File.7「迷い子」

 
 船からまず見えたのは、切り立った崖と、それを覆うようにして広がる大森林。遠くの方には雲に隠れるくらい大きな山が見える。海風にあおられて、少し危なっかしく飛ぶティアフラムが、その山に釘付けになった。風にさらわれかける彼女を、ファーが支える。
「なに、あの高いの。ねえ、まさかあんなところに」
 登るわけじゃないわよね。
 ぎこちなく振り向き、三人に問いかける。こんな高い山があるなんて、生まれ故郷にいたときは想像もできなかった。砂漠の広がる故郷には、あんな大きな山はなかったのだから。それに、山は恐ろしいところだと、力がなくなるのだと、うまれたての頃からそれはもうしっかりと教えられてきたのだ。
 思わずふらりと倒れかけたティアフラムに、デルディスがまじめな顔をして追い打ちをかける。
「あの山はこの大陸一の……というより世界一の高峰、デイアベル山という。頂上付近には地の精霊の聖地があって、その山を登るものに試練を与えると言われてる。あの山の領域に足を踏み込まないとこの大陸じゃ身動きとれないも同然だから、当然俺たちも登ることになるな」
 もっともらしくそう告げる彼。ティアフラムはとたんに真っ青になってかたかた震えだした。
「も、もしかして、あの山に登らないと、他のトコに行けないってこと……?」
 山を指さすのも恐ろしいと言わんばかりの彼女の様子に、三人とも目をぱちくりと見開き、一瞬の沈黙の後、笑い出した。
「ティー、デルの言うことを本気にしちゃいけまさんわ。あの山に登らなくってもちゃあんと道はありますもの。山が怖いの?」
 目の涙を拭いながら、ファーがようようそれだけを言う。
「ファー、せっかくなんだからそんなことばらしちゃだめだよ、面白いのに」
 まだ笑い足りないとばかりにエディ。
 三人にからかわれたと知ったティアフラムは顔を真っ赤にし、それから思いっきりふくれっ面になってそっぽを向いた。
 

「山はあたしたち火の精霊にとってはとってもこわいものなの。ずーっとずーっとそれを教えられてきたんだもの。力が弱まっちゃうって。だから山は嫌なのっ」
 地図を見下ろして、ティアフラムは頑固にそう主張した。
 此処はメイナの港町、アルマイスの宿屋。一階部分の食堂兼酒場で、一行はこれからの予定を立てていた。アルマイスの港からは水の大陸・レイラへしか船が出ていない。今のところの目的地、火の大陸・ファドへと向かうには、此処ではだめだった。
 アルマイスに着くなり手に入れた最新の地図。ここ最近、ずいぶんと開拓者が増えたらしく、新しい開拓村があちこちにできていた。そのため、以前に来たときよりも、道も変わっている。地図を目の前にして、デルディスは腕を組んだまま悩む。
「といってもなあ。それだと、大陸をぐるりと回って行く道しかないぞ。山の中に切り開かれた道を進む方が、時間も距離も短くて済むと思うんだが……」
 傍らのファーが、地図の上を指でたどる。メイナは大陸の中央が海に削られ、大きくえぐられている。その両端にそれぞれ高い山があった。東・アルマイスに近い方の山が高峰、デイアベル。遠い方の山が、デイアベルほどではないが、それでもかなりの標高のレスメイア。デイアベルの峠を越えた先には北・風の大陸・マール行きの船がでているらしい、港町・エルマイス。レスメイアの先には、精霊の故郷・カデトへと向かう船がでている。ファドへと行くには、このどちらかの港町を通って、直接ファドへの船がでている大陸へわたる必要があった。
「どのみち、山の領域に足を踏み入れることになりますわ。そうでなければ、この深い森……」
 細い指が、デイアベルの西隣、海にえぐられた領域の空いた空間に行き着く。山と山の間を、深い森が覆っていた。
「この森も、いわくつきですから、それなりの注意が必要ですけれども」
 付け加えた言葉も耳に入っているか怪しいもので、ティアフラムは山に踏み込まなくていいとわかっただけでその道しか行かない! と駄々をこねた。
 ティアフラムを連れて行かなければそもそも、目的は果たせない。。森を指し示したファーに、少し恨みのこもった視線を向けながら、男ふたりは、深い森を通ってエルマイスの港へ行くことへ同意せざるを得ないのだった。
「旅費が余計かかるんだから、此処で稼いでおかなきゃ」
 エディが渋々と立ち上がる。自分の主張を通して満足しているティアフラムの方を面白くなさげに見遣った。しばらく考えて、それからおもむろに顔を近づける。
「……何よっ」
 これは何かあるなと短いつきあいでも、だんだんわかってきたティアフラムが、恐怖を感じて後退る。
「わかってるよね? 遠回りしなきゃならないのはティアフラムのせいなんだ。協力してもらうよ?」
 微笑みかけるエディ。後はもう、ここ最近の恒例、盛大な喧嘩に行き着く道しかない。遠巻きに見つめるデルディスとファーが、止める気力もなくため息をついた。
 

「お客さん、さっきから聞いていたが、本気であの森を通るつもりかい? 前々からあまりひとの通らない道だったが、最近は特に誰も通ることがないそうだよ。ひとがいるとしても、道の周辺には開拓村もまだ少ないしな。危険を冒しても急がなきゃならない理由があるとか、そういうものがあるなら話は別だが」
 客の少ない時間帯で、暇をもてあましていたらしい店の親父があきれ顔で喧嘩を見つめるデルディスとファーに話しかけた。カウンター席と酒をすすめる。
「俺としても、あんまり通りたくないんだがね。精霊のお嬢ちゃんの主張とあっちゃ、どうしようもないさ」
 大喧嘩を繰り広げるエディとティアフラムのほうを見やり、口の端を曲げる。
「ほう、精霊かい。珍しいねえ、自由に動ける精霊なんて」
 感心したように親父が頷く。
「最近、ジールヴェだって少なくなってきてね。昔は、この宿屋も精霊とひとの夫婦でそりゃあ賑わったものさ」
 懐かしげに昔を回想する親父の姿に、ファーもかすかに微笑んだ。
 

 話に乗るふたりに、親父は気をよくしたのか、さらに酒を勧めた。
「もしも港へ行くんだったら、急いだ方がいい。船乗りたちの話を聞いていると、この頃、予定通りに船が動かないことが多いらしくてね。着いたときにはもう、定期便が無くなってた、なんてお客もいるくらいだ」
 その言葉に、ふたりは眉根を寄せる。
「どういうことですの?」
 ファーの言葉に、はっとした様子で、親父は黙り込んだ。あまり大っぴらにいえないことらしい。
「親父、もう一杯くれ。今度は俺持ちだ」
 空いた杯をかかげる。ついでに親父にも一杯勧めた。
「ねえ、詳しく教えてくださらない?」
 ファーがさりげなく足を組みかえる。薄布に覆われた肢体が、かすかに透けて見える。
 ひとの好さそうな親父は、それに一瞬釘付けになった後、話したいという欲求に負けたのか、ゆっくり言葉を洩らしはじめた。
 

「どこもかしこもキナ臭い……か」
 アルマイスの街角に、注意深く目を配りながら、デルディスはそうひとりごちた。
 ティアフラムをようよう説得し、デルディス以外の三人は、街の広場で路銀を稼いでいる。デルディスはその間、先ほど宿の親父から聞いた話を元に、情報収集というわけだった。
『精霊のめぐみをなくした王家が、富を求めて争いをはじめようとしている』
 親父の話をまとめると、そういうことになる。
 代々、その大陸を守護する精霊の一族と、ひとの代表である王家は密接な関係にあるはずだった。その関係さえも崩れはじめているという。
 大陸王家同士の関係が悪化しているのもそのせいなのだろう。
「と、すると……港についても目的地につけない可能性もある訳か……」
 ずいぶんと旅しづらい世界になったな、と肩をすくめる……と。
「……何だあ?」
 さっきから、妙に何か引っかかると感じていた肩衣が肩をすくめたおかげで余計に違和感が増した。ひっかき傷でも作ったかと後ろを振り向くと。
「誰だ、お前……」
 ふわふわの髪の毛、身長はデルディスの三分の二にも満たないくらいの子ども。ちいさな、そしてずいぶんとみすぼらしい少女がそこにいた。着ている物もぼろぼろで、体のそこここに傷も見える。
「お前、迷子か?」
 しゃがみ込んで目線をあわせて話しかけた。
「……」
 少女は肩衣の端を握りしめたまま、無言。いつから自分の後を着いてきていたのだろう。まったく気づかなかった自分に苦笑しながら、もういちど問いかけた。
「迷子か? 名前は?」
 少女はそれでも、ふるふると首を振って、ただ黙っているだけ。
「困ったなあ……いきなりついてこられても、何もできないぞ?」
 頭をかきつつ、立ち上がる。少女の親が居ないかどうかと辺りを見回したがしんと静まりかえり、ひとっこひとり見あたらない。遠くに広場の喧噪が聞こえるだけである。
「こうしていても仕方ない、とりあえず……そのぼろぼろの格好をどうにかして、親、探さないとな」
 自分でも呆れるくらいだが、放っておく訳にもいかない。肩衣を放しそうにない少女を抱き寄せて、宿屋の方向へと歩みを進めた。
 一瞬、薄暗い路地の方に視線を向ける。誰か居るような気がした。注意深く、気配を探る。油断していて、後悔したことが何度もあったから、注意するに越したことはない。少女を抱き寄せたまま、剣に手を伸ばす。
 少女が、おびえたように身を寄せたそのとき、街角のあちこちから、ゆらり、気配の薄いひとではない存在が、姿を現した。

 

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