File.23「真実」


「ファリウスさま……」
 メルディースの声が、わずかに非難の色を帯びる。目上に対する、控えめなものであったが、それでもファリウスは深い後悔に襲われた。目の前の愛し子の、哀れな姿。それを自分が引き起こしたのだとわかっていたから。
「そなたらのことやここへ来た理由はこの子より聞いておる。ここまで来たこころの強さと、この大地に対するせめてもの償いに、何とかするつもりじゃ。……しかし今しばらくは、わしをそっとしておいてくれぬか……。身勝手な願いじゃが、の……」
 人間たちに、かろうじてそれだけを告げると、ファリウスは輝石の中に姿を消した。
 

 引き止める暇もなく去ったファリウスを、呆然と見送る一行。
 メルディースがまず我に返り、従弟を気遣った。エディはひどく緩慢な動きであたりを見やると、ようやく仲間の姿を認めた。
「……いたんだ」
 気の抜けた声には、やはり元気がない。
「ちょっと、どうしたのよ、そんな、あんたらしくもない!」
 エディの姿に、ティアフラムは思わず声を荒げた。こんな彼の姿は初めてで、どう対処していいのかわからない。どうにも調子が狂う。いつもだったらこんなことを言えばむきになって反論してくるはずだから。そんな気持ちもこめて、口調は厳しいものになる。
「何よ、ひとりで突っ走って、その挙句、こんなところでぼーっとしちゃって! いったいどういうつもりなのっ」
 なおも言い募ろうとするティアフラムを、メルディースがやんわりとさえぎった。そのちいさな体を包み込むようにしてエディから引き離し、そばにいたファーの手の中に預ける。
 まるで子どものような扱いをされたティアフラムが、ファーの手の中で抗議の声をあげた。それに聞かぬ振りをしながら、メルディースが皆のほうを向く。
「少し、休ませてあげましょう。従弟殿にも、時間は必要です。あなた方も、やはりお疲れでしょうから、この場所を借りましょう」
 どこか悲しみを含んだ声で彼は告げ、深いため息をついた。
 

 ファリウスがいたここは、ある種の結界のようなものでわけられているらしかった。ざわめく精霊たちも、この中までは入ってこない。ファリウスが姿を消し、エディもまともに動かせる状況ではない今、ここに暫くとどまるほか、一行に残された道はないのだった。
 相変わらずのエディを囲むようにして皆、座る。
「俺たちが眠ってしまったあと、何があったか教えてくれるか? 今でも、何が起こったかさっぱりわからないんだ。記憶が抜け落ちてるのか覚えてないだけなのかすらよくわからん」
 沈黙を破るように、デルディスが声をあげた。
「私たちは、聖地にかけられた精霊の力によって眠らされた……んですよね。どうも、私はその少し前からの記憶もおかしくなっているみたいなんです。眠ってしまったということですら、はっきりと覚えていないんですから」
 確認を求めるように、アルフォークが言う。あまりの展開に思考がついてゆけず、戸惑いを隠せない。不安げな表情だった。アルフォークの疑問にこたえるようにファーが頷く。
「そうですわね。眠気が急に襲ってきたところまでは覚えていますわ。けれど、そのあとはまったく……。エディの様子、とても気になりますわ。何がありましたの、いったい」
 言葉のあと、ファーはひざを抱えてこころを閉ざしているようなエディに視線を向けた。どこか、不安と必死に戦っているような、泣き出したいのをこらえているかのような、その姿。受け入れがたい事実を拒んでいるようにも見えた。その様子に、彼女は軽い既視感を覚えた。かつて、彼女が今までの生活に別れを告げねばならなかったとき。あのきっかけになった事実をはじめて知ったとき、自分もこのような姿ではなかっただろうか。世界が根底から覆されるような、絶望にも似た混乱。
 彼を襲った真実とは、いったい何なのだろう。
 青年の、捨てられた小動物のような悲しい姿が、ファーのこころを深くえぐった。まるで実の弟を思うように、悲しさとやさしさが入り混じった視線を向ける。
 
「みんなが眠りこけちゃってから、いくらなんでも放置していくわけにはいかなくって……こいつがひとりで行くことになったのよね、聖地の中心に。みんなを守るっていう理由をつけて、力を少しだけ解放してもらったあたしがここに残ることになったの。……そこからはあたしも知らない。ここでいったい何があったの? メルディース、あんたならこころ当たりあるんでしょ。さっきから青ざめてるもの」
 ティアフラムの鋭い声が飛んだ。エディを気遣うようにそばにいたメルディースが、はっと顔を上げ、答えに窮する。ティアフラムの言うとおり、ひどく顔色が悪い。先ほどの扱いをまだ怒っているのか、ティアフラムは容赦なく厳しい視線を投げつけた。こころなしか、彼女の周りに陽炎が立ち昇っているようにも感じられる。
「それは……こころ当たりはありますが、今、ここで言うべきものでは」
 メルディースはそのまま口ごもった。従弟が何か問題を起こした場合を除き、普段から思慮深く、言葉少ない彼ではあったが、こんな様子は珍しい。彼をよく知るデルディスとファーは首をかしげた。
 ティアフラムはその様子が気に入らないのだろう、今にも爆発しそうな雰囲気を漂わせる。
「気になるじゃない、さっきからあんたも元長も秘密を抱えてるような口ぶりだし。さっきの『精霊のそもそものはじまり』とかさ。どういうことなの? “この世界がこの世界になったとき、まず精霊が現れた。そして今ある世界にした”……って話のことでしょ。誰でも知っていることじゃないの? それとも何、人間はこんなことも知らなくて、落ち込んじゃうものなの?」
 呆れたような言葉が続く。
「いいえ、そんなことはないわ、ティー。そのお話はわたくしたちの間でもとても有名なものだし、知らないひとがいるとは思えないわ。もちろんエディも知っているはずよ。メル……ねえ、何を隠しているの? わたくしたちは知ってはいけないこと?」
 ティアフラムが語ったのは、ここでは知らぬものなどない、創世の物語である。
 

『はるかな昔、とてもひとの住める状態ではないひとつの世界があった。
 大地は安定することなく、乾いた灼熱の風と炎が吹き荒れるそこは、まさに地獄。
 とても足を踏み入れられる状況ではなかった。
 
 しかしあるとき、時と空間の揺らめきから不思議な存在が現れた。
 そのものたちは不思議な力をもって、この世界を安定したものへと導いていった。
 それぞれの得意とする力で光と闇をわけ、大地を固定し、荒れ狂う風と炎を抑え、水を誕生させた。
 こうして世界は今の姿になり、ひとの子が世界に広がりはじめた』


 それは疑うもののない、誰にとっても動かしようのない事実なのだと思われている。
 精霊もひとも、幼いころからこの物語を聞いて育つ。そのこころに植え付けられた物語は、世界そのものに対する愛情に変わる。とても住める状況ではなかった世界に、今いるという事実。住める状態に変えた偉大なる過去の精霊たち。
 それを思うとき、皆、ここにいられることに幸せを感じる。
 

「……これは、誰もが知っていることではないのです。精霊でも、長に連なる一族の、ほんの一部しか知りません。人間では……ほとんど誰も知らないといってもいいくらいでしょう。私も、ずいぶん長い間、知ることはありませんでした。知られてはならない……とても、危険なことだからです」
 話の確信に触れることを恐れてか、メルディースの声はなお、ためらいを残したまま。
「私たち精霊と、この世界のはじまり。それは、あの創世の物語とは少し、違っているのです。従弟殿は、それを知ってしまったのでしょう……。私たち精霊に、もう時間が残されていないことも……」
 悲しみの混じる声が、皆のこころに響く。告げられた事実に、誰もが理解できずに首をかしげた。時間が残されていないとはいったい、どういうことなのだろう。
「あたし、そんなこと聞いてないわよ……。時間ってどういうことよ! 創世の物語が違うって、どんな風に? いったい、何が本当なの」
 ティアフラムの声が震えている。彼女自身にも関わるものなのだと、無意識に悟っているようにも見えた。これ以上、聞くのが怖い。けれど、聞かずにはいられない。
「精霊はつくられた存在だって、この世界を住める状態にするためにうみだされたものだって……。ひとの世界が安定したら、いずれ消える存在なんだって……聞いた。そしてそのときは近いんだって。嘘だって、言ってよ、メル」
 うつろなひとみのままのエディが、そうぽつりと漏らした声が、遠く響いた。

 

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