File.39「あなたのいない世界」 「ただひとり愛したひと……? メル、あなたとエディは、ただの従兄弟ではないの?」 メルディースの言葉に、どことなく納得のいかない気持ちを覚えたファーが、風精霊に尋ねる顔をした。確かに、ただの従兄弟、同じ力を持つ一族の関係にしては、メルディースの行動に納得のいかないものが多い。 彼の身に何かあることを、異常なまでに恐れている。 事情などもちろんファーにはわからないが、メルディースのこの様子は、ファーのこころすら重くさせるほどの力を持っていた。口には出せない苦しい思いが、胸をふさぐ。 ファーの視線に気づいたメルディースは、かすかに苦笑いをしてみせた。 「従兄弟殿の両親は私の伯父夫婦です。もともと風の一族を継ぐはずだった伯父は、人間の少女に出会ってその地位を捨て、そうして従弟殿がうまれました」 その詳しい事情は省きますがね、と言い置いて、メルディースは言葉をつづけた。 「従弟殿の母君エウレリアは私たち、風の一族にとって一番好ましいひとの容《かたち》をそなえていました。思わず力すべてを捧げてもかまわないと思えるくらいに、ね。そして……私は、彼女をただひとりの存在として想うようになりました。彼女が伯父とこころ通わせていることも知らずに」 遠いまなざしをした風精霊を、ファーは息をのんで見つめる。エディと知り合い、そして彼を知るようになってからもう五年も経つが、そんな感情をかけらも、メルディースは話すことがなかったからだ。 それは庇護されるべき、当のエディすらも知らない真実なのだろう。 「私の想いは叶えられることはありませんでした。彼女は私の想いを連れ去ったまま、姿を消して……。最後に出会ったのは、彼女の死の瞬間でしたよ」 ひとの苦しい片恋というものを、知ることになるとは思いませんでしたよ、と後悔と想いのかけらをはき出すように、深い息をついてメルディースが言った。 目を閉じたメルディースは、遠い過去を思い出す。血に濡れたおもいびとの、最後の瞬間を。 「まさか……それは、エディが連れ去られたという……」 すべての運命を狂わせることになったひとつの出来事。ファーを含め、今、エディたちが此処にいることの、すべての発端でもある。 「ええ、そうです。あのときから、従弟殿は影の身となり、彼女と伯父は永遠に失われました。私に、ひとつの約束をさせて、彼女は消えたのです。どうか従弟殿を守ってほしい、と」 「メル……」 それからずっと、この風精霊の青年は、その約束だけを胸に秘めてきたのだ。連れ去られた従弟を、死にものぐるいで探し求め、守ることをその使命として。 夜の闇にぼんやりと、ファーとメルディースの姿が浮かび上がる。その傍らで、眠りつづけるエディは、確かに過去の命を受け継いでいるように、メルディースには思えた。 こころの中に住み続ける少女の幻が、エディを守って、となおもささやきつづけている。その声を無視することは、メルディースにはどうしてもできなかった。 彼女がいたこの世界で、彼女の血を受け継ぐものがいる限り、風は此処にありつづける。それが一番、風に愛された彼女に向けるにふさわしい約束であるように思われた。 メルディースの横顔を見つめていたファーは、言いしれぬ憤りを彼に対して感じていた。 何よりも自由に流れるはずの風なのに、自らの意志でその動きを止めている。風の本質を失ってもなお、彼らを此処に縛り付けるのは、ひとりの少女の存在だ。 その少女はすでに存在しない。彼女の血を継ぐものがいるとはいえ、それは彼女自身ではあり得ない。彼らの愛した少女は、もう何処にもいないのだ。 確かに、少女はエディを守ってくれと言ったのかもしれない。でもそれは、自分を犠牲にせよということではなかったはずだ。 いつになく頼りない様子の風精霊に、ファーは腹を立てていた。 こんな様子では、エディの母も安心していられないだろう。風の滅びの原因が自分にあると知ったなら、耐えられるものがいるだろうか。 「あなたは馬鹿よ、メル。そんな……そんな過去にとらわれて後ろ向きのままなんて。エディよりたちが悪いですわよ。エディは今、過去と必死に戦っているわ。こころを閉ざしてしまってはいるけれど、でも、あきらめてはいないと思うの。だからこんなに苦しんでいますのよ。あなたがそんなに弱気で、どうしますの」 過去にとらわれること、それは誰もが逃れることの難しい、重い鎖だった。ファーだって、本当はこんなことを言えた義理ではない。けれど、後ろ向きなまま、前を向く意志もないメルディースを見ると、いらいらする気持ちを抑えることができない。 「わかっては、いるのです」 丁寧な言葉であるが故になおさら、ファーの言葉は彼に鋭く突き刺さった。理性では、ちゃんとわかってはいるのだ。 地の精霊の聖地でファリウスと交わした会話の中、本当にこれでいいのか、と自分に答わずにはいられなかった。 けれど、こころはそう簡単なものではない。 メルディースの中では、かなえられなかった恋心と伯父やエウレリアを救えなかったこと、エディを守りきることのできなかったことがこころの中で入り乱れる。変わりはじめたこの世界と風精霊の未来を思う気持ちとが相まって、気が狂いそうになるほどの思いを生み出していた。 「わかってなんか、いませんわ。わかってなんか……。エディが今のことを知ったら、どう思うのかしら。あなたのことをとても頼りにしていますのに。どうして、自分で滅びを選ぶようなまねをするの? 失うのはいやだって、エディがあれほど言っていましたのに。エディのお母さまだって、絶対そんなことは望んでいないわ」 わかっていると言いつつも、決して自分の主張を譲らないだろう頑固なメルディースであることを、ファーもわかっていた。迷いつつも結局、彼は自分の意志を曲げてはいない。 言葉を重ねるうちに、ファーの声には涙が混じった。理不尽すぎて、納得がいかない。うまく言い表すことはできないけれど、くやしいのだ。 あかりにうつるファーの顔に、涙が光る。 気丈なはずの彼女の涙に、メルディースはうろたえたように見えた。 「前を向いて、お願いですわ。自由な風だから、どうかちゃんと前を向いて。想いは消えませんわ、でも……。どうかそれを何時までも、こころの中に閉じこめたりしないで。解放されない想いは、色を変えて枯れていきますわ。そんなこと、あなたも望んでいないでしょう?」 「ファー……」 ひとみの色は違う。それに、まっすぐなファーの髪は、緩やかに波打っていたあの少女のものとはやはり違う。それでも、明かりに光る金の髪が、失われた少女とかぶった。 声すらも違う。けれど、まるであの少女が、ファーの口を通して言っているのではないかという錯覚を、メルディースに起こさせた。 「メル。もういいのよ。苦しいかもしれないけれど、どうかその想いを解放してあげて。過去に縛られて、見えなくなっていたものを……本当に見なければいけないものを、見て」 濡れたひとみがまっすぐに、風精霊を見つめる。 いたたまれなくなってひとみを閉じても、強い光は消えることがなかった。 |
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