File.22「ゆくすえ」


 ぽっかりと広い空間に、ファリウスとたったふたりきりでいることが気まずくて、エディはおろおろと視線をさまよわせた。どうにも、こんな厳粛な雰囲気というものは苦手なのだ。
 それがおかしかったのだろう、ファリウスはわずかに笑みをもらした。
 それに気づいたエディは、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
「いや、いや、すまぬな。そなたがあまりに若いので、微笑ましく思っただけじゃ。……そこに、座るといい」
 笑みはそのままに、ファリウスは自分のそばを指し示した。戸惑いながら、エディはそれに従う。
 
「そのように緊張せずとも、わしはそなたを取って食ったりはせぬぞ。もう少し楽にするがよかろうに」
 少しもくつろごうとしないエディを見て、ファリウスは首をかしげた。何だか、いじめているような気分すらしてしまう。目の前の青年は、やはりどこかおびえているようで。
「……やはり、似ておるな」
 知らず、言葉が口を突いて出た。
 エディが目を瞬かせる。似ている、とはどういうことなのだろう。
「僕が、誰に似ている、と?」
 エディの疑問に、ファリウスはやさしいまなざしを彼に向けた。エディを通して、どこか遠くを見ているかのような、そんな雰囲気がする。
「そなたの父じゃよ。あれもどこか、気弱な精霊じゃった。風のやさしい部分ばかりを受け継いだようでな。……それが、まさか故郷を捨ててひととともに生きるみちをとるとはのう。そしてその絆がそなたというのだから、奇妙なものじゃ」
 懐かしい、遠い過去を思い出すようなファリウス。
 銀の青年の面影が、目の前の愛し子にかぶって見える。所々、気の強そうに見えるところ、そして、この地にまで乗り込んでくるような無謀なまでの一面があるのは、母の血がなせるものなのだろうか。弱さと強さ。それがこの青年の中でまじりあっている。
「失礼ながら。あなたは、その、地の精霊でしょう? なぜ、父のことを……」
 老精霊の言葉に、ところどころつっかえながらも、エディが疑問を口にした。父は、そして己の属する一族は風である。
「大地と風は、この世界の何処にでも、存在することができる。たとえ闇の中だろうと光の中だろうと、業火にも、そして水のながれにも影響を及ぼす。風により大地の一部は巻き上げられ、大地は風の動きを変える。我らは空と大地と、ふたつに分かれながら、とても近い一族なのじゃ。だから、風の一族とはとても親しくしておってな。そなたの父のことも、存在し始めた頃から知っておる」
 ファリウスはそう言って、まるで己が一族の幼子を見守るかのような視線をエディに投げかけた。
 
「さて、エディといったか。そなたはなぜ、ここへ? ここまで来るのには、かなり無理があったのではないか? 今の聖地は、精霊以外のものにとっては死と同じことじゃ。それでもここに来るということは、よほど大切な用件なのじゃろうな?」
 怒り狂い荒れる森の中を、ここまで来るということは、相当の覚悟がないとできるものではない。
「偶然、森の異変を目にしました。そして、この大陸に起こった異変を知りました。……その原因を生み出したのが、影だということも。僕は、いまだ影に追われています。影を、憎んでいます」
 ひとつひとつ、言葉を選んで疑問にこたえてゆく。
「嫌なんです。影が、精霊とひととの絆を壊してゆくことが。影が現れだしてから、ひととの関係がおかしくなっていることはご存知でしょうか。今ではもう、精霊の存在を感じ取れる人間が出てきてしまうほどに、薄れかけているんです。それが、僕には、どうしても」
 抑えていようと思ったこころが、話していくうちに我慢できないほどに辛くなってゆく。
「僕、ひとりで、この事態を収められるとは思っていません。けれど、何とかしたくて、無謀だとは思ったんですけど、ここに。王都から、この地に住む人間の気持ちを携えてきました。ここまでの道のりは、この大陸のひとに案内してもらって。だから、どうか」
 思いのままに言葉をつむいだせいか、自分でも何を言いたいのか、何をしたかったのかすらうまくまとまっていない。支離滅裂なそれに、エディは自分で自分が嫌になりそうだった。
「精霊の怒りは、もうわしには止められぬ。わしはもうすでに長ではない。そして次の長もいない。あれらを宥めることはできようが、おさまるかどうかは彼ら次第じゃ」
 ため息とともに告げられたファリウスの言葉は、重く、エディのこころにのしかかった。
「そんな……」
 それではいったい何のために、ここまで来たというのだろう。
 そして、このままではこの大陸は、いったいどうなってしまうのだろう。
 
「それに、そなたは今、精霊を感じ取れる人間が少なくなってきた、と言っておったな。勘違いをしているのかもしれぬが、それは影が原因ではないのだよ。我ら精霊自体に、その原因があるのじゃ。影との関係は、偶然に時が重なっただけじゃ」
 思い出したように、ファリウスが付け加えた。
「それっていったい……? ひとと精霊と、関係が薄れてきたから、精霊を感じられないひとが増えたんじゃないんですか?」
 その事実は、エディにとって寝耳に水のものであった。思わずファリウスに詰め寄りかけ、我にかえって居住まいを正す。精霊自体に原因があるとは、いったいどういうことなのだろう。驚きと、そしてなぜかはわからないが、本能的な恐怖とがこころの中に生まれ出る。
「我らと人間の関係が薄れてきたのは結果に過ぎぬ。原因はもっと深いところにあるのだから。それは我らのそもそものはじまり……この世界が生まれたばかりの頃にある」
 淡々と、感情のこもらない声でファリウスが続ける。今ではもう、この事実が彼のこころを惑わすことはあまりない。
 だがしかし、目の前の青年の、不安にゆれるひとみがうつった。まるで幼子のような、こころ細いそれにファリウスは悲しみを覚える。我ら精霊は、絆といえる幼子を残したまま、去るか消えるかを選ばねばならない。それを思うときに少しだけ、なめらかな輝石のようなファリウスのこころがゆれるのだった。
 

 エディに指示された場所に、メルディースがたどり着いてみると、そこには横たわったままのデルディス、ファー、そして見知らぬ男がいた。そのそばには、中空に浮かぶ火の精霊の少女と、やはりこちらも見知らぬ少女。
「……これ、は」
 目の前に広がる光景に、ただ呆然とするしかないメルディース。デルディスとファー、ティアフラムの三人はいいとして、なぜか見知らぬものたちが増えている。いったい、どういうことなのだろう。エディは一言も、こんなことを言っていなかった。
「……もしかしてあんた、エディの従兄っていう。何であんたがこんなとこにいるのよ」
 長身のメルディースをいち早く見つけ、ティアフラムがふわふわと飛んできた。後ろから、見知らぬ少女もこころ細そうについてくる。
「……ティアフラム、でしたね。この地に用がありましたので。……それより、なぜ人間が増えているのです? それに……あなた、力を……」
 彼女が近づいてきたことで、ティアフラムにかけていた封印の力が、なぜか弱くなっていることに、メルディースは気がついた。従弟がやったのだろうか。……そんな、まさか。
「えへへ、気づいた? あいつが聖地に行ってる間、守りがこころもとないからって封印、はずさせてやったの。本当は逃げちゃいたいところなんだけど、ちょっと無理だしね。力が思う存分使えるってやっぱりいいわね。おかげでほら、このとおりみんな無事。あたしの力に恐れをなしたのかしら、みんな近づいてこないし」
 得意げにそう言うティアフラム。指さした方向、倒れている人間を囲むように炎の輪が張られている。
「それから、増えた人間……ひとりはジールヴェだけど。ひとりは港町で拾って……もうひとりは森で拾ったの。拾ったのはどっちもデルだけどね。こっちがジールヴェのミュア。あっちの頼りなさそうな人間がアルフォーク。あれで王都の近衛騎士なんだって」
 ミュア、と呼ばれて少女がひとみをあげた。メルディースを見る。少女に目線を合わせるようにしゃがみこんだ彼に、ミュアの首筋の刻印が目に入った。はっと息を呑む。
「そう。あいつと同じだって。放って置けないからって連れて行くことになっちゃったのよね」
 メルディースの驚きに気づいたティアフラムが、のんきそうに告げた。
「まったく、従弟殿はどうしてこう……」
 次から次へと異変と事件を抱え込む血縁者に、メルディースは深いため息をついた。
 

 目覚めたデルディスたちが、聖地へ案内されたのは、そろそろ日が傾きかけるくらいの頃だった。きらめく星のようなその場所に足を踏み入れた四人と二精霊は、いつになくおかしい様子のエディに、ひとめで気がついた。
 無事なデルディスたちの姿をそのひとみに認めても、彼の表情が動くことはない。うつろな色のひとみは、焦点を失っている。
「従弟殿……? ファリウスさま、いったい、これはどういうことなのですか?」
 メルディースが、エディのひとみを覗き込みつつ言った。
 ファリウスは彼らが来てくれたことに大きな安堵を感じながら、戸惑いの表情を向ける。まさか、このようなことになろうとは、予想していなかった、とでもいうような。
「わしは少し、話しすぎたようじゃ……。この子はまだ、精霊の行く末について、何もしらなんだな。悪いことをした……」
 その一言で、メルディースはすべてを察したようだった。
「まさか、ファリウスさまは従弟に、精霊のそもそものはじまりについておはなしになったのですか?」
 そして、精霊がどうなってしまうのかも。
 口には出さず、問い掛けるメルディースに、ファリウスは重々しく頷いた。

 

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