File.31「金の幻」


「違う! ジールヴェは存在しちゃいけないものなんかじゃない。絶対に違う!」
 青年の言葉に、エディは顔を紅潮させて反論する。
 金色の青年は、そのエディの様子を面白そうに眺めた。
「信じる信じないは君の自由だけれどね。ねえ、風の一族の次期長殿?」
 青白い顔にかすかな怒りをにじませている銀色の精霊の方へ、青年は視線を向けた。からかうような青年の笑みを、メルディースは力を振り絞って跳ね返す。
「……知りませんよ、私は」
 その言葉の端からも感じ取れる怒りに、青年はおやおや、と肩をすくめる。
「どうやら風の一族は、見かけに寄らず怒りっぽいらしいね」
 再び喉の奥でくぐもったような声を立てると、言葉を続けた。
「大昔、偉大なるヒトのご先祖さまは、自分を遙かに超える美貌を持った精霊を創りだし、挙げ句の果てにそれに恋した。親と子の間に産まれたに等しいその罪深き子は、闇から闇へと葬り去られ、時間の彼方に姿を消していく。命からがら逃げ出したひと握りの子は、影をつくりだしてようやく居場所をつくったんだ」
 青年の笑いにわずかに違うものが混じる。
「まったく、笑わせてくれるよ。そんな記憶は薄れていって、今はふたつの種族の絆なんだから」
 翠のひとみに揺れるのは、くらい怒り。
「ねえ、君もおいでよ。今なら、君が影から逃げ出した罪も許される。ぼくが保証するよ。なんなら、ぼくらと同じ立場にしたっていい。術者も必要なんだ。風の一族の長になるはずだった精霊の力をひくのはこころ強い」
 青年の、白く細い手がエディに向けて伸ばされる。
「ジールヴェには、影しか居場所はないんだよ」
 エディはそれを、なんのこころの動きもなしに振り払った。
「冗談じゃない。断る。なんのためにあの影から逃げ出してきたんだ」
 にべもない態度のエディを見て、青年はわずかに目を細める。それから、真剣さが微塵も感じられない笑みを浮かべて、振り払われた手をひらひら泳がせる。
「残念だね。君の命を永らえさせる、唯一の選択肢だったのに。もう、他に道はないよ」
 青年は突然、顔から笑みをそぎ落とし、切れるまでに鋭い眼差しを部屋の中に向けた。


「ぼくらのためにならない存在は、消えてもらうに限る」
 青年はそういうと、一番豪奢なベッドに横たわる、メディス卿のそばへと歩み寄った。懐へ手を伸ばし、銀色に光る鋭いナイフを取り出す。そのまま、それを眠るメディス卿へと振り下ろした。
 メルディースの弱々しい力で抑えられていたアルフォークが、我慢できずに飛び出す。腰の剣を抜き、振り下ろされるナイフを跳ね返そうと駆け寄る。
 自らの仕事を邪魔された青年は、うるさい虫を相手にするようにわずかな動きでアルフォークの剣を止めた。澄んだ音が部屋の中に響く。
 アルフォークより一瞬遅れて、青年の隙を狙ったエディもナイフを青年に向け、懐へ飛び込む。
 再び、高い音が部屋に響く。
「こんな動きでぼくが怯むとでも思ったのかい?」
 眉ひとつ動かさずに受け止めた青年は、それぞれの攻撃を勢いをつけて跳ね返す。
 見かけに寄らず力の強いらしい青年は、跳ね返したエディとアルフォークを一瞥したあと、すぐに彼らへの興味を失ったように再びメディス卿へと向き直った。
「あとで相手をしてあげるから、しばらく待ってもらえるかな」
 楽しそうな口調で付け加える。
 軽くあしらわれていると悟ったふたりは、頭に血が上ったのがはっきりとわかる、真っ赤な顔で立ち上がる。再び、今度は頷きあって同時に踏み込んだ。
 火花が散りそうな勢いで放たれた刃は、しかし、青年のなめらかな動きによってまたも阻まれる。
「君たちはほんの少しの時間も待てないのかい? 困ったね。本当にすぐ済むから待っていてくれないか」
 先ほどの一撃でふたりの腕をはかった青年は、彼らをたいしたことはないと判断していた。ゆえに、彼らに向けられる言葉はそれに応じた、見下した雰囲気を帯びている。
 それがさらに、エディとアルフォークの感情を高めていった。
「父が殺されそうになっているのを見て、黙っている息子がいるわけはないでしょう! まずは私が相手です」
「僕だって、いいようにやられるわけにはいかない。まして、影の人間なんかに」
 怒りが正常な判断を奪うのを、ふたりともすでに忘れ去っていた。金の青年の笑顔が、やけに憎々しげに見える。
「うるさいね、本当に。じゃあ、仕方がない……君たちから片づけることにしようか」
 すっと、翠のひとみが細められる。再び、怜悧な刃物のような表情を浮かべた青年は、エディとアルフォークに向き直った。
「……その前に、ひとつだけ答えて欲しい。影は何故今になってこんな大胆な方法をとりはじめた? 闇にひそむのが、卑怯な影にふさわしいやり方じゃなかったのか?」
 今でも十分卑怯だけれど、と精一杯の皮肉を込めて、エディが尋ねる。相手の冷静さを少しでも崩すために投げかけられたその問いは、青年の軽い笑いによってさらりと流された。
「それを今、君に言う必要がどこにある?」
 風ひとつ、満足に通さぬような、隙ひとつない構えをした青年は、そのままふたりの方へと走る、ように見えた。
 だが、青年の姿は何かでかすんでいるようにはっきりとしない。長く闇にいたエディですら、彼の動きを把握することは完全にはできなかった。騎士とはいえ、特殊な訓練などまったく受けていないアルフォークでは、青年が何をするのかもまったくといっていいほどわからない。
「アルフォーク!」
 危険を体で感じたエディが、呆然とするアルフォークを突き飛ばした。彼のかわりに、青年の刃を受ける。重い、刃こぼれしてしまいそうな力が細いナイフ一本に掛かる。
 エディも青年も、体の細さではほぼ同じように見える。しかし長いこと闇にいるはずの青年の、磨かれた技と力にどんどんと押されていった。短剣から繰り出される鋭い動きを、エディは受け止めるのがやっとだった。風に切り刻まれたかのように、エディの体に傷が増えていく。
「従弟殿!」
 立ち上がることのできないメルディースが、従弟の窮状に半ば悲鳴にも似た声を上げた。力が回復していない今では、風を呼んで立場を逆転させることもできない。悔しさが体の中を駆けめぐる。
「覚悟はいいかい?」
 壁際まで追いつめたエディに、青年は笑いかける。今まで接した、影のどのひとみとも違う。明確に感情を備えたそれがひどく恐ろしい。


「そうはさせません!」
 ようやく我に返ったアルフォークが、エディを救うべく青年に飛びかかった。ふたりがかりで卑怯だ、など、今は言っている場合ではない。
 アルフォークの声を聞き、青年は軽く舌打ちをした。
「……これだから、人間は……」
 片手でエディを制したまま、向かい来るアルフォークへと視線を向けた。
 両手で振り下ろされたアルフォークの剣を、青年は片方のナイフ一本で受け止める。ふたりを同時に封じながら、青年はひとつも顔色を変えてはいない。
「小賢しい真似はやめておいた方がいいよ。これでも手加減しているのに、本気を出さなきゃならなくなる。君たちの負けははっきりしているんだから」
 ふてぶてしくも青年はそう言ってのけた。
 ここにいたって、ようやく冷静になってきたエディは、その青年の挑発に乗ることはなかった。少しずつ、自分を取り戻していく。
 ほんのわずかに理性をよみがえらせて、エディは深く息を吸い込むと静かなまなざしを青年へと向けた。

 

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