File.29「みえない思惑」

「父上が、本当に……? いったい何故」
 執事の言葉が頭に入ってゆかず、アルフォークはただその場に立ち尽くした。
 確かに父は、連日の話し合いで疲れているように見えたが、倒れてしまうほどではなかったはずだ。
「私どもも何がなにやら、王宮から使者が参られ、大至急王宮へ向かわれるようにと仰るものですから。若さま、私どもは何をしたら……」
 いつも冷静で、表情ひとつ変えずに振舞う執事が、今日ばかりはうろたえ、半ば意味不明のことを口走っている。いまだかつてないほどの取り乱し様だった。
 アルフォークの思考も半ば凍りつきかけていたが、そんな場合ではないことをかろうじて自覚し、めまいを起こしかける体を必死で支える。動機のおさまらない胸をつかみ、何とか声を絞り出した。今、自分がしっかりしなくては。
「そ、そうだ、ね。ええと、今から王宮まで私が確かめに行ってくる。もしかしたらそんなにたいしたことではないのかもしれないしね。お疲れでいらしたからそのせいかもしれない。確かなことがわかるまで、このことは他言無用だ。あまり騒ぎ立ててはいけないよ。これを知っている屋敷の者たちにも、よく言い含めておくように。とにかく、落ち着いて。慌てていてもいい事はないから」
 じゃあ行ってきますと言い、身支度もしないまま部屋を出てゆきかける。ふと振り返ったアルフォークは、眠りこけているエディの姿を見つけた。あまりにのんきすぎるその寝顔に、アルフォークは何故だか無償に腹が立つ。こみ上げてくる怒りに任せて、エディのもとに歩み寄った青年は、眠りこけるエディの胸元をつかみ、有無を言わさずたたき起こした。
 

「君がまさかこんなことするなんて思わなかったよ」
 王宮への道を急ぎながら、エディがすねるような口調で言った。ジールヴェの特徴が目立たないように目深にかぶったフードから、赤くはれた頬が覗く。加減していたとはいえ訓練された騎士が拳を振るったのだ。仕方がないといえば仕方がないといえた。
「……すみません。その、あまりにエディさんが幸せそうに眠っているので、ものすごく腹が立ってしまって」
 エディの傍らで走るアルフォークが、恥じ入りながら頭を下げる。彼の頬も、エディほどではないが赤くはれていた。わけもわからずたたき起こされたエディに殴り返されたのだ。
 結局、たたき起こされてまた寝るということもできず、たたき起こされるに至った経緯を知ったエディは、アルフォークとともに王宮に行くことにした。同じ席上にいるはずのファリウスやメルディースが心配になったのだ。メディス卿が倒れた原因がただの疲労であるならいい。しかし、もし何かほかに原因があったなら、彼ら精霊にも何か危険が起こるかもしれない。
 ここの王と精霊は、影に命を断ち切られたのだ。まだ危険は去っていないと考えるのが当然だった。
「……まあ、いいよ、メディス卿も心配だしね。もしも今度があったら、もうちょっと手加減してくれると嬉しいんだけど」
「……もしもあったとしたら、努力しますけど。多分もうないはずですよ」
 苦笑を返すアルフォーク。こう何度もこんなことがあったら、きっと体もこころももたない。
「それもそうだね」
 ふと考え込んだエディも、アルフォークにつられて笑う。
 だいぶ落ち着いてきたとはいえ、避難民の姿の絶えることのない城下を通り過ぎ、ふたりは王宮へと急いだ。
 

 王宮についたふたりを迎えたのは、隠しようのない混乱。静寂の中に、落ち着かない何かがある。様子がおかしいのは明らかだった。
 重臣とはいえ、ただひとりの人物が倒れただけで、こんな風になるものだろうか。
 立ち尽くすふたりを、走り回っている役人らしき男のひとりが見つけた。大声をあげかけ、何かを思い出したように大きく開けた口を閉じる。アルフォークのそばに駆け寄った。
「アルフォークさま、いらしていただけましたか。詳しいことはここではいえませんが、どうぞお急ぎ、こちらに」
 どこかアルフォークを気遣う様子で、その男はふたりを王宮奥まで案内した。
 

 賓客を迎え入れるかのようなその部屋で、メディス卿は豪華な寝台の上に横たわっていた。その顔からは血の気がうせており、かろうじて命をつないでいるように見える。
「父上!」
 さすがに血相を変えたアルフォークが、父のもとへ駆け寄った。
 その様子を後ろから見守っていたエディが、アルフォークの周りに視線をずらして息を呑む。同じように横たえられていたのは、老精霊ファリウス。そのそばには、横たえられたふたりに負けず劣らずの顔色の従兄が座っている。ひどく辛そうに、目を閉じていた。
「メル!」
 アルフォークと変わらない慌てぶりで、エディが従兄に駆け寄る。銀の青年は、やっと従弟がいるのに気づいたという風情で、ゆっくりとまぶたを上げた。
「ああ、従弟殿。なぜ、あなたがここに」
 声が発せられると同時に滑り落ちそうになる従兄の体を、エディは慌てて支える。彼に触れて、エディは声も出ないほどの衝撃に襲われた。
 あれほどあふれていた従兄の力が、まるで枯れ井戸のように空っぽになりかけている。
 どうしたんだよいったい。
 叫びかけたエディを、メルディースは視線で止めた。
「私は大丈夫です。少し休めば……風の地へ帰ればすぐに良くなります。問題なのはほかのお二方のほう」
 そう言うと、今にも倒れそうな従兄は、寝台の上に横たわるふたりを見た。
「メル、休んでなきゃだめだよ。できるなら今すぐ帰るんだ。このままじゃ……」
 何かをエディに言いかけたメルディースだったが、泣きそうな従弟の顔に情けない顔をする。本当にしようのない、とでも言わんばかりの表情。
「大丈夫です、といっているでしょう。本当に、あなたというひとは……。それよりも、今すぐあなた方に話しておかなければならないことがあるのです。アルフォークが落ち着いたら、こちらへ連れてきてください」
 

「父上、父上。大丈夫ですか」
 父のもとへ駆け寄ったアルフォークは、青白い顔をしてひとみを閉じている父に、必死で呼びかけた。今の父は、まるで命を失ったただの人形のように見える。それが怖かった。
 肩をゆすって、それでも目を開けてくれない父に、焦りばかりが募ってゆく。
 不満ばかりの王都での生活に、ようやく光が見出せていたのに。恐ろしいばかりだった父のこころに、最近になってようやく触れられるようになってきたのに。もっともっと、政治でも剣でも教えて欲しいことはたくさんあるのに。そう、それに、ディラとの仲も認めてもらわないといけない。
 血の気のない父の顔を見ていると、そんな未来がすべて幻と化してしまうように感じた。
 それだけは嫌だと必死で父を目覚めさせようとする。
 それ以上はメディス卿の体に障る、というエディの声も聞こえていない。
 かすかに持ち上がったメディス卿の手が、アルフォークに触れるまでそれは続いた。
「……アルフォーク。そのように騒いでは起き上がれるものも起き上がれんぞ。それに、冷静さを欠くでないといつも言っていように」
 まったく生気のない顔をしながら、メディス卿はわずかに目を開いた。そのひとみに浮かぶのは、隠しようもない苦笑。
「これではいつまでたっても引退できんな」
「父上!」
 寝台の上から向けられる父のまなざしに、アルフォークはようやく安堵のため息をついた。
「そう、騒ぐな。みっともない。私は大丈夫だよ。ただの刺し傷だ。……予想以上に鋭くて、しかも思わぬ方からだった故、避けられずに深い傷になってしまったが。それ以外は大事無い。……今のところは」
 あくまで淡々と事実だけを述べるメディス卿。しかし、アルフォークの後ろでそれを聞いていたエディは、さっと顔色を変えた。嫌な予感がよぎる。
「どうやら亡き陛下やアルフェリシアさまと同じく、私とファリウスさまも邪魔に思う輩がいるらしい」
 皮肉のこもった笑い。エディが凍りついているそばで、ただひとり事情のわからないアルフォークが、不安げな表情を浮かべていた。

 

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