File.38「こころの中にうつるひと」


「ああ、リアンだ。彼女に聞けば、エディを助ける方法が見つかるかもしれない」
 ティアフラムがあげた声にデルディスが頷く。それが、今考えられる最後の手段だ。
「でも、リアンってあの港町のアルマイスにいるんでしょう? 遠いわ。しかも、こんな状況じゃ、どこかに逃げてて行方がわからないかもしれないわよ」
「それは俺も考えた。でも、他の大陸じゃないだけ遥かにましってもんだ。それに、もうこれしかないんだ。リアンが助けてくれるかもしれないって可能性にかけるほかには、もうないんだ」
 眠りつづけるエディを見やり、悔しそうな表情を浮かべたデルディスが、胸のうちを吐き出すようにそう言った。
「そう……だよね」
 そんなデルディスに、ティアフラムもただ、頷くしかできなかった。


「え、そんな方がいらっしゃるのですか。それはこころ強いですね。しかし……アルマイスが無事だといいのですが」
 書類の山に囲まれて、押し寄せてくる仕事と格闘していたアルフォークは、息せき切って駆け込んできたデルディスの言葉に目を丸くした。
 現在メディス家の客人であり、またこの大陸の恩人であるところのひとり、エディの容態は彼もひどく気になっていたから、その知らせは悪いものではなかった。むしろ、これでエディが助かるのであれば、とても嬉しい。
 それでも、とアルフォークは表情を曇らせる。
「アルマイスも、精霊の怒りでだいぶ打撃を受けたと聞いています。しかもそのご婦人はジールヴェ。息災でいらっしゃることを祈るばかりですね」
「ああ。だが、今は行くしかない。それしかないからな。急ぐしかない。それで頼み事があるんだが……。エディ、それにファーとミュアはおいていかなきゃならないんだ。申し訳ないが頼めるか?」
 エディはもちろんのこと、疲労が極限にまで達しているファー、それに幼いミュアには、無茶なこの道行きにはつれてゆけない。後でファーには怒られるだろうが、仕方が無い。
「はい、それくらいはお安い御用です。そのかわり、早くエディさんを救う手がかりを見つけてきてくださいね」
 ここしばらくのごたごたで、急に成長したかのような雰囲気をまといはじめた青年は、お任せくださいと胸をたたいた。

「いい。あのお坊ちゃんにだけに任せておけないんだから、あんた……えっと、ディラもしっかりエディやファーたちのこと見ておいてよね。お願いよ」
 見送りに出たディラの方を、鋭い目つきで見つめてティアフラムが言う。
 ディラの横にいたアルフォークはどう反応していいものやら、曖昧な笑みを浮かべている。頼りないのは事実だが、こうも面と向かって言い放たれるとは。
「はい、ティーさま。私、頑張ります!」
 いちど本音を言ってしまったからか、ディラは臆することなくティアフラムの言葉にこたえる。ディラのこえに、満足したように頷くと、ティアフラムはデルディスに出発を促した。
「わかってる。……ほら、ミュア。俺たちはそろそろ行かなくちゃならない。エディを助けるためなんだ。危険だからつれてはいけない。わかってくれるよな?」
 デルディスが困って視線を下げた先には、マントの裾を握りしめて目をうるませた、幼い少女の姿があった。
 例によって例のごとく、デルディスと離れたがらないのだ。ため息をついて、デルディスがミュアの前にしゃがみ込む。
「ミュア。今度だけは本当にだめなんだ。急いで行って、帰って来なくちゃならない。お前を連れて行ったら、手遅れになってしまうかもしれないんだ。ちゃんと帰ってくるって約束する。だから、な?」
 どうしたものかと重いため息が止まらない。デルディスの言葉を聞いてもなお、ミュアは目に涙をためて、首を横に振るばかりだ。デルディスと少しでも離れることが、不安でたまらないといった様子だ。
「ミュア、離してくれるな?」
 指の色が変わるまで、力一杯に握られたマントを、デルディスは少しずつ引きはがしていく。そのたびに、拒否の意志を示すのだろう、か細い悲鳴が少女の口から漏れた。
「デルディスさん、その子、私がお預かりします」
 見かねたディラが、ミュアをふわりと抱え上げた。驚いたミュアが思わず手をぱっと離すと、それを見計らったようにデルディスがマントを引いて、整えた。今度は安堵の息をついて、ディラに感謝を述べた。
「ありがとう、助かった。いろいろ、本当に迷惑ばかりかけてしまって申し訳ないよ。よろしく頼む。……ミュア、必ず戻ってくるからいい子にして待ってるんだぞ」
 デルディスは抱えられたミュアの頭を軽くなでて、せかすティアフラムの方向に振り向く。
「行くぞ、ティー」
「わかってる! 急ぐわよっ」
 頷きあったデルディスとティアフラムは、そろってメディス家の門へと急ぐ。
 彼らの姿は、あっという間にアルフォークたちの視界から消えていた。
「行って、しまわれましたね」
「そうだね……何とかなるといいのだけれど」
 これからどうなるのか、まったく先が見えないのに、焦りばかりが募ってゆく。そのせいか、アルフォークは重い気持ちを抱えていた。
 泣きじゃくるミュアをあやしているディラの方が、よほど落ちついているようだった。少しも動じていないようにすら見える。何時の間に、頼りなかったはずの少女がしっかりと立っている。少女をあやしている姿が、母の姿とだぶった。
「大丈夫です、アルフォークさま! みんなで頑張れば、絶対何とかなるんです」
 それは、アルフォークからすれば、根拠のない、気休めのように思われた。しかし、明るく強く、言い切ったディラを見ていつの間にかアルフォークは何とかなりそうな気がしてきた。彼女のおかげだろうか。
「アルフォークさまっ。お屋敷に戻りましょう。お仕事、また山積みになってしまいますよ!」
 華やかに振りかえるディラが声をかける。彼女がいるなら、これからもうまくいくかもしれない。アルフォークは改めて、自分の気持ちを自覚していた。この事件が、自分の気持ちをますます強くさせていく。
 すべてうまくいくといい。眠りつづける旅人を思い、アルフォークは誰にともなく祈った。


 闇の中にほんの少しだけ明かりがともった。それは、その場に現れた青年自身の発する光であり、彼の今の状態を表すように、淡く、弱々しい。
 青年の細い指が、眠るエディの方に伸びる。しかし、触れるのをためらったのか、青年のまとう風が、エディの髪を揺らすだけにとどまった。
「どなたか、いらっしゃいますの?」
 ふいに扉が開けられ、部屋の中に声が投げかけられた。ついで、燭台を手に持ち、さらりと衣擦れの音を立てて、おずおずと中をうかがいながらのファーが入ってくる。泥のように眠り込んで、気がつけば誰もいなかった。起きてしまうと、エディの様子がどうしても気になって、とっぷりと暮れてしまった今、こっそりと彼の部屋へと来たのだ。
「……まあ、メル。あなたでしたのね……」
 かかげられた明かりの先にうつるのは、やつれきった顔をした風精霊のメルディース。自身を射る光に、まぶしそうに目を細めたあと、あなたでしたか、と安堵したように息を吐き出し、緊張を解いた。
「此処にいらっしゃって大丈夫ですの? まだ起きあがるのだって、この大陸ではつらいのでしょう。……戻りたくない気持ちはわかりますわ。落ち着いて眠ってなんていられないのはわたくしだって同じ。でも、あなたまで何かあったら、目覚めたエディは苦しむわ」
 今にも倒れて消えてしまいそうなメルディースに駆け寄って、彼の体を支える。ファーにすらわかるほど、メルディースは消耗しきっていた。
「……わかっては、いるのです。けれど、自分の気持ちを抑えられないのです。彼に、エディに何かあったら、私はエウレリア……いえ、彼の両親に、申し訳が立ちません」
 エディを守るのが、私の愛したただひとりのひとの、最期の願いなのに。
 呟くメルディースの声は、ファーのこころに重い響きを伴って影を落とした。

 

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