11.


 有り余ったエネルギーを象徴するかのような、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている部屋の中。子どもたちの笑い声に微笑みを返しながらも、リアリィは胸に重くのしかかった不安を隠せずにいた。うつろな目をしたショウとヒロに会ってから、ずっとそれが続いている。
 自分自身は、なにがあってもいまの時間を守り抜くという決意に変わりはない。しかし、この身ひとつでは、できることに限りがあった。自分は教育エリアのリーダーでしかないのだ。Egg Shellの人間すべてを動かすことなど、到底できるはずもない。まして、いまのEgg Shellには未来への希望が見出せない。守られる存在のための閉鎖空間であるがゆえに、出口が見えないのだ。
「なんとか、しなくては。もう、時間はないのに」
 焦りが、心の奥底からとめどなくあふれてくる。
 姿を消したままのアキの足どりは、ようとして掴めなかった。本当に、気配すら残さずどこかへ行ってしまったようだった。そして、計画に参加しているらしいファムとハルの姿も、このところ見かけていないという。ショックから立ち直れないでいるらしいメイからも、なにも聞き出すことができなかった。

「リアリィせんせい、だいじょうぶ? おかおが青いよ」
 つい先ほどまで部屋の中を駆け回り、メンバーに怒られていた少年が、リアリィの様子を目に留めて話し掛けてきた。無邪気な瞳は心配そうに、言葉を待っている。自分の心の中にある不安を、子どもに感染させてはいけない。リアリィは顔だけは笑みを浮かべる。ユウくん、と彼の名を呼び、目線を合わせた。
「ええ、大丈夫よ。心配かけてごめんなさいね」
 心配させないよう、努力して浮かべた笑みに、少年の心配そうな表情は消え去った。
 頭をなでて、さあ、遊んできなさい、と促す。けれど彼はなにかを思い出したといった顔でリアリィのほうを向いたまま、動こうとしなかった。
「どうしたの、ユウくん。疲れちゃった?」
「ううん、ちがうの。せんせいにもしらせなきゃっておもったこと、おもいだしたの」
 唐突な言葉。きらきらと好奇心に輝く瞳は、なにか大切なことを教えたいときのそれだ。
「あら、なあに? 大切なことかしら」
 小さな手が内緒話の形をする。髪をかきあげて、彼女は耳を寄せた。くすくすと少年の笑みがもれる。
「あのね、もうすぐお外にでられるんだよ」
 大人の世界の噂が、子どもにまで浸透しているなんて。リアリィはため息をつきかける。が、話はまだまだといった風の少年を見て、慌ててそれを引っ込めた。
「ぼく、せんせいだいすきだから、ないしょだってパパにいわれたんだけど、おしえてあげるの。パパたちね、お外にでるじゅんびをしてるんだって。パパとか、あとはおじさんたちとかが、じぶんたちででぐちをつくるんだって」
 無邪気な声がつむぐ言葉は、そのまま恐怖となってリアリィの心を駆け抜けた。
「ユウ、くん……どういうこと?」
 少年は、秘密の話をするうれしさからか、リアリィの様子には気づいていない。よほど話したくて仕方なかったのだろう、止める暇もなく話し続けた。
「あのね、パパたち『上にはまかせておけない』っていってたの。このままじゃ、ぜったいお外にでられないって。ぼくたちに、お外をみせてくれるんだって。みんなできょうりょくすればこわくないから、おもいきってやってしまおうって」
 上には任せておけない。それは管理者不在の噂と、そして選ばれたものとそうでないものとの差が生み出した思いだろう。頭にたたき込んだデータから、少年の父がさほど重要でない役についていたことを思い出す。ほぼ最年長クラスのEgg Shell収容者であったことも思い出した。外へ対する思いが一番強い世代だ。十年以上という閉鎖空間での生活は、彼らの中に、たえがたい思いを育てていたのだ。
「せんせい、こわいおかおしてるよ? お外にでるのたのしくないの?」
 知らず、浮かんだ厳しい表情に、やっと気づいた少年が問い掛けた。慌ててリアリィは首を振る。微笑んでみせる。
「ユウくんは楽しみなのね」
 自らの答えは言わず、問い返す。少年は満面の笑みを浮かべて頷いた。そして、いままでの話はなかったことのように、子どもたちの中へ駆け出してゆく。
 そのうしろ姿を見送りながら、リアリィは自身の震えを止めることができずにいた。ざわめく部屋を、一言ことわってからあとにする。いまはひとりで考える時間が欲しかった。
 思いつめた顔で、自室に帰る。


 張り詰めた糸が切れるまで、あとわずか。
『あたしたちはもう、誰にも止められない』
 ファムの言葉が心にこだまする。解放と名のついたわけが、ようやく理解できた。
 心の奥底に溜まった、外への思いを利用する。解放という名の、破滅。思いは膨れ上がり、卵を満たす。
 そしてEgg Shellは早すぎる孵化を迎えるだろう。ここを出るという計画をしているらしいあの少年の父たちとファムたちの間に、繋がりを見つけたわけではない。けれど、リアリィの中にはこれは一連の出来事だという強い確信があった。そうでなければ、あまりに都合が良すぎる。
 予想以上の厳しさに頭を抱える。誰にも協力が仰げないことが、ひどく苦しい。止めてみせると言い切ったけれど、こんなに無力だったなんて。疲れの宿った息をついた。薄明かりの中、流れにただ身を任せることしかできない。
 それでも。リアリィは諦めるわけにはいかなかった。無邪気な微笑をした子どもたちのために。ずっと会えないでいるアキのために。――自分のために。
 子どもたちが笑ってくれるなら、アキが孤独から離れてくれるのならば。それは自分の喜びにつながるから。
「結局は、自分のためなのね。天使や聖女だなんて、お笑いぐさね」
 ひとりでいるときだけの皮肉が口から零れ落ちる。人は自分を優しさのかたまりのように呼ぶけれど、リアリィは、自分で自分を優しいと思ったことはいちどもなかった。単に、自分がしたいことがそのまま、他人への『優しさ』につながる、それだけなのだ。
 そうして、卵の中で、自分の居場所を見つけた。失いたくないと願うのは、ようやく手に入れた場所だから。だからそれを逃がさないように、精一杯、心から微笑むことをやめたりしない。
 いまはそれでもいいと、思っている。
 それが未来へ続くみちだと、信じているから。

 ふいに、部屋のチャイムが鳴り響いた。急いで明かりをつけ、人前に出られるよう、疲れきった表情を隠す。
 扉を開けると、そこにはしっかりと目に光を取り戻したショウの姿があった。この前別れたときとは違う彼女の姿に、リアリィは目を見開く。これが、あの絶望に打ちひしがれていたのと同じ人物なのだろうか。
「お部屋に戻ってるって聞いたから。リアリィ、いま大丈夫?」
 わずかにはにかんでそう言うショウを、リアリィはやわらかく部屋に迎え入れた。


「この前はごめんなさい。リアリィもいろいろ考えてくれてたのに、聞く耳もてなくて」
「ううん、いいのよショウ。私こそ、無茶を言ったと思うわ。でも、ここに来てくれたってことは」
 問い掛けるリアリィに、ショウは頷いた。
「やっぱり、まだ立ち直れていないところはあるの。ひとりでいると、不安で不安で、泣いちゃうこともある。でも、それじゃ駄目だって気づいたの。それに、希望はまだ失われてないんだって、わかったから」
 封印記念碑で見つけたディスクのこと、過去より託された思いをショウはリアリィに語った。
「頭のどこかではこんなうまい話はないって思ってる。星の海だなんてそんなこと、ありえないとすら思ってる。だって、このEgg Shellがそのまま飛び立てるだなんて、想像できないもの。でもね、私たちをここに逃がしてくれた人たちの思いは、ちゃんと受け取れたよ」
 はるかな夢を、子どもたちに託すために。もういちど、今度はまっすぐに進めるようになるために。卵はつくられたのだということを。
 ショウはようやく、わかってきたような気がした。
「私、ここにきてはじめて、ここにいる意味を知った気がするの。いままではただなんとなく、連れてこられたからいる、ってそれだけの意識しかなかった」
「そうね。小さい頃にただ連れてこられただけだものね。きっと、みんなそう。だから、思いが積もっていってしまうのね」
 自ら出て行ってしまおうとまで思わせるほどに。Egg Shellは歪み始めている。
「ショウ、大事な話があるの。一刻も早くなんとかしなければ、取り返しのつかないことになってしまうわ」
 いまのショウならば、重荷を分け合える。リアリィはそう判断した。
 アキもファムも、ハルも、そしてここから出ようとする人々も、止められるかもしれない。


「出て行く? ここから、自分たちで?」
 信じられない、と呟くショウ。
「それが、『Egg Shell解放計画』なのかもしれないわ。ファムたちの言葉を借りれば、だけれど」
「アキも、その中にいるのね。そして、ハルも」
 親しくしていたものたちの行動に、声のトーンが落ちる。姿を消したことやリーダーを退くといったことがひとつにまとまってゆく。それと同時に、なぜ気づけなかったのだろうという後悔の念も押し寄せる。
 頼りにしていた管理者は、すでに自分たちの側にはいなかった。彼ならなんとかしてくれるという思いは、絶望と共に消え去る。
 彼らと同じ立場だったら、果たして自分はどうしていただろうか。それを思うと、ショウには『裏切り』だと非難することはできなかった。
「アキはずっと姿が見えない。手がかりを探しているのだけれど、全くつかめないの。できれば、なにかが起こる前に見つけたかったのだけれど……。取り返しがつかなくなる前に。まだ、事件が公になる前に。それに、もしも外へ出るなんてことが実現してしまったら、そのあとはもう、なにが起こるか想像もできないわ」
 もしも外が、人が生きていくに適さない状況だったなら、解放は破滅と同じ意味を持つ。だからこそのDr.ウインドの計画なのだ。
「外に出て行く計画が、いつになるかはわからないの? そこまでは聞いてない?」
 ショウの問いに、リアリィは首を振ることしかできなかった。

「もう、本当に時間がないんだね」
 このまま解放へと向かうなら、過去の思いや夢など、はかなく消え去る。すべてが無に帰してしまう。それだけは、してはいけないと思った。
「リアリィは、アキたちの行方を探してくれる? もしかしたらって心当たりがあるの。ディスクに示されていたもうひとつのEgg Shellは、考えに入れてなかったでしょ? ヒロたちに言えば、手がかりは掴めるかもしれない。私は、外へ出ようとする人たちをなんとか、説得できるようにする」
「説得、っていっても、誰が計画に乗っているのか、わからない状況なのよ? それに、どうやって」
 下手をすれば、ショウの身も危険にさらされてしまう。リアリィの言いたい気持ちはわかった。けれども。
「大丈夫」
 ショウは笑ってみせた。
 隠しておくからこそ、不安が募るのなら。溜まってしまった思いがあるのなら。
「すべてを打ち明けるの。外との連絡が途絶えてしまっていること、アキがいなくなってしまったこと。そして、過去から託された思いのこと」
 それから、新しく進み出す。本当に、この卵から孵るために。自分たちがここにいる意味を、みんなに知ってもらいたい。
「もう、立ち止まってはいられない」
 危険は承知している。それでも。
「わかったわ。そう、よね。できるだけ早く、手を打たなくてはね。ヒロたちはどこにいるの?」
 ショウの決意が強いと知るや、リアリィは素早く思考を切り替えたようだった。
「多分、自分の部屋だと思う。私は情報管理エリアに戻るね。みんなと細かいところを打ち合わせてみる。そうだわ、情報管理のみんなを、まず説得しなくちゃ」
 決意を秘めたまなざしを交わして、ショウとリアリィはそれぞれ走り出した。