10.


 やむことなく、ディスプレイは言葉を生みだしつづけた。

『この計画には二段階ある。
 まず、連絡が途絶えた時点で、外界の確認をお願いしたい。人が暮らせる環境がまだ残されているのならば、これから先の手段は必要ない。ふたたび大地の上におりたち希望の卵となってほしい。

 だがもしも。外が人の暮らせるような環境ではなかった場合は、最後の手段がある。

 国家が互いの滅びを望み、争う以前の時代、人は宇宙を目指した。信じられないことだろうが、国家が互いに協力し、星の海への夢を見ていたのである。人が星の海へと飛び出し、そこで暮らすという遙かな夢。
 協力関係はなくなって久しい。すでに忘れ去られた楽園であった。
 だが、場所だけは残されている。再び楽園をつくる。人に許されぬことかもしれない。しかし、ここで諦めるということは、生きるというなによりも大切な義務を、放棄してしまったというに等しいだろう。
 楽園の名は、火星といった。ちかくてとおい、故郷となるべき可能性を秘めた惑星である。

 本題に入ろう。
 Egg Shellが、なぜシェルターというには大仰すぎるほどの設備をもっているかを知っているだろうか。普通に人が避難生活を送るだけなら、必要のないものがありすぎることは、普段暮らしていればわかることだろう。
 そして、ただ暮らすだけならば、必要のないはずの社会システムも、このEgg Shellには取り入れられている。
 一時的に避難することが前提であるならば、各々が属しているはずのエリアは必要ない。すべて機械に任せてしまえるほどの技術は、あるのだから。保護されるべき子どもとして、なにもせずただ、安全が確保されるまで暮らしていればいいのである。

 それをしなかった理由はひとつ。
 子どもたちに、新しい世界をつくって欲しいということだ。
 新たなる故郷、ゼロからすべてをやり直すということを、君たちに成し遂げて欲しいのだ。
 取り残された廃園へと向かえ。
 そのために、本来ならば必要のない機能を付け加えた。このシェルターの上部エリアと下部エリアが、必要以上に離れていることは知っているだろう。ふたつのエリアを繋ぐエレベーターが、異常に長いことも。設計図を見ればわかるが、そこは上部エリアと下部エリアをあわせたくらいの広さがある。
 はじめは脱出・連絡のために用意されていたのだが、この計画のために大幅に改造を施した。管理者殿にも、最後まで秘密にしていたことだ。申し訳ない。だが、さとい管理者殿のことだ、すでに隠されたなにかがあるということは、気づいていたかもしれないね。

 そこはもうひとつのEgg Shell。
 取り残された廃園へと向かうための船である。
 廃園を、楽園に生まれ変わらせる技術は、すでに持っているはずだ。
 そのための各エリアなのだから。
 過ちを繰り返さぬよう、楽園を、廃園にしてしまわぬように。

 我らがもっとしっかりしていれば、このような計画も必要なかった。許して欲しい。

 もういちど抱きしめたかった愛しい子どもたちへ……健闘を祈る。


 そして最後に、我が息子、ヒロ。
 そこに、いるのだろう。
 再びお前にあいたかった。
 覚えているだろうか。私が最後に、お前に託したものを。
 船の中央部に行けば、きっと思い出すはず。それに、船はお前でしか動かせない。


 もしも時が許したならば、再び、星の海にて』


 ディスクから呼び出された文章が、ディスプレイ全体に広がった。それに続いて、手続きに関するさまざまなデータが、次々に立ち上がってゆく。
 呆然とその様子を見守っていたヒロが、やっと我に返り、端末の動きを一旦止めた。
「先輩! これって」
 あまりに突然すぎることに、信じられない気持ちでルークが叫ぶ。Egg Shellに隠されたものがあるなど、まったく想像していなかったのだ。確かに、ここが構造上どこかおかしいことは、機械エリアに配属されて設備を把握するようになってから気が付いた。けれど、いま告げられたことが、本当のことだとはどうしても信じられない。まるで、大がかりな嘘の上にいるような気がして、いくらヴィルト博士の言葉だとしても、信じる気にもなれなかった。
「それに、こんな計画なんて必要ないでしょう。もうすぐ出られるんだから。それより、先輩、ショウさん。アキさんがいないのに、こんな所に勝手に入っていいんですか? アキさんが帰ってくる前に出ましょうよ」
 ほら、とルークはふたりを急かす。ヒロは、その言葉に答えず、ルークをまっすぐ見つめた。

「先輩、やだなぁ、おかしい……」
「ルーク。協力、してくれるか」
 真剣な瞳が、ルークを見据えた。
 視線を交わして、やっとヒロがなにを言いたいのかがわかった。ルークだって鈍いわけではない。すぐに悟る。
 噂は、悪い意味で本当だった。そして、ヒロが焦らねばならないほど、事態は深刻。ショウがうつろな瞳をしている理由、ヒロがいつになく暗い表情を浮かべている理由。
 それらすべてが、ひとつの予測を生み出していく。

「お願いだ。協力すると言ってくれ。これはたったひとつ残った希望なんだ。もしかしたら、まだ生きているかもしれないんだ。……あいにいきたい」
 かすれた声で、ヒロはルークにすがった。
 父の言葉を見て、ヒロの頭にはじめに浮かんだのがそんな思いだった。幼い頃、父が話していた言葉を思い出す。きらきらと少年のような瞳で、星の海への道をつくったと、話していた姿。
 そんな父が、自らはひいて道を諦めるなんて考えられなかった。間に合ったのなら、一足先に、父は廃園へと旅立っているのではないか。自分たちが来るのを待っているのではないか。一緒に楽園をつくるために。そんな思いに一瞬にして取り憑かれた。
 それに父はなんと言っただろう。自分にしか動かせない、と、そう言ったのではないか?

「先輩……」
 いまだかつて見たことのないようなヒロの姿に、ルークは戸惑った。いつの間にか幻想の世界へと迷い込んでしまったのかもしれない。しかし、ルークにとってこの計画は別の意味で魅力的だった。
 星の海へ旅立てる。たとえこれが夢の中の出来事だったとしても、それはルークを魅せずにはいられない。
「……はい」
 戸惑いつつも頷くルークに、ヒロの瞳が輝いた。
「まず、外界の確認。と、その前にディスクの中身を解析しなくちゃな。いちどデータをコピーさせてもらおう。このディスクだとここ以外じゃ起動しないみたいだから。ショウ、聞いてたか? 大丈夫かもしれないぞ、生きてるかもしれないんだ」
 傍らのショウの肩を揺さぶる。少しだけ、ショウの瞳が形をなした。


 ショウは、管理者の椅子に座らされたまま、ぼうっとディスプレイを眺めていた。いままでの、管理者補佐としてなんとかやっていかなければ、とかアキの代わりになにができるのか、とかアキの不在を悟られないまま、Egg Shellの平穏を取り戻すにはどうしたらいいのか、という思いすべてが、どうでもいいことのように感じられた。
 だって、こんなにがんばってももう、帰る場所はないんだもの。
 アキは、きっと知っていた。だから、姿を隠した。そして、知っていたはずなのに、わかっていたはずなのに、私になにもかもを置いていった。
 ディスクだって。見つけてもなんにもならないじゃない。
 私が帰りたいのは、そんな未来じゃない。
 あいたいのは大切な両親。帰りたいのはふたりがいるところ。
 新しい故郷なんて、意味がない。
 次から次へと、浮かんでくるのはそんな思い。
「生きてるかもしれないんだ」
 ふと、霞が掛かったような視界から、そんな声が聞こえたような気がした。
 少しだけ、意識が形をなしていく。
「どういう、こと……?」
 かすかに漏れた自分の声に、目の前の人物の目が輝く。肩を揺らして呼びかけるのは、ヒロ。手のぬくもりが、凍り付いた自分をじんわりと暖めてくれた。
 ヒロが、やけに明るくディスクの内容について語る。それは、普段の彼の明るさとはどこか違って、どこか心の抜け落ちてしまった、空元気のようにも見えた。けれど、先ほどとは違う、どこかに希望の見える表情。
 ――生きているかもしれない。
 もしかしたら、みんな、逃れているかもしれない。
 ショウの心のどこかでは、こんなできすぎた話はないという気持ちがあった。
 でも。
 諦めるにはあまりに惜しい、それはとても甘い幻想だった。
「希望が見えたぞ、ショウ。なんとかなる、してみせる」
 力強くショウを抱きしめると、ヒロはルークを伴い、どこかへと駆けていった。


 ただひとり残されたショウは、やっと体を動かすということを思いだしていた。凍り付いた体に、ようやくぬくもりが巡ってくる。
 ゆっくり、自分の体を抱きしめる。息をついて、心を落ち着けた。まだ、心の片隅が少しだけ麻痺していたけれど、うつろな瞳にはやっと、意志の光がともる。
 生きているかもしれないという、ヒロの言葉が、少しだけ希望をもたらしてくれる。そして。もしもそれが夢のまま終わったとしても。
「このままじゃ、だめ、なんだよね」
 光も希望も、すべて絶たれたに等しいいま、だからこそ。託された夢を抱えて、生きていかなければいけないのかもしれない。変えられない過去に囚われて道を見失うことは、多分、私たちをここに眠らせた者たちの望みではないのだろうから。
 暖かい、とおく過ぎ去った家族の団らんにも似た、部屋のあかりに身を任せる。心の底から安らぐようなオレンジ色の光。
 立ち上がる前にいちどだけ。なつかしい、取り戻せる可能性などないに等しい家族を思って、ショウは涙を流した。