File.32「罠」


 エディの変化に、青年の動きがほんの少しだけ止まった。その隙を突くように、腕の力を緩めたアルフォークが剣を引き、再び鋭い一撃を青年に向ける。
 エディに気を取られていた青年は、アルフォークの動きより一瞬遅れてその攻撃を受け止めた。先程とは違い、今はアルフォークの力に押されている。
 初めて、青年の顔に焦りが浮かんだ。
「どうやら今度は、こちらの方が有利なようですね」
 アルフォークも、ようやく平静さを取り戻しかけ、穏やかな口調で言う。
「卑怯だ、なんて言ってられないしね。二対一とか、今は考えないことにする」
 エディのひとみが、わずかに刃のきらめきを宿した。余裕のある表情を一変させ、暗いひとみをした金の青年に、それはひどく似通っていた。エディの声質が変わったことに気づいて、メルディースは青ざめる。
 かつて、影から命がけで救い出した従弟の、感情のかけらもない声が脳裏をよぎったのだ。
「従弟殿、いけません」
 弱々しい声で静止の言葉を発したメルディースに、エディは振り向かずに声をかけた。
「今は、ごめん、メルの言うことは聞けないよ」
 こうでもしないと、きっと危ない。呟いたエディは、手にもったナイフを投げ捨てる。少し大ぶりな、投げることを目的としない刃を懐から取り出した。風を象ったかのような流れる刀身には、細かい意匠が刻まれている。陽炎のようなものが浮かぶのを、アルフォークは見た気がした。

 緊張か、怒りか、それとも焦りのせいか。荒く息をつく青年のそばをすばやく退き、アルフォークがエディの隣に立つ。
「エディさん、大丈夫ですか? なんだかいつもと様子が違いますけれど」
 突然のエディの変化に、彼もまた戸惑っているのだろう。だが、そばに立つ銀色のジールヴェから、何とはなしに伝わってくる力を感じ、アルフォークは安心してエディに背中を預けることができた。普段の、頼りなさげで子どものようなエディとは、少し違う。
「ああ、大丈夫。それより、彼の動きを少しだけ受け止めてくれる?」
 余裕を無くした金の青年は、先程までの行動が本当のものかどうか疑わしいほどの様子だった。これならば、アルフォークでも何とかなる。普段影に隠れているだけに、こんなに明るいところで、長時間動いていることすら負担になっているのかもしれない。
 影の世界では、一瞬で勝負がついた。ここまで長引くことも滅多になかったはずだ。それに、姿が見つかる前に息の根を止めていたから、複数を相手にすることもまず、ない。
 そもそも、いちど失敗したらしき場所に、もういちど足を運ぶということ自体が奇妙なのだ。
「もちろんです。エディさんには何か考えがあるんですか?」
 短い付き合いの中でも、エディが何か胸に秘めているらしいことはわかった。
「ああ、多分、何とかなると思うよ」
 アルフォークの声に、エディは不敵な笑みを浮かべて答える。
 頷きあったふたりは、青年に再び向き直った。


「……どんな状況でも、一緒だよ」
 青年の翠のひとみがふたりに向けられる。こんな状況になってもなお、彼は退こうとしない。自分の勝利を信じて疑っていないようにも、また何かに固執しているようにも見える。
「ぼくは、君たちには負けない。簡単な仕事で、命を落とすわけないじゃないか」
 よく研がれているのがわかる刃が、青年の手に握られている。刃の光が、彼の白い手とともに狂気を帯びた青年のひとみに映る。
 今までとは違う意志をもったそれに、エディは内心、恐ろしさを感じる。自ら望んでこの道にいつづけるジールヴェ。それは、こうなっていたかもしれない自分の姿でもあるのだ。
「こっちだって、そうやすやすと命をあげるわけにはいかない」
「それに、この大陸を混乱に巻き込むわけにもいきません」
 青年に対峙するふたりの声が重なる。それを合図にしたかのように、エディとアルフォークは青年に向けて飛び出した。

 乾いた金属音が部屋の中に響く。力強いアルフォークの一撃が、青年の刃に真正面からぶつかった。ぎりぎりとアルフォークの剣が青年の力を押していく。家柄もあるとはいえ、この若さで近衛にまでつくことができたアルフォークである。冷静さを取り戻した今では、先程のように押されてばかりとはならない。
 さすがに青年も、今回ばかりはエディとアルフォーク、ふたりを同時に相手にするのはかなり厳しいようだった。しなやかな動物のように動く体にも、少々疲れが見える。
 こんなにてこずるとは。青年は舌打ちをした。このままでは勝ち目はない。

 エディは、アルフォークの間を縫うように、すばやく刃をひらめかせる。鳥のように飛び回ることで、青年を疲れさせて、動きを鈍くさせる。青年に傷をつけるとともに、手に持つ刃に浮かぶ陽炎が大きさを増していく。
 どちらかの隙を片方が守るという、息の合った攻撃は、対峙する青年の力をみるみる削いでいった。次第に、青年の白い肌に赤い線が増えていく。

「お父上のそばからは離れよう。もし、彼を人質にとられたらこちらには手の出しようがないから」
 青年に聞こえぬように、エディが囁いた。
「わかりました、ありがとうございます」
 こちらもまた、青年に聞こえぬように答えを返す。
「余裕だね、そんなところでこそこそ話す力がまだ残ってるんだね」
 半ば負け惜しみにも似た青年の声が、ふたりに向けられる。その声に振り向いて、ふたりは再び、青年へと刃を向けた。
 エディの考えどおり、ふたりは攻撃とともにメディス卿やファリウス、そして真っ青な顔で行く末を見守っていたメルディースから離れていく。青年は、受け止めるのが精一杯で、それには気づかぬままだった。
 
 何の気兼ねのない場所とはいえ、同じ部屋の中、動くにはかなりの支障が出る。活路は見出せないものか、と青年もアルフォークも刃を交えながらあたりにしきりに視線をやっている。
 道としてはふたつ。
 王宮の廊下へと続く扉を開け、王宮に出るか、それともテラスへと続く扉を破り、庭へと出るか。互いの頭の中で計算をする。結論は、ふたりとも同じだった。同時に、テラスへと続く扉に視線を投げた青年とアルフォークは、われ先に、と部屋の中を走りぬける。
「気が合うね」
「ご冗談を」
 走り抜ける途上も刃を合わせる手を休めることなく、薄布が張られた扉へと向かう。
 ふたりが扉へ飛び込んだのは、ほぼ同時だった。

 ふたりの男が飛び込めば、当然扉は壊れてしまう。悲鳴をあげてばらばらになった扉の残骸の上に、アルフォークはきれいな受身を取って転がった。薄布が邪魔にならぬよう、器用に避けて、すばやく立ち上がる。剣を持たぬ手に握られた薄布は、その片方に奇妙な格好で転がった青年を巻き込んでいた。
「……慣れないところでは、あまり変なことをしないほうがいいと思いますよ」
 皮肉をこめて、アルフォークは青年を見下ろす。この世の何もかもを呪い殺せそうなひとみで、青年はアルフォークをにらんだ。
 と、そのとき。
「アルフォーク、避けて!」
 アルフォークの耳に、エディの声が聞こえてきた。エディが何か考えをもっているらしいことを思い出したアルフォークは、エディに言葉の意味を確かめることもなく、後ろに跳び退る。
「何を、馬鹿な……」
 浅はかな行動を、と笑いかけた青年の耳に聞こえたのは、エディがひとではない言葉で、力をつむぐ声。確実に自分を捕らえるよう編み上げられたものだということは、言葉を理解できない青年にも良くわかった。エディが持つ刃が、その刀身に組み込まれた力を解放していく。
 大きく見開かれた翠色のひとみが、部屋の中の銀色の青年をとらえる。
「……かかったね。《我、エディ・フォ・メイデンの名を持って命ず! 哀れなる愛し子、道に迷いし幼子を風の鎖にて繋ぎ止めよ。とき放たれるは我が声によってのみ。幼子の命が失われるまで、持続されんこととする》」
 声とともに、流れていた風がエディを通して青年に向かう。形を為し始めたそれは、徐々に青年の身を取り巻いていった。
「……これは、風の……。待て! やめろ!」
 明らかな自分の不利を悟ってか、青年はかけらも余裕のない抗議の声をあげた。震える声は、囚われるという屈辱か、それとも恐怖か。
 青ざめた青年にはかまわず、エディは術を続ける。そばに、弱ってはいてもメルディースという風の力があるということが、エディの術を強固なものにしていった。


「……君の言葉がなかったら、僕もこんなことを思いつきはしなかったよ」
 深い息をついて術を終えた後、エディは風の鎖でがんじがらめになった青年を見下ろしてそういった。
 力を行使したためか、エディのひとみにはひどく疲れた色が浮かんでいる。
「『術者が必要だ』って言ったろう、君は。それで気が付いたんだ。君はジールヴェだけれど、力を呼ぶ方法を知らない。だから、精霊たちや僕たちのように、流れる力を使うことができなかった。僕も、影から抜けるまで、使う方法を知らなかったんだしね。精霊たちも、影には力を貸さないから、術者は貴重なんだろう。……力を使えないなら、こちらが有利だ。気づかなかったよね、アルフォークが君の相手をしている間、僕が周りに風を集めていたのを」
 意思を持ちつつ影にあるということで、エディは青年も力を使えるものだと思っていた。
 影が力をつかえないということが、今では確信でなくなりつつあったのだ。デルディスディスが港町で遭遇したジールヴェは力を使っていたと聞いた。だからなおさら、そんな思いが強くあった。
 だが、その思い込みに反して、青年からは何の精霊の気配も伝わってこなかった。彼がどの精霊の力を引いているのかも今の時点ではわからない。だが、術を使えないという事実が、エディたちに幸運をもたらしたのは確実だ。
 理由を指摘され、青年は悔しそうに歯噛みをする。そのひとみに浮かぶのは、紛れもない憎悪。

「……急いで城のものを呼んで来ます」
 青年が束縛されたのを見届けると、アルフォークは剣を収め、小走りに部屋を退出していった。
 残されたエディは転がったままの青年に視線を向ける。
「時間はたっぷりある。これから、いろんなことを話してもらえるね」

 

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