File.25「ふたつの道」


 一息に叫ぶと、エディは荒い息をついた。抑えきれない感情を、無理に抑え付けているかのように、張り詰めた表情。今にも泣き出してしまいそうに見える彼を、メルディースは驚きの目で見つめた。
 従弟は、二十を越す今もどこか子どもじみたところがある。気分で感情を爆発させたことも、一度や二度ではない。それは成長する機会を奪われた過去ゆえのものだったが、それでも、彼がこのように思うままを叫んだことはなかった。
「従弟殿……」
 ひとみに浮かぶ涙が、彼のこころを表している。エディは本気で、精霊たちの行く末を案じているのだ。自らの拠り代となるふたつの種族のひとつが消えてしまう。その恐怖におびえている。抗えない力に、憤りを感じている。
「従弟殿。私も、ファリウスさまも、この真実を知った精霊たちが悩まなかったとお思いですか? 自らが創られたもの、そして消えてなくなってしまうものだということを、はじめから受け入れていたとお思いですか? ……これは、考えに考えた上で出した結論です。精霊は滅びを受け入れ、静かに時を待つ、と。それが出来なければこの地を去り、最後の安らぎへと旅立つのだ、と」
 何もかもを受け入れた、静かなひとみがエディを見る。
「……最後の安らぎ?」
 ファリウスがエディに語ったものと同じ言葉がメルディースからも語られる。『地の精霊はここを去り、残された時を安らぎの地で暮らすのだ』とあの老精霊は言っていた。まるで死の地を思わせるその表現に、行き場のない感情がこころの中に吹き荒れる。
「創られた存在である精霊が、消えずに済む場所です。何よりも愛しいこの世界を離れ、その地へ行くことは、私たちにとって何より辛いこと。それでも、私たちが存在しつづけるには、その場所しかないのです。……ファリウスさまや、かつて姿を消したといわれる光の精霊たちは辛い決断をしたのです」
 ひとが、なぜ精霊に安らぎの地を残したのか、それは今となってはもう、わからない。そのような中途半端な救いなど、苦痛だけが残るのに、と時々メルディースは思う。光の精霊たちはまだ、この世界にいた時間が少なかったからまだよかったのかもしれない。しかし、今ここに生きる精霊たちには、どれほどの悲しみと痛みがこれから襲うのだろう。
「……ほかに方法は?」
 静かに話を聞いていたデルディスが声をあげた。きわめて平静を装ってはいるが、皆、動揺を隠し切れない様子だった。精霊が見えなくなるという現象に、こんな事情が隠されていたなんて。
「ほかに、精霊が生きる道はないのか? このままだなんて、あまりにひどすぎる」
 それに同意するように、人間たちが頷く。
「いいえ、残念ながら。ほかに方法はありません。消えるか去るか、ふたつにひとつです」
 デルディスたちがこころから心配してくれていることに感謝しながら、メルディースは首を振った。この事実を知ったときは、死に物狂いで方法を探そうとしたが、無駄な足掻きだったと再確認するだけだった。
「そんなのって、ないよ……」
 ひとの住めない地を、住めるようにするために創り出された精霊。こころまで与えたくせに、用がなくなれば消えてしまえ、という残酷なまでの処遇。それを精霊はただ、静かに受け入れている。
「メルは? メルや風の精霊の一族はどうするの? あなたたちも……地の精霊の方々のように、安らぎの地へ?」
 それは至極当然の疑問だった。ふたつにひとつしかないというのなら、彼らはどちらを選ぶというのだろうか。
「私たちは、旅立ちを選びません。さいごのときまで、この世界にいつづけます。……消える、そのときまで」
 真実を話しはじめたときから、メルディースの表情は揺るがない。覚悟を決めているかのようだった。何があっても、自分たちだけは離れないという気持ちが強い。
「消える、とわかっていても、なぜそんな選択を……」
 そのまま、言葉が続かずにアルフォークが黙り込む。少しでも命を永らえる方法があるのなら、それを使うべきではないのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。好きこのんで死に急ぐこともないのだ。
「私たちは、見捨てないと決めたのです。私たちとひとの絆が残っている限りは、何があってもこの地を去らないと。もちろん、一族の中でも、それを望まないものたちは安らぎの地に去ることが出来ます。……ただ、こころが告げるのです。去るべきではない、と……。皮肉なものですね」
 与えられたこころ。それが精霊たちを苦しめている。いっそはじめからこころなどなかったほうが、どんなに楽だったかしれない。なぜこんな罪深き存在を作ったのだろう、と過去のひとを恨みたくもなる。そうすれば、ジールヴェという悲しい存在も、うまれ出ずに済んだのに。
「僕たちのせい……? ジールヴェがいるから、メルたちはここを離れられないの?」
 弱々しく震える声がメルディースに向けられた。父も母もないエディにとって、メルディースは誰より近しい肉親である。その彼を、自分という存在が引き止めて、危険にさらしているのなら、これ以上に辛いことはない。
「あなたのせいではありませんよ、従弟殿。私たちはここに残りたいから残るのです。今更見知らぬ土地、見知らぬ存在とともに暮らせと言われても、それは無理な相談です。従弟殿。私たちはひとや愛し子とともにいたいのです」
 メルディースはやはり、変わらない表情で、穏やかに言葉を紡ぐだけだった。
 

「……私は、ファリウスさまにもう一度話をしてきます。暫くかかるでしょうから、どうぞあなた方は休んでいてください。ゆっくり考える時間も必要でしょうから。できるだけ早く、地の精霊たちの怒りを抑えるよう、努力します。少しだけ我慢していてください。結界から出ないように気をつけていてくださいね」
 メルディースは立ち上がると、そういい残してファリウスの去ったほうへと自分も姿を消した。
 残されたものたちは、そろって顔を見合わせる。
「どう、しましょう。怒りが静まらないことには、私たち、ここから出られないんですよね。それどころではないのはわかってはいるんですが……」
「何だか、とんでもないことになってしまいましたわね。こんなことが真実だなんて」
 まったく予想外の出来事ね、とファーがこぼす。意識を取り戻さないままのティアフラムを気遣って、ため息をついた。少女はまだ、話を全部聞いてはいない。
 すっかり違う方向へと話が進んでしまい、戸惑いを隠せないまま時間が過ぎた。
「……待つ、しかないんだろうな。今の俺たちには何ができるわけでもない。メルディースが帰ってくるまで、ここにいるしかないな」
 言葉とともに、デルディスがごろんと仰向けになった。ひとみを閉じて、緊張した神経をほぐす。落ちつかないが、仕方がない。
「エディ。少し休んだほうがいいのではなくて? ひどい顔よ。時間はあるみたいだから、横になったら」
 メルディースの去ったほうをじっと見つめて物思いにふけっていたエディに、ファーが声をかけた。言葉に気づいて振り返った彼の顔には、いまだ涙の名残が消えていなかった。
「……うん。そうなんだけど……。メルが帰ってくるまで、ここで起きて待ってる。ファーやアルフォーク、それにミュアなんかのほうが疲れてるよ、きっと。休んでおいたら」
 何度も、疲れているだろうと声をかけても、エディの答えは変わらなかった。こんなときのエディは、何を言っても聞かないということが、旅の仲間であるデルディスとファーにはわかっていたから、仕方がない、と肩をすくめて苦笑いをする。
 精霊の術にかかって、もう当分は眠らなくていいかと思われた人間たちだったが、メルディースの話は相当に精神力を消費するものであったらしい。奥深くから生まれる疲労感に耐えられず、少しだけ、と横になったファーも、ミュアを抱き寄せたデルディスも、そしてアルフォークも、皆眠りの海へと沈んでいった。
 

 皆の、驚くほど無邪気な寝顔に、エディは張り詰めたこころが少しだけ、和らぐのを感じていた。けれど、変わらない真実を前にすると、泣き出しそうになる自分がいる。
 視界をめぐらせると、悪夢からまだ覚めない様子のティアフラムの姿が目に入った。彼女が起きたら、またきっと問い詰められるだろう。彼女は話を最後まで聞いていない。ジールヴェである自分ですらこんなにこころが揺らいでいるのだ。彼女はなんというだろう。いつも憎まれ口ばかりのティアフラムが、今日はやけに華奢に見えた。
 じっと見つめていると、彼女はわずかに身じろぎをした。うなされている様子は変わらないが、どうやらまどろみからさめて来つつあるらしい。
 一番初めになんと言おう。
 それを思うと、緊張で鼓動が早くなる。
 

「……目、さめた」
 炎色のひとみが、まどろみの中から光を取り戻す。そっけないほどのエディの声がして、ティアフラムはその方向へと視線を向けた。柔らかな布が体から滑り落ちる。見覚えのあるそれは、ファーの薄布。
 自分はいったいどうしたのだろう、と首をかしげる。何だかとても嫌なことがあって、うなされていたような気はするのだけれど。
 ふと考えをめぐらせ、唐突に答えに行き当たった。
「……ばか、みたい」
「ティー?」
 かすかなティアフラムの声が聞き取れず、エディが問う。それに答えず、少女はちいさな体を震わせ、ひとみからただ、透明な涙をひとしずく、こぼした。

 

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