File.34「幼いこころ」


 なおも青年は楽しげに話を続けた。明るい金色の髪が、部屋に入ってくる日差しを受けてきらきらと輝く。その間に浮かぶひとみはどこか空虚さを漂わせていて、表情とのあまりの差にエディは眉をひそめた。
 実態も気配も薄いジールヴェ。それを身をもって証明しているかのようだ。
「なぜ、あなた方は精霊にまで刃を向けたのです。依頼どおりならば、アルフェリシアさまに危害を加える必要などなかったはずです」
 ひとを愛し、守護する精霊。その恵みは等しく皆に与えられる。その精霊まで滅ぼしてしまおうというのは無茶な考えに過ぎる。どう間違っても、為政者の考えるべきことではないはずだ。依頼人が誰かはわからないが、彼らがそれを願ったということはありえない。
 とすれば、地の精霊の長の命を奪ったのは、金の青年が言うように影の意思だろう。
 しかし、それでは疑問が残る。彼らがなぜ、精霊にまで刃を向けたのかということだ。影は依頼者の依頼を請けて動く。それ以外には動かない。彼らの意思が行動に混じることは、今までなかった。彼ら独自の行動といえば、せいぜい親許にあるジールヴェを連れ去ったり脱走者の消去ぐらいのものだ。
 誰にも見つからない世界で、ひそやかに行動を続けるからこそ影といわれていたその組織の、いまさらの方向転換に不信感を隠せない。
 この世界に属さぬものたちが、自らの意志で動き始めたとき、この世界はいったいどうなってしまうのか。

 メルディースの、深い怒りを秘めた声が青年に届くと、彼は乾いた笑いでそれを受け止めた。
 空虚な、ガラス玉のようなひとみをめぐらせてエディとメルディースのほうを見る。
「もちろん、ぼくたちの目的のためだよ、次期長殿。精霊の恵みなんかいらない。精霊なんかいらないから行動を起こした。それだけだ」
 色素の薄い肌に映える唇が、にぃっと笑みの形に変わる。あまりに腹立たしいそれに、エディの抑えていた感情がはじけた。
 メルディースには劣るものの、やはり鋭い風が部屋の中に吹き荒れる。
 風の鎖の戒めを受けたままの青年が、風に引きずられるようにその身を中に持ち上げられる。
「いけません、従弟殿!」
 自身も正気を失いかけていたことに気づき、我に返ったメルディースが叫ぶ。
 しかし、エディの力を抑えようと力を開放するより、青年の身が部屋の壁にたたきつけられるほうが早かった。すさまじい音とともに、壁の一方に青年の金の髪が広がる。
「従弟殿!」
 メルディースがようやくエディの力の暴走を止めると、青年は支えを失ったかのように床にくずおれた。エディが怒りに任せて放ったその力は、青年をたたきつけた壁にまで影響を及ぼしていた。すきま風を防ぐ目的で張り巡らされていた部屋の幕が、そこだけずたずたに切り裂かれて石積みがあらわになっている。その石積みさえも、ぱらぱらとかけらをこぼしていた。

 まずい、とメルディースは内心舌を打つ。もともとエディは長の一族に連なるジールヴェということもあり、並みのジールヴェよりもその身に沈む力は大きい。まして、彼の母親は風の大陸でも有数の召喚士の家の、一の娘だったのだ。もし従弟の身に悲劇など起こらなかったなら、若くして王宮にまであがれるような力の持ち主となっていただろう。
 しかし、実際はそうではない。彼の両親は彼を守れず、住んでいた街もろとも灰になってしまっていたし、彼自身も十五年もの長い間影の道を歩まざるを得なかった。
 その身に眠る力は大きいが、それを制御する技を、彼は持ちえていないのだ。
 影から救い出して後の五年、従弟は砂に水が染み込む勢いで技を身につけていった。だがそれは所詮付け焼刃のものでしかない。従弟はまだ、自らの持つ力を制御しきれてはいないのだ。
 その年齢に比べて、あまりに幼い感情と、強すぎる力。仕方のないこととはいえ、それはあまりに大きい難関だった。
 エディ自身ですらも、自らに眠る得体の知れないものを制御しきれずにいる。

「従弟殿、しっかりなさい。従弟殿?」
 これ以上の暴走を抑える目的で、エディの両肩をつかんでいたメルディースが、従弟の様子をうかがう。肩がわずかにゆれている。エディの正面に回ったメルディースは、深い緑色の従弟のひとみから、とめどなく涙があふれているのを見た。
 幼子さながらの表情。癇癪を起こした後の様子そのものだ。
「精霊はいらないものなんかじゃない。僕たちも、いらないものなんかじゃない」
 ただそれだけをくりかえし、首を振って何かを否定している。涙で濡れたひとみは、普段のような明るい光を宿してはいなかった。
 壊れかけているこころを感じ取ったメルディースは、困惑のため息をつく。これからどうしたものだろう。
 ちらり、と金の青年のほうへと視線を向ける。引き裂かれた幕の下、細かいかけらがなおも落ちるそこに、青年の姿はいまだにあった。身動きひとつしていない。
 かすかに青年の持つ力が流れてきたせいで、彼が命を失ってはいないことだけはかろうじてわかる。骨の一、二本は折れただろうし、放っておけばいずれ命にかかわるかもしれないことはわかっている。
 さりとて、今すぐ死んでしまうようなものではないだろう。
 あたりを見回し、ようやく警戒を解く。それと同時に、すさまじいほどのめまいがメルディースを襲った。彼自身も力を奪われていたのをようやく思い出す。エディを守りたい一身でそれを意識の外に置いてきたが、どうやらそれも限界らしかった。
 残った力で金の青年の戒めをきつくすると、ひとを呼びにやったはずのアルフォークの帰りを待つことにした。


「こ、れは、いったい……」
 兵士を引き連れ、勢いよく部屋に飛び込んできたアルフォークの第一声はあまりに間の抜けたものだった。訳もわからずつれてこられた兵士たちも、唖然として部屋の様子をうかがっている。
 メディス卿や高貴な精霊を休ませるためにと用意されたその部屋は、王宮でもかなり質の高い場所だった。
 あの青年と激しく争ったとはいえ、外へと続く扉を破ったりだの薄布を引き破ったりだの、卓を倒したりだの、比較的かわいい被害ですんでいたはずだった。少なくとも、部屋本体に傷はつけていない。
 しかし今はどうだろう。アルフォークが部屋をあとにしたときには、ここまでひどくはなかったはずだ。壁が壊れたりなどあり得るはずもない。
 第一声を発したあと、黙りこくっていたアルフォークは、部屋の中にひとりで立ちすくむエディの姿を見てようやく本来の仕事を思い出した。こんなことに時間をかけている暇はないはずだ。
 しかし、エディの様子もまたおかしいことに気づき、首をかしげてエディのそばに片ひざをついていた精霊に尋ねる顔をした。
 メルディースはアルフォークの視線に気づくと首を振る。今は、説明していられる状況ではないだろう。それよりも、と壁が大きく損なわれた方を指し示す。
「あちらに、影のものがいます。怪我はしているでしょうが生きてはいます。彼の拘束をお願いします。おそらく、あちこちに隠し武器を持っているでしょうから、気をつけて」
 メルディースの言葉どおりに、アルフォークは兵士へと指示をする。牢に入れて見張りをつけておけ、と付け加えたのち、アルフォークは再びメルディースに向き直った。
「もしも、こちらでお休みになれないようでしたら、エディさんとご一緒に私の屋敷へ帰ってきてください。父もあの様子ですし、いちど屋敷に帰っていただきます。話し合いも、今は無理でしょう。私が休止の願いを出してまいりましたから」
 わずかばかりの頼りなさが残ってはいたが、メディス卿そっくりの表情で、アルフォークはきっぱりとそういった。

 

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