膝をついた。
「うん、なんとか大丈夫。いったいどうしたんだろう。さっきの大きな音、爆発みたいだったよね。なんでこんな所でこんなことが起こるの?」
安全であるはずの卵の中で、危険な爆発など起こりえない。施設中の電力が停止するなど、ありえないし、あってはならないはずだ。不安が急速に、エレベーターの中に満ちてゆく。ゆるやかに動き続けるエレベーターが静かな音をたてて、ふたりの不安を膨らませてゆく。
「やっぱり、これも計画のひとつなのかもしれないわ。Egg Shellの全機能を停止させれば、みんなの不安を煽ることができるもの。どうやら換気みたいな、生命維持に必要なものは無事みたいね。電力が回復するまで、待つしかないのかしら」
換気装置の静かな駆動音を耳にして、リアリィは深い息をつく。このままでは端末は動かない。アキたちのいるはずの空間に、たどり着くことはできないのだ。
「閉じこめられたまま、このまま落ちちゃったらどうしよう。怖いよ……」
薄暗がりの不気味な雰囲気に、メイが怯えた声をあげる。一生に一度どころの確率ではない。おそらくEgg Shellでもリアリィとメイが最初で最後かもしれない。いったいなんの因果で閉じこめられたのだろう。
エレベーターは相変わらず、ゆるやかな下降を続けている。
「落ちたりしないわ、大丈夫。こんなときのために、エレベーターには非常用のバッテリーがあるって聞いたわ。一番近い階まで移動する分だけのエネルギーらしいのだけれど。……どうやら下がっているようだし、下部の作業エリアまで行ってしまうのかしら」
昔聞いた設備概要を思いだし、メイを安心させる。
一番近い階がもし、アキたちのいるところだったとしても、そこに着く可能性はまずないだろう。そう思うと、心の中に焦りが生まれる。けれど、メイをこれ以上不安にさせることはできない。
できるだけ柔らかく、メイに語りかけた。
「ねえ、リアリィ。『秘密の部屋』って、本当はなんのこと?」
心の中になおもくすぶる不安に堪えかねたのか、メイは黙っていることができず、リアリィに質問をぶつける。なにかしゃべっていないと、不安に押しつぶされそうになる。
その不安を感じ取ったのか、リアリィはいつも子どもたちにそうするように、メイと正面に向き合った。しっかりと視線を合わせて微笑む。座ったままのメイの肩を抱いて、優しく背中を撫でた。
「居住区と作業エリアを繋ぐ、広くて大きな空間はね、Egg Shellの最後の希望があるそうよ。ここをつくった人たちが私たちに託してくれた、再生への祈りが」
未来へと希望を繋げる、最後の希望がここにある。それを思うと、痛いような悲しいような、そしてひどく優しい気持ちになれた。
「そんなところに、どうしてハルたちがいるの? ……ねえ、本当はいったい、なにが起こっているの? ハルやファムが言ってた計画のことだっていうのはわかる。けれど、それが本当になにを意味するのか、まだ、知らないの。なんだか、とんでもないことだっていうのはわかるんだけど」
リアリィの言葉の端々に現れる焦りや不安、そしていまの混乱。ハルやファムの浮かべていた、深い表情。それはすべて、『計画』というひとつの事柄に起因しているように思えた。ハルに決別の意志を示して以降、ずっと怖くて触れられなかったそれ。
「メイは、外の世界に置いてきたものはあるかしら。外に出るのは楽しみ?」
メイの質問に、リアリィは答えなかった。繋がりさえ感じられない、まったく別方向の問いを投げかける。メイはその意図がつかめずに、怪訝そうに首を傾げた。
「う、ん、私が産まれたのは外だし、住んでいたのは大切なところ。置いてきた緑たちはたくさんあるし……。うまく言えないんだけど、帰るところはやっぱり外だと思うの」
すでに、待っていてくれるものはなかったけれど、メイにとっていつか帰るということはあらかじめ定められている未来だった。いちどだってそれを疑ったこともなかった。
幼い頃ここになにも知らないまま連れてこられてから、幾年もの月日が流れた。ここで暮らした年月のほうが、いまでは長い。はじめの頃は寂しくて悲しくて、外に出たくて仕方がなかった。それでもここの生活に耐えることができたのは、外に一緒に帰りたいと思う人がいたからこそ。
「そうね、きっと、Egg Shellにいるほとんどの人たちがそう思っているでしょうね。それは、アキたちも同じことだと思うのだけれど」
そこで、一旦言葉を句切ったリアリィが、悲しい光を瞳に宿した。
「ねえ、メイ。もしも帰る場所がもうない、ってわかったら、あなたはどうするかしら」
言葉の意味がわからない。リアリィの声が、メイの耳をそのまま通り過ぎていく。
「びっくりしないで、聞いてね、メイ」
「どうしたの? 怖い顔、リアリィ」
「――あのね、帰りたかった故郷は、もうないかもしれない。ここに来たとき、あなたは小さかったけれど、外の世界は危うかったくらいのことはわかるわよね。……悲しいけれど、それは事実になってしまったみたい。外との連絡はね、もう十年くらい前に途絶えていたそうよ。生き残った人も、もしかしたらいないかもしれない」
あえて感情的にならずに、淡々と事実だけを述べる。どんなに衝撃的なことを言っているのかは、リアリィにもわかっていた。
「外は、もうないってこと? ……嘘」
衝撃が大きすぎて、メイの声は震えている。彼女には、残してきた大切な人はいない。メイにとっては、あの、緑あふれる場所があるかないかだけが重要だった。それでも、その事実はメイの心を波立たせる。心の支えが突然なくなり、世界中にひとりぼっちになってしまったようだった。
「帰りたかった場所は、もう、きっと……」
帰りたかった場所のないリアリィは、帰る場所を無くした人たちの気持ちを察することしかできない。だからこんな状況になってもほんの少しだけ、外から眺めることができる。それが時々、罪悪感にかたちを変える。
こんな状況にあって、取り乱すでもなく騒ぐでもない自分に、嫌気がさした。
心に帰る場所を持つゆえに、悩み、泣き、苦しむ皆が、リアリィは羨ましかった。それがまた、リアリィの心にちくり、と罪のとげとなって突き刺さる。
だからこそ、彼らにできないことを、やる。それがリアリィなりの贖罪だった。
「アキも、きっと帰りたかったのだと思うの。もしかしたら、外が無事かどうかもわからない、そんな状況で、卵の中で自分たちだけが安全な場所にいることに耐えられなかったのかもしれない。……もしも愛する人たちがいなかったとしたら、自分なんてどうでもいいって、滅ぼしてしまいたい、って思ってしまったのかもしれない」
リアリィは、卵の中にひそむDr.ウインドの思惑についてはメイに語らなかった。ファムの心の中にある闇は、メイには辛すぎる。メイがなにより大切に思うハルにも繋がることなら、語るべきは自分ではなく、彼らだろう。
「帰りたい、外に出たい、できることなら大切な人たちのそばにありたい、っていう思いが、アキを動かした。それに力を貸しているのがファムやハル。いまの状態で外に出ることが、自殺行為だとわかっているのに」
それが、現実と少し違うであろうことを、リアリィは感じていた。自分ではまだ理解することのできないなにかが、この問題奥深くに眠っているような気がしてならない。
「それが……いま起こっていること……」
「みんなの不安を煽った上で、この卵を中から開いていく。アキたちはそれを解放計画というけれど、私にはどうしても、そんな風には思えないの。望みがほとんどない中で、まるで自分を滅ぼしたいだけに思えてしまう」
アキやファム、ハルの中にある心の闇が、彼ら自身を傷つけている。それが悲しくて、悔しい。
「馬鹿だね……。どうしてそんなに不器用なんだろう。馬鹿だよ……」
リアリィの言葉に頷くように、メイが泣きそうな声を発した。
「ハルに会いに行ったら、今度は諦めたりしないわ。アキだってファムだって、変に格好つけちゃったりして、そんなの誰も望んでないのに」
馬鹿だよ、と、メイはもういちど言い、泣き笑いの表情をした。
リアリィはもういちど、メイに寄り添うように肩を抱いたあと、立ち上がる。
「こうしていても仕方ないわね。まずは電力が回復しないとどうしようもないもの。外の状況がわからないとなんとも言えないけれども……。連絡、とってみましょうか」
エレベーター端末の、光を失った画面のそば。連絡用にと備え付けられている受話器をリアリィは手に取った。