File.2「水の舞」


 赤い炎が空を焦がす。数刻前に起きた火事は、今や屋敷中を飲み込み、村長の屋敷は今にも崩れ落ちそうなほどになっていた。呆然と見つめる村人たちの中、デルディスが気が付いたように肩衣を脱ぎ、辺りに視線をさまよわせた。
「おいっ! 井戸は、水はっ!? 俺は今からあの屋敷の中にはいる。エディがまだ中にいるんだ! 水は何処だ」
 掴みかからんばかりの勢いで問いつめられ、村人のひとりがおそるおそる村に掘られた共同の井戸を指さす。井戸の水をかぶり、今にも屋敷に飛び込みそうになるデルディスを、ファーが慌てて止めた。
「デル!? 無理ですわ、無茶はやめて。エディなら自分逃げ出してこられるわ。落ち着きなさい、デルっ」
 だがそんな制止の声が聞こえていないように、デルディスは燃えさかる炎の中へと飛び込もうとした……と。
 ひゅう。炎から起こる風とは明らかに違う、力を持ったつむじ風がひとびとの前で巻き起こった。突然の風に皆顔をかばう。顔を上げた先には、ひとりの青年が立っていた。
 

「く……早くここから逃げなきゃ……家が崩れる……」
 燃えさかる家の中。エディは未だ謎の精霊の少女と対峙していた。
 少女の指示で彼に襲い来る炎の波を、風の壁でとどめるぐらいの力しか今の彼にはない。うまく力が引き出せない。二日酔いのせいで、思考がまとまらないのだ。
「ふふ、限界のようね、半人前さん。けど殺しはしないわ。だってあなたってまだまだ遊びがいがありそうなんだもの。まだちょっとつきあってもらうわよ。家が崩れるまで……ね。ふふ」
 荒い息の下、精一杯の怒りを込めて、少女をにらみつける。少女はそれを一瞥した後、くるくると踊るように宙を舞った。
「さあ、これから、よ」
 炎の波が、ふたたびエディを襲う。エディは残りのすべての力を振り絞るようにして炎に視線を向けた。
 

 つむじ風の中から現れた青年。それは先刻エディをたたき起こした彼の従兄であった。炎に飛び込もうとするデルディスと、引き留めようとするファーを視線の端に止め、驚いた顔をする。
「デルにファー、従弟殿はどちらです? もしかしてまだ……中?」
「メル!? 何故あなたがこんな所に……! そう、エディが、まだあの炎の中なの!」
 エディの身をいつも守護しているとはいえ、彼の本来のいるべき場所は別の大陸である。実際にそばにいるわけではない。まったく予想もしなかった人物の登場に目を瞬かせるファー。
 目を閉じ、気配をうかがっていた従兄――メルディースは守護すべき人物が、やはりいまだ炎の中であることに気づき顔色を変えた。
「……まったく、従弟殿は……!」
「ねえ、メル、あなたの力で屋敷の中からエディを連れ出してくることは出来ない? デル、さっきから自分が行くってきかないの」
「それは……もう無理です。あの炎は何らかの意志を持って発生したもの。勢いが増して、他の精霊である私には入る余地がありません。自然に発生したものならまだ方法はあるのですが……。そういえば」
 考えていたメルディースが何かに気が付いたように顔を上げた。
「ファー。あなた水が喚べましたよね?」
「……ええ……それが……あ!」
 メルディースの意図することに気が付き、ファーがはっとする。
「あなたの喚んだ水を、私の風に乗せて運べば……何とかなるかもしれません」
 

 しゃらん。ファーの衣装のあちこちに付いた飾りが鳴る。纏っていた薄布が風に靡き、ふわりと舞った。
『恵み運びし清き流れよ。水晶のごとき力を持って、今我とともに祈りを象れ……』
 ファーの口から紡がれる静かな呼び声に、夜闇色の薄布がさっと色を変えた。わずかなゆらめき。鮮やかな水の色。
『巡りし水よ、夜の帳のように幾重にもこの地に降り立て。我が望みしは汝が力。我が踊りを糧に、今こそ汝が力を示せ』
 緩やかにファーが舞う。金色の髪とそのあちこちに結びつけられた力持つリボンが鮮やかにそれを彩る。そして薄布は、彼女の呼び声とともに現れた水の祝福を受け、煌めく水と化した。
『我が源たる風、すべてを吹き抜けるその鋭き刃をもって恵まれし舞姫に祝福を与えよ』
 メルディースの口から歌うように紡がれる言葉を合図に、彼の両手に風が集まりだす。風の宝珠を空に掲げ、さらに力を込めた。
『恵みの力を今、この地に満たせ。怒れる力を鎮め、静寂をもたらせ』
 それを合図に風の宝珠は弾ける。くるくると舞う水を求めて踊りだした。水を含んだ風は炎に向かって走る。雨のように降り注ぐ。
 

 炎がエディを取り巻く。彼の纏う風を境に少しの余裕もないほどの近さまで火の手が伸びる。
「楽しかったわ、半人前さん。そろそろこの家も限界みたいだし、私も捕まる前に消えるわ。じゃ、ね。ちゃんと生き残ってまた会えるといいわね」
 ふぅっ。手にした炎の固まりをエディに吹きかけ、少女は自らの作り出した炎の迷宮の中に消えかけた。
「……待、て……!」
 逃すものか、と手を伸ばす。熱い。風が薄れかけて伸ばした先が炎に当たる。じり……髪も服も体も、炎に焼かれる。けれど、このまま退くことは出来なかった。力をこんな風に使うものが許せなかった。必死に力を振り絞る。
 
 少女の衣装に手が触れた気がした。炎色の髪に、手が当たる。それをきっかけのように、一息に少女をその身に抱え込む。
「……逃が……さない……。自分のしたことを、よく考えるんだ……力をこんな風に使うなんて、そんな……!」
 エディに抱え込まれ、少女はもがく。纏う炎を強くして、離さないエディを焦がすようにして。けれどそんなことをものともせずに、エディは少女を抱きしめたまま動かない。
「離して! 何で半人前となんか……人間の血が入った奴となんか触れあわなきゃならないの!? 嫌っ! ひとなんて、ひとなんて……あたしだいっきらいなのよっっ!」
 ちりちりと銀色の髪を焦がしながら、エディはそれでも少女を離そうとしなかった。
「ひとだとか……半人前……ジールヴェだとか、精霊だとか……。どうして、そんなものにこだわる……? そんなの、少しも変わりがないのに……。さあ、僕と一緒にこの村のひとたちの所に行って、謝ってもらうからね……。それまで、離さない……」
 深い森の瞳が閉じられる。消えていく意識の中で、それでもエディは少女を離そうとしなかった。
 

 かすかに水のにおい。それに何かが焦げたにおい。
 目を開けると、そこには心配そうな仲間の顔があった。。何故か知らず知らずに笑みが漏れる。
「……うん。僕は大丈夫だよ」
「エディったら……」
 困ったように笑みを返すファー。
「まったく、従弟殿は……。状況を把握していないんですから」
 頭を抱えるメルディース。
「……エディっ! ひとをどれだけ心配させたと!」
 怒り狂って肩をがくがく揺さぶるデルディス。
 三人三様の反応に無事に帰ってこられた幸せを改めてかみしめる。
 揺すぶられて服がこすれるのが少し痛かったが、それでもこころの底からわき上がる喜びが嬉しかった。
 ……と。焦げてぼろぼろになった彼の着衣から何かが転げ落ちた。
「……これ、何ですの? ……ちっちゃい……女の子?」
 見つけたファーが両手に抱え上げた。気を失っている赤い髪の少女。
「あ……痛っ……えっと、……原因はそれなんだ。この村の火事。……逃げようとしたから……捕まえた」
 やけどで痛む体をかばいながら少女をつまみ上げる。
 火事の原因と聞き、仲間だけでなく村人たちの視線もその少女に行く。
「……やはり……精霊が関わっていましたか。それにしても、水の恵みが満ちたこの大陸で……何故炎の精霊が」
「ん……それは分からない。それはそうとメル、力を貸して欲しいんだ」
 少女をつまみ上げたまま、エディ。
「……なんですか?」
 従弟の言葉に首を傾げるメルディース。
「この子が逃げられないようにね、ちょっと」
 彼の言葉に少々危険な雰囲気が混じっている。
「……怒って……ますわね、エディ……」
 引きつった笑みで、ファーがこう評した。

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