File.24「優しい怒り」


「こんなことになるのなら、やはりなんとしてでもあなた方のそばを、離れるべきではありませんでしたね」
 重い重いため息を、メルディースはついた。
 泣き出しそうなエディから、目をそむけるようにして。
「ちょっと……今の、どういうことなの。つくられたもの……消える、運命?」
 そしてもうひとり、エディの言葉を理解できずに我を失いかけるものがいた。
「ティー……」
 デルディスもファーもアルフォークも、突然の事態に戸惑いを隠せないでいた。今まで本当だと信じられてきたものを、覆すようなことなのだ。しかし、自らの未来を決めてしまうほど、衝撃的なものではない。
 だが、ティアフラムにとってそれは、単に驚いたではすまないことだった。
 精霊としての自分の身が、確かなものではないと知らされたも同然なのだ。
「うそ。……そんなの、うそに決まってるわ。本当のことなわけ、ないじゃない。いったい、何を言ってるの? あたし、わかんないよ。……ねえ、そうでしょ?」
 今まで、自分たち精霊は、ひとより優れた力をもちひとの前に立って彼らを導く、そんな存在なのだと信じていた。自然とこころを通わせ、その力を操ることのできない、消費するだけのひとは、だから自分たちが守らねばならないのだ、と思っていた。
 命も短い、力も弱い。おろかな……それでも放っておけない、幼子。
 そんな人間を、自分たち精霊は愛し、ともに生きてきたのではなかったか。
 ティアフラムの、炎色の髪が、きらめく色を失う。解放されたばかりで、彼女のまわりに踊っていた力が褪せていく。飛ぶ力をなくしたかのようにぱたり、と落ちる。
「ティー!」
 気づいたファーが、慌てて手を差し伸べた。地面に落ちてしまう前、間一髪のところでティアフラムをすくいあげたファーは、壊れ物のようにちいさな少女を扱った。薄布をたたんで、その上に横たえる。
 普段の彼女からは想像もできないほどの痛々しい様子に、ファーはひとみを曇らせた。
「メル。その……本当のことですの? エディが言ったこと……」
「……はい。残念ながら、間違いはありません」
 ためらいがちのメルディースの声がこたえる。
「何から、お話しましょうか」
 

「メルディースさま、と仰いましたか、悠久の風を司るお方。私にもやはり、どうしても理解できないことなのですが。私たち人間が、あなた方精霊の創り主、ということなのですか? ご存知のように、私たち人間はあなた方に比べたらごくわずかの力しか持っていません。それなのに、どうしてあなた方をうみだすことができるのです?」
 今まで沈黙を保ってきたアルフォークが、丁寧な口調で言った。高貴な精霊とは考えられない行動ばかりのティアフラムを置けば、精霊と直に接することになれていないのだろう、必要以上に緊張した声だ。
「メルディースでかまいません、アルフォーク。……確かに、今のひとにはそのような力は備わっていません。これは、はるか昔のできごとなのですから」
 なめらかな銀の光がゆれた。暫く考え込んだメルディースは、ようやく意を決したように顔を上げる。迷っていても、変わらない、それならば。
「はるか昔、この世界はあのお伽噺のように、とても生命が存在できるような場所ではありませんでした。そこに、ひとが現れます。あなた方の祖先です。彼らは新天地を求めてやってきた、いわば開拓者のような役割を持っていました」
 言葉を区切る。理解しがたい話に、追いついているだろうか、と静かに見渡した。
「なあ、メル。その場合、俺たちの祖先はいったい、何処からきたんだ? 今の話を聞いていると、どうも人間がこの世界でうまれたんじゃないように思える」
 眉をひそめてデルディスが疑問を口にした。メルディースの語る言葉は、常識の範囲外のような印象がある。よくできた物語のようだ。
「……そうですね。その、とおりです。船を使い、地図を頼りに旅するあなた方なら、お分かりでしょうが、この世界はまるく閉じています。夜空に輝く星と同じように、真っ暗な空間に漂う世界のひとつなのです」
 何よりもこの世界と自然に近しい精霊たちは、うまれながらにその事実を知っていたが、人間は、誰もがそれを知っているわけではない。ひとはうまれてから死ぬまで、そう長い距離を移動するわけではない。留まれない理由があるなら別だが、普通なら、自分のうまれた村や町を、ましてや国を離れることなどないのだ。
「そして……同じような世界が、無数に存在しています。ひとの住めるところも住めないところも、状況はさまざまですが」
 そこまで言うと、何かを悟ったように人間たちは顔を上げた。世界のひとつ、ということは。
「私たちのこの世界のほかにも、無数に世界は存在する……。そして」
「その世界のひとつに、わたくしたちの源も、あるというわけなのね」
「俺たちの祖先が、そこからここに、たどり着いた」
 彼らが理解してくれたことを知ると、メルディースはやや悲しげに頷いた。
「その、とおりです」
 

「しかし、その。それがどう、精霊のはじまりと関係が……」
 疑問は完全に解消されたわけではなかった。さらに答えを求めて食い下がる。
「大昔の人間であろうと、人間であることに変わりはありません。昔のここは、人間が生きていくには厳しすぎました。一度はこの世界に住むことをあきらめかけた……とまで伝わっています。その世界を変えるために、精霊が存在をはじめたのです」
 悲しみを湛えたメルディースの視線が、人間たちを眺めやる。
「この大地をひとが住みよいものに変えるために。風や大地……この地の自然、それぞれを操る力をもった、『こころを持つ』道具とでもいうべき存在をつくりだした。それが私たち、精霊です」
 『道具』と言うときのメルディースの表情が、わずかに痛みにゆがんでいるように見えた。
「精霊は、ひとにはない力でこの世界を駆けました。この世界を慈しむこころをもって、この世界を今あるとおりの世界に変えたのです。ひとが捨てたがっていた悪意を、微塵も持ち合わせていない精霊は、いわばひとの理想の象徴でした。姿かたちも、ひとの理想を反映したもの。つくりものの存在は、皮肉なことにひとのあこがれになりました。そしていつしか、精霊が自らの創り出した存在だということを、忘れてしまったのです。そして、自らが作り出された存在だということを知っている精霊がごくわずかになるほどの、気の遠くなる年月が経ちました」
 そして、創生の物語はいつしか形を変え、真実と逆転した方向に伝えられていったのです。
 メルディースはそう、言葉を締めくくった。
 

「嘘じゃ、ないんだね」
 うつろなひとみのまま、まどろみの中のひとのようにエディが言葉を漏らした。誰よりも信頼する従兄の口から、ファリウスと同じ事実が語られた。信じたくなかったのに。
 メルディースやファリウス、それに、時に異端視する人間と違い、ジールヴェを愛し子と大切にしてくれた、旅の中で知り合った精霊たち。大切な仲間たちの悲しい過去と未来。
 無言のまま、メルディースが頷き返す。エディは、こころの中にわだかまる、もうひとつの疑問を口にした。
 ファリウスは言った。
 精霊にはもう、時間が残されていない、ということを。
 それも、本当なのだろうか。
「じゃあ、消えちゃうんだ。メルも、ティーも。精霊はみんな」
「エディ!」
 あまりにストレートすぎる言葉に、非難の声が飛ぶ。自分がいずれ消える運命だなどと、好んで口にできる存在など、どこにいるだろう。メルディースのこころに配慮した声。
「いいのです。……ありがとうございます。気を遣ってくれて」
 柔らかに微笑んだメルディースは、静かなまなざしでエディに向き直った。
「精霊は、その役目を果たせばもう、存在する理由はありません。……そういうことです」
 あえて無感情に、言う。あまりといえばあまりなその物言いに、皆一瞬、息を飲んだ。
「精霊はこの世界にうみだされた時から、行く末が決められているのです。はるか昔、自らがそれを忘れてしまうほどの時点から。人間が独り立ちできるようになったと、精霊が判断すれば、精霊は衰退する、と。ひとが感知できない次元へと旅立つのだと」
 人間が生きる世界なのだから、『こころ』をもつ存在は、ふたつもいらない。そんな意図が見え隠れする、身勝手な運命。
「そのとき、はそう遠くないでしょう。現に、私たち精霊の生きていく場所は少なくなりはじめています。精霊の数も、減っていく一方です。……とはいえ、人間の時間に置き換えれば、今しばらくの猶予はありますが。従弟殿、貴方がその命を全うするぐらいは、ね」
 こころのこもったまなざし。創られたものとはとても思えない、やさしさ。真実に戸惑う従弟の不安を、消えてしまうのではないかという恐れを、取り除こうとするための言葉。
 それがエディにとって、今は辛く、一番腹の立つものだった。
「僕は、そんなことが心配なんじゃない!」
 立ち上がり、座っているメルディースを見下ろす。肩も、握り締めた拳も、小刻みに震える。
「従弟殿?」
「……いったいどうしましたの?」
 驚いて見上げたエディの顔には、怒りと悲しみとがないまぜになった、痛々しい表情が浮かんでいた。
「メルはどうして、消えるってわかってて平然としていられるんだ? ファリウス殿もそう。どこか悟ったような顔をして、淡々と真実を話すんだ。どうしてそんなことができるの? 何でだよ!」
 忘れ去られる精霊、なかったことになってしまう絆。それを前にして絶望せずに受け入れられるこころが、エディにとって一番、理解しがたいことだった。

 

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