File.33「うつろう影」


 逃がすつもりはないよ、とエディは転がっている青年を睨みつけた。
 その声に反応するように、風の鎖が青年の体に食い込む。相当な痛みがあるだろう。しかし青年は、その自尊心からか声ひとつあげずにエディの視線に抗った。同じように睨みつける。
「従弟殿」
 年若い従弟の精神状態が常ならぬ域に至っていると悟ったメルディースが、制止の声をかける。しかし、エディはその従兄の声を聞こうとはしなかった。
 自分の過去を狂わせた影への拭い去れない恨みが、今のエディを支配している。
「話してもらうよ……君たちが何をしようとしているのか、全部」

「これはいつものようにこの国の誰かが依頼したことなんだろう? 依頼人の不利になるような人物を消せ、っていう」
 厳しいひとみのままで、エディが問い掛けた。青年はエディを睨みつけたまま、口を開かない。
「それが誰かっていうのは僕は聞くつもりはないから。聞いたって仕方のないことだし、興味もない」
 それに関してはメディス卿をはじめ、今現在この大陸を総べるものたちの仕事だ。
「問題はね、何故影がこんな大胆な真似をやるかってことなんだ。だって、そうだろう? 王を殺すなんて、それこそ正気の沙汰じゃない。依頼人だってそう馬鹿じゃないから、そんなことは依頼しないはずだ。違うかい?」
 青年は相変わらずの様子で、その問いに口を開かない。エディは、普段はぼうっとしたひとみを、すっと細めた。ナイフのように鋭い眼光には、激しい怒りが秘められている。
 再び、ぎりぎりと風の鎖が締め付けられる。
「従弟殿、やめなさい!」
 再び、メルディースが焦った声を出す。影から抜けて、ほんの五年しか経っていないこの従弟の精神は脆く、バランスを崩しやすい。その身に持つ風の力は並以上に強いだけに、暴走すると厄介なのだ。
 旅暮らしがいくらかエディのこころを成長させていたが、ふとした拍子にその抑えが外れてしまう。影がすべてを狂わせたという事実を前に、正気でいられないのは無理もなかったが。
 しかし、このまま暴走させては、あの青年はおろか、エディ自身にとってもいいことはない。暴走させたことのつけが、いずれ彼を襲うだろう。そのとき、一番苦しむのは他でもないあの従弟なのだ。
 メルディースはため息をつく。その身に残ったわずかな力を、従弟を止めるために解放した。
 弱っているとはいえ、メルディースは仮にも次期風の長である。並みの人間より遥かに力が強いとはいえ、エディひとりを抑えられないはずはない。
 気を失いそうになりながらも、メルディースは力を振り絞って従弟を止めに入った。
 風すべてを制御する力が、メルディースの一族には流れている。その昔、彼らが彼らとなったときから、代々受け継がれてきた力だ。現長である母親からいずれ正式に許されるであろうその力の行使を、彼は無謀ながら使うことに決めた。エディのためならば、母も許してくれるに違いない。
 エディの中に流れる力も、もとはといえばメルディースたちとおなじ力だが、エディはジールヴェである。半分精霊でないならば、彼すらも従わせることができるだろう。
 眉根を寄せて、自らに眠る力を呼び起こした。風が、その流れを変えていく。室内の雰囲気が徐々に変わっていった。

 なおもぎりぎりと青年を拘束し続けていた、風の鎖が動きを止めた。青年が解放されることはなかったが、その苦しいほどの締め付けが少しだけ緩くなる。それに気づいたエディが、何でそんなことをするんだ、という目で従兄を見た。
「従弟殿……あなたは、何も聞かないうちに彼を殺してしまうおつもりですか? あのままでは、彼は命を無くしていましたよ」
「それは……そんなことはわかってる。でも、こいつが話してくれないことにはどうしようもないじゃないか!」
 まるで子どものわがままのように、声を張り上げる。自らの半分が、今はこの従兄の手の内にあるということにまったく気づいている気配はない。メルディースがその気になりさえすれば、そして力さえ十分であれば、エディの意識を途切れさせることも可能だということにも。
 いつものように、過保護な従兄が力をはさんだ、という認識しかないエディに、メルディースは内心ため息をついた。
「少し、落ち着きなさい。今のあなたは正気ではありません」
 エディに負けず劣らずの厳しいひとみで従弟を見据える。ようやく少しだけ理性を取り戻したエディが、一歩退いた。今の彼にとって、従兄の言葉は到底納得のいくものではなかったが、彼の身に流れる風の力がメルディースに逆らうことを許さない。
 しぶしぶと、金の青年に施した戒めを逃げない程度に緩めていく。
 脂汗を流して耐えていた青年は、それを機にようやく深い息をついた。
「……感謝は、しないよ。そもそも、いずれあなたの命を奪うかもしれないものの窮地を救うなんて、どうにかしてる」
 青年も、内心では安堵しているに違いなかったが、メルディースの行動の不可解さに不信感をあらわにする。メルディースの力を消える寸前まで奪ったのは、他でもない彼自身なのだ。
「あなたが私を消滅させようとしたことを、忘れたわけではありませんよ。ファリウスさまを危機に追いやったこと、アルフェリシアさまを亡き者にしたこと、すべて覚えています。状況が許せば、すでにあなたの命はありません」
 冷静な顔で、恐ろしいことを言ってのけたメルディースは、納得しがたい顔でかろうじておとなしくしているエディのほうを見やった。
「従弟殿を止めるためにやっただけですからね。ともかく、あなたが囚われの身ということに変わりはありません。それは、お分かりですね?」
 激しく怒るエディよりよほど恐ろしい表情で、メルディースは青年に向き直った。


「さっきからの僕の質問に、答えてもらおうか」
 爆発しそうになる怒りをようよう抑えてエディが声を絞り出す。戒めが緩められたおかげでようやく余裕をもってエディを見上げることができた青年は、エディの様子に笑みをもらした。その様子が気に入らなかったのか、再びエディのひとみに怒りが映る。
「従弟殿!」
 また戒めをきつく仕掛けはじめたエディを、メルディースの怒りがさえぎる。
 ひどく情けない表情になったエディは、叱られた子どものように小さくなって戒めを元に戻した。

「仕方ないね」
 その様子を、ひたすら面白そうに見ていた青年が、ようやく口を開いた。
「いちおう、そこの次期長殿に助けられたし、どうやら話さないと、そこの君に殺されそうだしね」
 その口調が、エディたちの神経を逆撫でするということをわかっていて、青年はあえてそのような物言いをした。
 案の定、頭に血の上ったらしいエディが声を荒げかけ、横の従兄の姿に驚いたように黙り込んだ。自分よりもよほど、今度はこの従兄が怒っている。
「そうであれば、早々に話していただきましょうか」
 まるで部屋の空気が氷の風に姿を変えたかのような声で、メルディースが声を絞り出した。

「まず言っておくけれど、ぼくたちは今回、誰の指示も受けてないからね」
 青年は肩をすくめる。
「確かに前の仕事の時には依頼人がいた。あの、王の暗殺だよ。けれどね、ほら、王が死んだだけじゃなくって、長まで消えてしまっただろう? あれで依頼人が怒ってね。確かに、やりすぎだったとは思うけれど」
 悪びれもせず、青年は言葉を続ける。一見楽しげであるだけに、憎しみがいっそう募っていく。思わず締め上げてやりたくなる思いをようやくこらえて、エディは青年の話を聞いた。
「勝手だよ本当に。ぼくらは――ああ、実行したのはぼくじゃない。ぼくらの手足。ぼくらはただ、彼ら、依頼人の望むように振る舞っただけなのにな。影そのもののようにね」
 それが影だから、と付け加えた。
「ぼくらはふたつの種族の愛し子なんかじゃない。いつも足元に漂う、実態も気配も薄い影なんだから」

 

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