File.6「凪」 港、海からの穏やかな風は、ひとごみであつくなる市を程よく涼しい状態に保っていた。港町の中央に立つ市は、ひとびとの生活の源。必需品に混じって他の大陸からの珍しい品々もたくさんある。籠に入れられた小動物の大きな目にじっと見つめられ、それをはじめて見るティアフラムはきゃっとちいさく声を上げた。 「何、何か言った、ティー?」 声を聞きつけたらしいエディが、ティアフラムのほうを振り向く。 内心の驚きを悟られたくない彼女は、慌てて首を振り、物珍しそうにティアフラムを目で追う小動物のそばから離れた。 「もー! ひとが一杯っ! こんなとこに何しに来たのよっ」 ひとごみに揉まれながら、一行は市の中を進む。ひとにぶつからないように飛んでいたティアフラムが、疲れた、とファーの肩にのり、そうぼやいた。ちなみに、同じくひとごみは嫌いだと、メルディースは宿屋で休息を取っている。気配だけを薄くエディのまわりにめぐらせ、何かあったら駆け付けることもできた。 「これから船に乗らなくてはなりませんから、足りないもの、買い揃えておかなくてはいけませんの。いちど乗ってしまったら港につくまで降りる事ができませんもの」 「えー、自分で用意しなくちゃいけないの? 大変なのねえ」 なんと人間とは不便なものか。呆れたようなティアフラム。 「仕方ありませんのよ。みんな用意してくださるところもあるのですけれどね、たくさんお金がかかりますの。目的地など無い旅ですから、あまり無駄にお金を使うわけにはいかないの」 苦笑しながら理由を言うファーに、ティアフラムが頷く。ちょっと納得し難いところもあるが、まあ、仕方ないのだろう。 「次はどこにいくの? 何処への船?」 「次はね、メイナよ。地の恵み豊かな、山と森の大陸」 それを聞き、うーんと考え込んだティアフラムが、はっと思いついたように言葉を発する。 「あ。ねえ、目的地が無いんだったらファドに行こうよ! あたしの故郷だし、長老にあたしを預けるんならもうくっついて行かなくったっていいわけじゃない?」 さっきの、ファーの「目的地が無い」という言葉から思いついた考え。ファドは大地のほとんが砂で覆われた火の精霊の愛する地である。ティアフラムがなんて名案、と目を輝かせた。 「あたしも、あの気に食わないやつも自由。ほら、いい考え!」 嬉々として言うティアフラム。だがそれを聞いたファーは考え込む。 「ファド……そうですわねえ……」 「やだ、ファー、暑いのキライ? いいところなのになあ」 しゅんと沈むティアフラムに気付いたファーは、にっこり微笑む。 「そうではないのよ、わたくし、ファドは好きよ。エディたちと初めて会ったところでもありますし、ね」 懐かしそうに、そう告げる。もう、四、五年にはなろうか。 「キライじゃないなら、なぜ?」 買い物そっちのけで話しこんでいたふたりに、残るふたりが歩みを止める。話の内容をファーから聞くと、ふたりとも、表情を険しくさせる。 「ファド? とんでもない、ここからじゃ無理だ」 「いい案だと思うけど、こいつと離れられるなら、ね。けど、ここからファドって無茶だよ」 皆の表情は硬い。けれど、何がいけないのか、ティアフラムにはわからなくて、納得できない。 「何で無理なの!? そんなに遠いわけじゃないんでしょ、船もあるんだし。何がいけないのかわかんないわよ!」 思わず激昂しかけるティアフラムに、思いきり渋面を作るエディ。ティアフラムを思いきりにらみつける。その表情は「なにも知らないくせに」と言っているようだった。 「な……何よ何よっ! 何か文句あるの!?」 エディの眼光の鋭さに、ティアフラムは思わず後ずさる。 「まあまあ、エディ、抑えろ。……あのな、ティー。人間の世界ってのはこれでなかなか難しいんだよ、わかるか?」 今にも、またケンカをはじめてしまいそうなエディとティアフラムをやれやれと引き剥がして。デルディスが頭をかきつつ説明をはじめた。 「この大陸、レイラとお前さんの故郷、ファドってのはな、この頃急速に国同士の中が悪くなりはじめてな。……裏では他の大陸の工作だって言うんだがいまいちはっきりしない。と、こんなややこしい話は置いておいて。とにかく、レイラとファドは、表向きには交流がほとんど無いんだ。だから、ここからファドへはまともな船は出ていない。船があったとしたら、盗賊紛いのものか、思いっきり法外な値段を吹っかけられるかだ」 説明されつつもティアフラムの気持ちはおさまらない。 「何で、何で!? あたし、そんなの知らないわ! ねえ、あんたたちのそばから離れられないのよ、今のあたし。帰りたくても帰れないじゃない!」 ティアフラムにとって世界とか、人間とか、自分たちは、そんな難しいものではなくて。理解不能の話に、半狂乱になる。 「人間って、なんでそんなつまらない事で色んなものを無かったことにしてしまえるの!?」 思いっきり叫んだティアフラムを、ファーがやんわりと抱き上げる。 「仕方ないのよ、ティー。人間ってね、ほんの些細な争いですべてを無くしてしまう、儚いものなの……」 泣くのをこらえるかのように、目をつぶって。 ファーのその言葉に、かつて聞かされた彼女の過去を思い出し、エディもデルディスも黙り込む。あまりに悲しげなファーの言葉に、ティアフラムももう、それ以上何も言えなかった。 「……ここでこうしていても仕方ないわ。まず、予定通りメイナへ向かいましょう。そこから、ファドと交流のある大陸まで渡ればいいのですから」 つとめて明るくした声で、ファーが沈黙を破った。 「本当に、大丈夫なのですか? 従弟殿……」 海風が強く吹きつける船着場。出港の近い船に荷物を積み込む船乗りの声が騒がしい。 大きく白い帆を張った船の下で、メルディースは心配そうな顔を従弟に向ける。このままそばについて守護していたい気持ちが強い。だが……。 「使いが来たんだろ? メルの力が要るって。それなら、行ってあげなくちゃ。風の大陸も、今は大変みたいだね」 もうまもなく船に乗りこもうかというとき。風の精霊の若者がメルディースのところへ助けを求めに来たのだ。故郷で精霊を導く、彼の母親からの使いであるらしい。 曰く、『住める場所を無くして迷い込んできた一族の者を助けるために、帰郷して欲しい』と。代わりに、守護すべき愛し子には最高の結界を張りましょう、とも。 「大丈夫だよ、メル。船の中だし、きっと追っ手だってこないから」 「メル。何かあっても結界もあるんだろう? それに俺たちもいる。心配するな」 デルディスもエディに加勢してメルディースを説得する。 「もう、僕だっていつまでも子どもじゃないんだ、大丈夫だよ」 重ねてエディが言うと、ようやくメルディースもしぶしぶ納得し、海風に自身を乗せ、遥か故郷へと帰って行った。 「おいそこのふたり……じゃなかった、よく見たら三人か。そこでぼーっと町の方を見つめて何してなさるんで。誰かに別れを告げていなさるのかと思っていたが、どなたもいやしねえ。独り言ばかり呟いてる。……いったいどうしなさった?」 「え……? 誰もいないって、今そこにひと、いたじゃないか。……正確にはひとじゃないが。精霊に知り合いがいてね」 荷物を担いでいた船乗りが、一行を見て不思議そうに声をかけた。デルディスが代表してこたえを返す、が。 「精霊? 冗談言っちゃいけませんぜ、旦那。そんなもの、子どもの御伽噺の中の存在でしょう。本当はそんなもの、いませんよ」 からりと笑ってこたえた船乗りは、嘘を言っているようには見えない。はじめ、彼はなんと言ったか。確か、ふたり、と。エディがジールヴェだという事を差し引いても、そこにいないのだと感じる事は、普通の生活をしていればありえない。 「え、ちょっと待て、こいつが見えるか?」 驚いたデルディスがティアフラムを引っつかみ船乗りの目の前へともっていく。 痛いわねっ! ティアフラムがぼやく。 「……はあ、旦那、俺のことからかっていなさるんで? なあんにも見えやしませんぜ。ささ、もうすぐ船出だ、遅れないように乗ってくださいよ。精霊に気を取られて……なんて日にゃ、笑いもんですぜ」 「どういうことなの……」 ゆらり、ゆらり。穏やかな波にのせて、船がゆれる。その船室で、ぼんやりとティアフラムが呟いた。 「……精霊が、感じられなくなってる。無かったものに、なってゆく」 呟かれた言葉は誰のものか。 旅する中で、ここ何年か、奇妙なことが目立ち始めた。今までは精霊が『見える』ひとの方が多かった。だからこそ、ひとと精霊との交流も問題など無かった。けれど。 『見えない』ひとの数がとてもとても増えてきたのだ。 はじめから見えない子どもたちも多かった。そして、その親たちも『いない』ことに慣れてしまっていた。 ひとが住む場所を広げるたびに、精霊の住む場所が無くなってゆく。 今までは互いの領域を侵さないように、最低限の配慮はあったというのに。 「ねえ、どういうこと? 今まであんなにそばにいたのに、みんな無かったことになっちゃうの? ねえ、ねえっ!」 ティアフラムは、ひとが精霊から離れてしまっても、いつか、いつか、元の関係に戻れるのだと信じていた。見えるひとがいることを当然だと思っていた。 自分が『いない』ものだとされたことに、打ちのめされるかのような衝撃を感じる。 「それは……」 違う、と言いたかった。けれど、人間であるデルディスとファーでは、何を言っても実感のわかないものでしかない。 「いつか僕たちは……はじめから『いなかった』ことにされてしまうのかもね。精霊も、精霊とひとを繋ぐジールヴェも」 ため息とともに、あきらめにも似たエディの言葉。精一杯あがこうとしても、もう無理なのかもしれない。 デルディスもファーも、ただ押し黙るばかり。 部屋の外の風も、悲しげに動きを止めたかにみえた。 ……こん。 そんなとき。ちいさな音が船室に響いた。そしてまた。 ……こん、こん。 明らかに、自然の出す音とは違う。 こん、こん、こん。 はじめは遠慮がちに響いた音も、こちらの反応が無く、聞こえていないと思ったのかだんだん大きくなる。 「だ、誰?」 いきなりの音におびえるティアフラム。勇気を出して、デルディスが音のする、扉の方向へと歩み寄る。勢いよく、扉を開けた。 「うわっ!」 そこにいたのは、しりもちをついているちいさな少年。 「……なんだ? いたずらか?」 同じ旅行者の子どもだろうかと目線をあわせつつ、いたずらだったら容赦しないぞ、とデルディス。少年は、そんなデルディスの言葉に答えず、部屋の中をじっと見つめている。中空にふわりと浮かぶティアフラムのいるあたりを見て、目を輝かせた。 「な……何よっ」 見つめられたティアフラムが、狼狽える。その声に、少年は、ますます目を輝かせる。 「わあ、しゃべった!」 「何よ失礼ねっ! あたしがしゃべるのがそんなに不思議? おちびさん」 少年の反応が気にくわなかったのか、ティアフラムは恐怖心を忘れ、少年の方へずいっと迫る。 「ちびじゃないやい、そっちのほうがもっとちびなくせに。でも、ほんとにいたんだあ、精霊。良かったあ」 少年は、負けずに言い返した後、心底安心したかのように息を吐き出す。 「船に乗るときに、君の姿を見たんだ。母さんも父さんも見間違いでしょっていったけど、僕どうしても信じられなくて、部屋突き止めて来ちゃったんだ」 へへへ、と得意そうに笑う少年。その少年の頭を、こら、と軽くこづくデルディス。 「だからってなあ、いきなりひとの部屋に押しかけるのはどうかしてると思うぞ。今度はもうするなよ」 こづいた手を広げ、大きな手で頭をなでる。 「はーい」 「あなたはあたしが見えるんだ」 先ほど、あんなことがあったばかりだからだろう、嬉しい出来事にティアフラムの笑顔はすっきりとしている。 「うん、ばっちり!」 数分前とはうってかわって明るくなった船室に、エディは「単純」と苦笑を漏らし、後ろ手に扉を閉めて部屋を後にした。 ときは陽が水平線に落ちる、黄昏時。暗くなったところでは、ちらちらと星の瞬きが見える。穏やかに凪いだ海面が、陽を海面に映し、輝いた。 「もー、勝手に部屋抜け出して、デルもファーも探してるわよ」 後ろからティアフラムの声。妙なのに見つかったとエディは顔をしかめる。 「あの子どもは?」 「うん、両親のところに帰った。……あんな子がまだいるんだね、良かった。なんだかすごく嬉しくなっちゃった」 「そうだね」 「あら珍しい」 意外に素直なエディの答えに、くすりと笑いを漏らす。 「何だよ。……あんな子どもたちが一杯増えてくれたら、もしかしたら……未来は明るいのかもしれないね。……それまではがんばろうかな。きっと、それがジールヴェとしての僕の存在意義なんだろうし」 船の手すりに身をもたせかけてぽつりとつぶやく。 ふわ。ティアフラムはそんなエディの肩に乗り、 「あんたのこと、ちょっとは見なおしてあげるわよ」 ちいさなちいさな声で告げた。 「わあ! 見えたわ! あれがメイナね」 船は風の精霊に祝福されたのか、問題なく進み。 日が三度ほど沈んで昇った頃、水平線の彼方に新しい大地が見えた。 大地の知恵を秘めた、深い森と厳しい山の続く大陸、メイナ。 その地では、いったい何が待つのか――。 第1部《水の大陸レイラ編》 了 第2部へ続く |
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