File.40「その身に眠る義務」


「ねえ、メル。あなたいちど、エディから離れたほうがよいのではなくて?」
 ためらいがちに、ファーが言葉を発した。エディのことにこだわりすぎて、メルディースは他の事柄に眼を向けていない。これでは、よい方向へ向かうはずがない。
 考え込んでいたメルディースは、ファーのその言葉にはっと顔を挙げ、苦しげな顔をする。
「いいえ、それは……それはできません。私は、従弟殿の身を何よりもまず守らなくては。それが……」
「約束、だから?」
 言葉を引き継いだファーが、静かな怒りのこもった視線をメルディースに向ける。
「メルディース」
 ファーは、普段のやわらかな声とはうってかわって、鋭さを秘めた声を出した。呼ぶ名も、普段のように親しみを込めて略したものではない。それが、彼女が本気で怒っていることの証だということに気づき、風精霊は驚きの表情を浮かべた。
「いい、メルディース。エディのお母さまがあなたに『エディを守れ』って仰ったのは、あなたにこういう事をして欲しかったから? エディのお母さまが、風精霊の滅びを望んでいたから、だからあなた方も滅びを望むの? 違うでしょう」
「それは……」
 ファーの剣幕に気おされながら、メルディースはできうる限りの反論を試みようとした。しかし、はっきりとした言葉にはできず、口篭もる。

「それにね、いくらエディが大事だからといっても、彼はただのひとりのジールヴェにしか過ぎないでしょう。同じ一族だとはいえ、優先されるべきはたったひとりのジールヴェより他にあるはず。あなたはいずれ、風の一族の一番上にたたなくてはならないわ。あなたのお母さまの跡を継いで。そのあなたが、そんな私的な感情で一族すべての未来を決めてもいいの? 滅びを選ぶのは勝手だわ。けれど、あなたの守るべき風は、導くものを失ったとき、どうすればいいの?」
 我ながら、酷なことを言っているとはファーも自覚していた。しかし、誰かが指摘しなければ永遠に、変わることはないだろう。導くものがいなければ、ひとも精霊も迷ってしまう。その力の使い道もわからないまま、暴走してしまう。上にしっかりと力あるものがいればこそ、今の世界は安定しているのだ。
 導くものがいなくなったときどうなるか。それは、この大陸の現状を見れば明らかだ。
「あなたの身に流れる大きな力には、それと同じだけ大きな責任があるの。忘れてはだめ」

 ひとと精霊と、種族は違うとはいえ、ファーはかつて、高貴なる一族のひとつに数えられる家にいた。だから、力に応じて、その身にかかる責任というものを幼い頃からそれはもうじっくりと教えられてきたのだ。ゆえに、そんな自覚の乏しいメルディースの行動に、不安を覚えずにはいられない。
 このところ、不安定さが増していたエディと同じように、この風精霊も以前に比べて均衡を失いつつあるように思える。
 エディに引きずられるようにしておかしくなりはじめたメルディース。彼がもしこの状態のまま、長の座を継いでしまったらと思うと、ファーは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「メルディース。このままだったら、エディにも、そしてあなた自身にも、ためになることはひとつもありませんわ。だから、しばらくエディから離れて。頭を冷やしたほうがいいと思いますのよ、わたくし」
 もういちど、ファーは今度は幼い子どもに言い含めるようにしてメルディースに語りかけた。風精霊のゆれるひとみをしっかりと見据える。
 優しさを持ちながら、それでいて強い視線がメルディースを射る。思わずひとみをそらしかけたメルディースは、意外なほどに強い、ファーの手によってその動きを遮られた。
「逃げてはだめ!」
 細くしなやかなファーの両手が、メルディースの頬を支える。
 両手にはさまれる形になって、身動きの取れなくなったメルディースは戸惑いの表情を浮かべた。
「ファー……」
「逃げてはだめよ、メルディース。考えて。どちらが本当に良いことなのか。あなたなら、わかるはずですわ」
 金色のまなざしは、避けることを許さない。美しい彼女のひとみが、まるで鋭いナイフのように自分の身を切り刻むように、メルディースには感じられた。

 風の中に消えた、金色の少女。最期の声がかすかによみがえる。
 本当に、彼女の約束を果たせるとしたら――。


「わかり、ました……」
 のどの奥からしぼり出すようにして、ひとつの結論が導き出された。
 本音を言うなら、もちろんエディの側から離れたくない。しかし、エディと風の一族との関係に、だんだんとゆがみが生じてきつつあるのは目を背けがたい事実なのだ。
 母が何も言わないのをいいことに、メルディースは自らの責務を放棄しているに近い状態だ。地の大陸ほどではないけれど、風の大陸も荒れている。
 地の精霊の長、アルフェリシアの身に起こったのと同じ悲劇が、母に起こらないとも言い切れない。その悲劇がもし現実になってしまった場合、風の一族の導き手はメルディースだけだ。
 エウレリアへの思いに囚われて、自由なはずの風はいつしかよどんでしまった。さわやかに流れる風を、彼女は愛していたというのに。

「しばらく、今度こそ本当に、私は従弟殿から少し離れます。自らのなすべきことを、まずしなければ。それに、このままでは今の私は、ただの足手まといですからね。……ですがファー、お願いがあります」
 いまだ迷いの残る表情で、メルディースは踊り子に視線を向ける。
「なに、かしら」
 風精霊が、どうにか頼みを受け入れてくれたことに安堵したファーが、言葉に首をかしげる。
「従弟殿を、どうかお守りください。やはり彼は、私たちにとって、何にも代えがたい絆の証なのです。ひとと、私たちとが共に歩んだというしるしなのです」
「もちろんよ、メル。エディは私たちの大切な仲間ですもの。見捨てたりしませんわ。かわいい、弟のようなものなのですから」
「……聞くまでもないことでしたね。お願いします」
 ようやくやわらかな表情になったメルディースは、礼を述べるようにひとみを伏せた。


「やっぱり、寂しいもの?」
 エディのもとを去ることに決めたメルディースだったが、風精霊は従弟の姿を名残惜しそうに眺めたまま、次の行動に移らない。ファーはそれを気遣うように、そっと声をかけた。
「……ええ、少し、こころ細いといったらいのでしょうか。おかしいですね、守られていたのは彼のほうなのに」
「守る対象がなくなって、こころ細いのかしら」
 自嘲気味に呟くメルディースに、ファーがおどけて言葉を付け加える。
「でも、もうエディに守りなんて必要ないかもしれませんわよ。この子はいつも反発してばかりだもの。それよりね、むしろわたくしやミュアを守ってほしいものだわ」
「あなたを、ですか?」
 突然の申し出に、メルディースは目をぱちくりと見開いて驚いた表情をした。踊り子の顔には笑いが浮かんでいて、彼女が本気でないことはわかる。
「そうよ。か弱い女の身で、エディたちに振り回されて。ねえ、代わりに守ってくださる?」
 あなたを守る必要なんてどこにもないではないですか。メルディースは言いかけたけれど、口の端を笑いの形に変えるにとどめた。それを見て、ファーの顔も花のようにほころぶ。
 ファーの気遣いが、メルディースにはうれしかった。少し、普段の余裕が戻ってきた気がする。
「……考えておきます」
 貴婦人に対する礼をして、深く息を吸い込んだメルディースは、風と共に深い夜の闇に消えていった。

 

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