File.36「うらはらなこころ」


 ファーとデルディスが姿を消すと、そこにはティアフラムだけが残された。
 いつもだったらファーについて行くのだが、今は他のことでこころがいっぱいだったのだ。
 ティアフラムはしばらく、宙に浮かんでなにやら悩んでいたようだが、ふと顔を上げると、扉の方へと飛んでいった。
 自らが精霊であることに感謝しつつ、閉まったままの扉を通り抜けると、屋敷の使用人たちがせわしく駆け回る中をどこかへと飛んでいった。


「大丈夫なのかしら……」
 元々黙って寝ていられない性格なのと、ずいぶん体調も元通りになってきていたのもあって、ディラは使用人に混じり、屋敷の仕事を手伝っていた。なんといっただろう、ディラよりよほどこの豪華な屋敷にふさわしい雰囲気の踊り子が、癒しの力をかけてくれたせいかずいぶんと調子がいい。
 大事なひとであるアルフォークは、彼女に無理をしなくてもいいよと言ってくれていたのだが、周りの目が痛かった。寝ているときだって、何度出て行けといわんばかりの視線を向けられただろう。
 少しでも役に立つところを見せて、アルフォークにこれ以上の迷惑をかけたくなかった。
 今は、運ばれてきたここの主人や高貴なる方々のためか、屋敷はひどい人手不足だった。故に、使用人たちは不満を胸に抱えつつも渋々ディラを受け入れてくれた。
 彼女は今、運ばれてきた病人を休ませている部屋の前に立っている。つい先ほどまで、あの踊り子がいたところだ。
 アルフォークを救ったという旅行者が、こころに傷を負い休んでいるのだという。
 体力の消耗は激しいものの、回復の光が見えてきている他の者と違い、彼は予断を許さない状況だということだった。体ではなく、こころの方が回復することを拒否しているのだという。
 彼女がここにいられるのも、彼をはじめ、旅の一行のおかげだった。アルフォークと自分の命の恩人なのだ。だからどうしても気になってしまう。
 何もできない悔しさを感じながら、ディラは扉の前に立っていた。

「あら、あんたあのお坊ちゃんの……。こんなところで何してんの?」
 突然自分に向けられた声に、ディラが驚いて振り向くと、そこにはひとの肩に乗るほどの、小さな赤い人型あった。
 さほど高くない身長であるディラの、ちょうど目の高さにふわふわと浮かんでいる。
「ま、まあ、これは炎の雫の姫君。し、失礼します、ごめんなさいっ」
 ただの村人であるディラにとって、人型をとれるほどの精霊など、そうそうお目にかかれるものではない。見ることなど、ましてや言葉を交わすことなど考えられないのだ。
 ひたすら恐縮してその場から立ち去ろうとしたディラを、ティアフラムはひどく機嫌を損ねた様子で引き留めた。きびすを返したディラの目の前に素早く飛ぶ。
「気に入らないわねっ、あんた。あたし何かした? 何で逃げるのよ」
 腰に手を当てて、元々きついまなざしをさらにつり上げてディラに視線を向ける。
 ティアフラムは、こういう人間の振るまいが、実は一番気に入らないのだ。もちろん、それなりに大事にしてもらわなくては困る、とは思っている。エディのような、精霊を精霊とも思わない振る舞いなど論外だったが、しかし、ディラのようにまともに扱ってもらえないなどというのも気に入らない。
 精霊の出自を知ってもなお、ティアフラムはひとに対して無茶なほどの要求をする。はなはだはた迷惑なわがままではあったが、長年の思いこみというのはそう簡単には変えられないのだ。
「すみません、ごめんなさい、許してください」
 急に怒りはじめたティアフラムを見て、ディラはますます青くなり、ただひたすらに謝罪を繰り返した。自分の対応にどこかまずいところでもあったのだろうか。彼女は、他の大多数の人間がするようなことをしただけだというのに。なぜ怒られるのかがわからない。
 精霊に直に接し、言葉を交わすことができるのは王族や召喚士たちのような、住む世界の違うようなひとびとだけ。自分のようなとるに足らない人間には許されないことだ。
「あんたがそんなだから、あのお坊ちゃんだって苦労するのよ。わかってんの?」
 ひたすら謝るディラを見て、ティアフラムがおもしろくなさそうに言葉を投げつける。
 この屋敷にディラが駆け込んできたときは、勇気があるわと感心したのに、屋敷の人間にあることないことをさんざんにいわれつつも、黙っている彼女を見たとたん、それは失望に変わった。
 自分で自分の誇りを守れないなど、ティアフラムにとっては考えられない。
 これで、アルフォークが彼女を娶るということにでもなれば、アルフォークもディラも、ひどくまずい立場におかれるだろうということは、いくら世間知らずのティアフラムでもわかる。ファーも、ティアフラムほど過激ではなかったが、ふたりの未来を心配していた。
 初めのうちこそアルフォークもディラを守るだろうが、彼女にばかり時間を割くわけにもいかないだろう。ゆくゆくは、彼女がこの屋敷を取り仕切らねばならなくなるはずなのだ。
 こうやってティアフラムが激しく視線を向けていても、ディラは反抗的な態度を示すことなく、黙って耐えている。
 今、メディス家はとても微妙な立場におかれている。メディス卿が王位に就くことにでもなれば、アルフォークは第一の王位継承者なのだ。
 その彼の后ともなれば、要求されることは数多いはずだ。
 間違っても、ティアフラムの目の前でうつむいている少女になどつとまるものではない。
「あのお坊ちゃんって本当にお坊ちゃんなのね。あれで近衛だなんて信じられない。本当に今の自分の立場、理解してるのかしら。先が思いやられるわ……」
 誠実そうではあるが、政治的な駆け引きなどまったく考えたことのないだろう、騎士の青年の姿を思い浮かべてティアフラムはため息をついた。
「……です」
 と、ティアフラムのため息に隠れるようにして、小さなディラの声が聞こえた。
「あんた今、何か言った?」
「アルフォークさまは素晴らしい方です! いくら精霊さまでも、これ以上あの方のことを悪くいわないでください! 私のことだったらいくらでも耐えます。でも! アルフォークさまはとってもいい方なんです。本当なら言葉も交わせないような身分の私を大切にしてくださって、村人のこころを思いやることもできて、す、素晴らしい方で……っ」
 顔を真っ赤にして、時々精霊に対する恐怖に震えながらも、ディラは抑えていた言葉を口にした。精霊の怒りに触れたら、ただの人間であるディラなどひとたまりもない。
 けれど、アルフォークについてだけは、どうしても我慢ができなかった。一息に言葉をはき出すと、荒い息をつく。精霊の反応が怖くて、顔は上げられなかった。

「……なあに、言おうと思えば言えるんじゃない、あんた」
 だから、沈黙の後発せられたその拍子抜けするかのようなティアフラムの言葉に、ディラは驚きを隠せなかった。思わず顔を上げて、ぱちくりと目を見開く。
 その反応にあきれたのか、ティアフラムはため息をつきつつディラの目の前を飛ぶ。腰に手を当てているその姿が、緊張しすぎたディラのこころには少し滑稽にうつった。
 思わずくすりと笑いかけ、ティアフラムににらまれて慌ててそれを引っ込める。
「あたしも、別にあんたを取って食おうって訳じゃないのよ。普通の精霊なんだもの、そんなことはしないの。あんたが必要以上に縮こまる、その態度が気に入らないの、わかる? あんたがそんなだから、この屋敷でも言われ放題、あのお坊ちゃんだって苦労してるんじゃない」
 今、周りに旅の仲間がいたなら、ティアフラムの意外にもまともな言葉に驚いたかもしれない。非常識な言動の目立つ彼女であったが、すべてが人間の感覚からずれているわけではないのだった。
 ディラは、ティアフラムの口から休みなしに発せられる言葉にあっけにとられて、ただ刻々と頷いている。
「あんたがね、言いたいことも言えない、ただ黙ってるだけの人間だったら、あのお坊ちゃんのためにはなんないわよ。それが嫌なら、今あたしにしたようにどんどん言えることは言った方がいいの。……でも、一応見直したわよ。もっと自信、持っていいと思うわ」
 挑むように、顔をぐっと近づけたティアフラムの言葉に、ディラはようやく、普段の表情を取り戻すことができた。

「……それで、炎の姫君、どちらへ向かわれるところだったのですか?」
「ティーよ。ティーって呼んで。本当の名前はもっと長いけど、教えるわけにはいかないのはわかってるわよね。特別なんだから。いい? それ以外で呼んだら許さないわよ」
 仰々しい挨拶は嫌いよと、半ば命令するかのような、相変わらずの口調でティアフラムは言い放つ。また怒り出されてはかなわない。ディラは反論もなしに頷く。そして再び、どうしてここに来たのかを尋ねた。
「ちょっ……ちょっと用事があっただけ。引き留めて悪かったわね、じゃね。行っていいわよっ」
 待ちなさいと言っておいてかなり自分勝手なティアフラムは、そういうと大きな扉の中に姿を消した。かなり落ち着きを欠いた様子の彼女の姿に、見送るディラは首をかしげる。
「……ティー、さま? あ! ティーさま、そこは立ち入り禁止で……!」
 一瞬の後、ティアフラムが姿を消したのがあの旅人の寝込んでいる部屋だと気づき、ディラは慌てて彼女の後を追った。

 あまり刺激を与えないようにと薄暗いままの部屋の中央、寝かされている銀の青年のそばに強い光があった。先ほど扉を抜けたばかりの精霊の少女だ。少女の放つ光が唯一の部屋の明かりのように、ゆらゆらと天井に陰を作る。
 少しも動かない青年の顔にも揺らめきを投げかけて、ティアフラムは先ほどとはうってかわって、ひどく心配そうな表情を浮かべている。
「……あんたがそんなだと、あたしもどうしていいかわからないじゃない。いつものあの偉そうな表情はどこいったのよ。……ばかっ」
 心細そうな、今にも泣きそうなその顔が俯く。
 口ではなんと言おうが、青年のことをこころから心配している姿を見て、ディラは何も言えず、きびすを返して部屋を後にした。

 

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