File.26「寄る辺なきもの」


 少女は、天敵のエディの目の前であるということすら考えにないようだった。あふれる涙は途切れることがなく、大地を濡らしつづけている。
 ただひたすらに、ティアフラムは泣きじゃくっていた。
 精霊が創られたものであるということ、メルディースやエディの、ほんの一言が、ティアフラムのこころをひどく傷つけていた。意識を保っていられないくらいの衝撃で、気がついたら闇の中に引きずり込まれていく。
 彼女にとって、精霊であるということは何よりの誇りだった。仲間たちと聞いたこの世界の創世の物語に、どんなにわくわくしたことだろう。
 でも、それは本当のことではなかった。
「……エディ。話してくれる、でしょ。あたし、あいつの話聞いてないから」
 涙の色が残る声で、ようやくティアフラムが言葉を口にする。あの真実のあまりの衝撃に、気を失ってしまい、ほとんどの話を聞いていなかったのだ。本当は聞きたくない。けれど、このままにしておくことはひどく恐ろしかった。いつ消えてしまうかもしれないと、おびえて暮らすのだけは嫌なのだ。
 涙に潤む目で見つめられたエディは、さすがにたじろいだ。こんな彼女に本当のことを話したら、今度こそどうなるかわからない。自分ですらこうなのだ。精霊である彼女にとってはとても辛い事実になるだろう。
 消えてしまう。ひとの世界の時間にすれば、まだ時間はある。けれど、それは精霊にとってまさに一瞬の出来事だ。回避する方法も、たったひとつだけしかない。それすらも、身を切られるように辛い選択だ。故郷とするこの世界に、永遠に戻ることは出来ないのだから。
「……でも」
「いいから。もう、いいんだから……。お願い。聞きたいの。精霊にこれから、何が起こるのか。あたしたちはいったい何者なのか。話して。お願い……」
 ためらうエディに、ティアフラムの涙声がかぶる。誇り高い彼女が、ふだんなら絶対に見せることのない姿を見せている。肩を震わせて、こころ細そうにたたずんでいる。いつもは尊大な態度をとる彼女が、もともと華奢な体も相まって、壊れやすい細工物のようだ。
 伸ばしかけた手にはめられた、茶色の手袋をエディはじっとにらんだ。話すべきなのだろうか。迷いがこころの中に渦巻いている。
「……そんなこと、言えるわけないよ。僕だってまだ、信じたくない気持ちでいっぱいなんだ。受け入れたくないんだよ」
 それは、エディの正直な気持ちだった。精霊が創りものならば、ジールヴェはいったい何だというのだろう。精霊に残されたのは消えるか去るか、あまりに残酷なふたつの方法。それを、静かに受け入れるメルディースやファリウスたち。納得がいかない。何故、こんなことが許されるのか。
「いくじなし」
 ふだん、エディを責めるときの口調で、ぽつりとティアフラムが言った。上目遣いに、戸惑いがちの青年を見上げる。また泣き出してしまいそうになるのを、必死でこらえながら、彼女はエディに詰め寄った。
「何よ、いくじなしっ。あ、あた、あたしだってっ、知らなきゃいけないことなんだから! 受け入れたくないのは同じよっ……でも、あたしは知らないんだから。教えて! じゃないと、ずっと苦しまなきゃいけない、消えてしまうときまで、本当のことを知らなかった苦しみに苛まれつづけるのよ。……恨んでやる。これ以上はないって位に恨んで恨んで……っ」
 エディの前でこんな恥ずかしい姿をさらしたくない。その一心で虚勢を張っていたティアフラムも、言葉を続けていくうちに抑えが利かなくなっていく。緩やかに波打つ青年の銀の髪をこれでもかと引っ張り、ちいさな唇からは、もはや意味不明の叫びしか出てこない。ティアフラム自身も、支離滅裂な文句だと、こころの片隅では気づいていたが、どうしようもない気持ちだけが暴走して、歯止めが利かなくなっている。
「そんな事をいわれても……」
 ティアフラムのいつもながらの激しい行動に、いつもならむきになって反論するエディだったが、今日はそんな気になれなかった。今でも、彼女のひとみは、涙でいっぱいなのだ。
「ばか、ばか……っ」
 続ける言葉がなくなったのか、ティアフラムからはそんな言葉しか漏れてこない。銀の髪を握り締めたまま、の少女の姿が、さらにエディを居たたまれない気分にさせる。
 暫く無言で、ティアフラムのされるままに悩んでいたエディだったが、ふと、少女から陽炎のようなものが立ち昇っていることに気がついて眉をひそめた。ゆらり揺らめくそれは、何処となく危険な感じを受ける。
「わっ! こんなところで力解放する馬鹿がどこにいるんだ!」
 揺らめくそれは、少女に与えられた力。エディに解いてもらったばかりの力が、少女の内からあふれ出ている。ちいさな手に握られた銀の髪が、焦げ臭いにおいを発し始めた。涙にぬれた鋭いひとみは、危険な光を宿していて。
「……お願い。じゃないと……」
 思いつめた少女の力は、青年を半ば無理やり従わせることになった。
 

「……まず、この世界は、あの物語どおりにひとがまったく住めない状況だったそうだ」
 半ば焦げて、縮れた髪のひと房を、恨めしそうに眺めてから、エディはとうとう、メルディースの語った真実をティアフラムに告げはじめた。思いつめた精霊の力は恐ろしい。ここを出たらもう一度封印してやると固くこころに誓って、エディは話を続ける。
「そこへ、住もうという人間がやってきた。これが、今の人間の祖先にあたるらしい。理由はわからないけれど、なんて言ったらいいのかな……この世界の外に、無数にある別のところから、新しい世界を求めて旅立ってきたひとたちだって事だった」
 ティアフラムは、エディの目の前で、神妙な顔をして座っている。一字一句と聞き漏らすまい、と必死な様子が、よく伝わってくる。
「……その人間たちは、この世界のあまりにひどい様子を見て、一度はあきらめたらしい。けれど、何故だかここに住むことに決めた。そして……人間が住めるようにって創り出されたのが精霊だ。人間は、精霊を、こころ有る存在として創った。考え、自らで判断する存在にした。その精霊たちが、過酷な環境だったはずのこの地を変えていって……そうして、この世界は人が住めるほどになったんだ」
 話が進むたびに、ちいさな少女は凍り付いていく。身動きひとつ取れず、目を大きく見開いてエディの話に聞き入っていた。少女の胸をえぐるような話をしていると自覚しているから、エディのほうも、だんだん辛い表情になっていく。
 なおもエディは、真実を語りつづける。それが終盤に差し掛かるころには、気まずい雰囲気ばかりがあたりに流れていた。言いづらそうに言葉を止めるエディと、今にも泣き出しそうになりながら、それでも強がるティアフラム。
「それで、この世界は今のようになった。人間たちは精霊を限りある存在にした。長命であるかわりに、いつか絶対に消えてしまう存在として位置付けた。それは、創造したものたちの自尊心を保つためであったのかもしれないけれど、今はもうわからない。きっと、ジールヴェなんていう存在がうまれる事すら、想像してなかったんじゃないかって僕は思う」
 最後の一言は僕の想像だけど、と言いおいて、エディは話に区切りをつけた。
 

「あんた、今、いい気味だって思ってるでしょ。あたしが、人間よりも精霊がえらいんだって、いつも言ってたから」
 気まずい沈黙を破るように、ティアフラムがぽつりと言葉を漏らす。それは半ば自嘲気味につぶやかれた言葉でもあった。目の前の青年と出会ってからのことを、ティアフラムは思い出していた。何かというとぶつかってばかりだった青年に対し、ティアフラムは事あるごとに精霊の優位を主張していた。
 精霊が人間を守るのだと信じていたからこそ、あの創世の物語を信じていたからこそ、彼女の中でよりどころとして根付いていた思いだった。その思いがあったから、故郷でも耐えてゆけた。
 いつかまた、自分たち精霊のもとに、ひとの子は戻ってくるのだと信じて疑わなかった。
 けれど真実はどうだろう。
「とんだお笑いぐさよね。創られた存在だって。……道具、なんだって。ばっかみたい。あたしたち精霊なんて、……もういないほうが」
「……やめてくれよ」
 投げやりなティアフラムの言葉を、エディがさえぎった。静かな迫力に満ちた声が、少女を無言にさせる。
 エディはやっと静まったかと思った怒りが、ふたたびこころの奥から湧き上がるのを感じていた。
「……そんな言い方は、お願いだからしないでくれ。創りもの? ああ、そうかもしれない。けれど、精霊は人間と一緒に、もう長い間ここで暮らしてきた。創生の物語が曲げられてしまうくらい長い長い間ね。もう、この世界のはじまりなんて誰も覚えてなんかない。精霊だろうと人間だろうと、今はもう、この世界でうまれて生きていく、おんなじ存在なんだ。欠けちゃいけない、世界のひとつなんだ。消えたほうがいいとか、いないほうがとか、どうしてそんな言葉が出て来るんだ? どうして精霊は、人間はなんて言葉が出てくる? どうして!」
 思わず声を荒げる。エディの激情に触れたティアフラムは、思わず身を竦ませた。
「だ……だって……」
 うたれたように身を硬くするティアフラムのひとみから、我慢していた涙があふれてくる。
「……ごめん」
 叫んだ後、自分がどんなに酷なことを言ったのか気づいたエディは、ちいさな声で謝罪の言葉を付け加えた。ティアフラムは、想像もできなかった真実を、いきなり突きつけられたのだ。混乱して妙なことを口走ってしまったとしても、それは避けられないこと。それほどに辛い真実なのだから。
「暫く、休んだほうがいい。僕がおきてるから。……膝なら貸せるよ」
 これ以上言葉を続けるのは難しかった。ぽつりとそれだけつぶやくと、ファーの薄布を手繰り寄せ、ティアフラムをそれに横たえた。
 

「……従弟殿は、お休みにならなかったのですか」
 それから、また長い時間が流れた。日はすっかり暮れ、深い森の中は輝石のきらめきだけがわずかに残る闇が広がる。ぼんやりと時間に身を任せていたエディは、半ば呆れたような従兄の言葉で我に返った。
 振り向くと、長身の従兄が闇の中にたたずんでいる。その横には疲れきった顔の老精霊。
「ねえ」
 どうしたの、とも何も言わず、エディは従兄に呼びかけた。首を傾げる気配。
「どうして昔の人間たちは、精霊たちを人間と結ばれるように創ったのかな。もしもジールヴェなんて存在が出来ないようにしたら……」
 言葉は最後まで続かなかった。メルディースが、困りきった表情をしているのが、エディにははっきりとわかる。
「ううん、なんでもない。……それで、これからどうするか、決まったの?」

 

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