File.1「風と炎」


「風よ、我が力の源よ、我に守護を!」
 業火の中、炎を反射してきらめく銀髪をなびかせ、青年が叫んだ。
 青年のまわりを風が包む。今にも彼に迫りそうだった火の勢いが風に阻まれ、そこだけ少しおさまった。だがその外の炎は巻き起こった風のせいでますます強さを増す。
「うふふふっ。強がっていられるのは今のうちだけよ、半人前の精霊さん。純粋な精霊じゃないあなたがあたしに敵うわけないんだから。さ、炎たち。もっと遊んであげなさい」
 青年は、深い緑の優しい瞳をいつになくきつくして睨む。彼の前にいるのは鮮やかな赤い髪の少女。人間でない証拠に、青年の肩に乗るぐらいの大きさである。
 少女は楽しそうに微笑んで、片手で炎を操った。
 

 ことの起こりは数刻前――


「エディ! おまえ自分で朝早く出発だって言ってたくせに寝過ごして。急がないと次の街に着けないぞ」
 中央に大きな湖のある大陸・レイラ。首都レインファラを中心として、大陸のあちこちにのびる街道のひとつでのこと。港に向かう道をなにやら騒ぎながら急ぐ三人がいた。剣士、踊り子、魔法使い風の青年、と風変わりな一行はまわりの注目を集めながら進む。
 腰に業物の剣をさす隙のない身のこなしの男――デルディスにそう責められ、エディと呼ばれた青年は死にそうに息を切らせながら反論の言葉を口にした。何しろ昨晩いい酒が手に入ったからと酒盛りを始めてしまったのは、この剣士とあともうひとり、何ともない顔をしておかしそうにエディを見つめる踊り子の女性なのだ。
「デルにファー、ふたりとも何でそんなに平気なんだよ……。あれだけの量飲んで、何にもないなんて。ああ、頭が痛い……もう休みたいよ……」
 それを聞いた踊り子――ファーが、まあ心外、とでも言いたげにな表情をした。踊り子という職業には似つかわしくない丁寧な言葉遣いが、エディにさらに衝撃を与える。
「あんなちょっとのお酒で二日酔いになるなんて。お酒が弱いのなら私たちにつきあわずに先に休んでしまえば良かったのではなくて? 無理にのむからいけないんですわ」
「そうそう、自分の調子を考えてなかったおまえが悪い。うだうだ言ってないでさっさと行くぞ」
 きっぱりとデルディスに言い切られ、その場にへたりこんだ。
「……もう駄目……」
 へたりこんだエディに、情けない、とふたりが顔を見合わせる。
「……仕方ない、近くの村にでも一日世話になるか」
 地図をのぞき込んで、デルディスがつぶやく。
「そうですわね。船に乗り遅れてしまうのは残念ですけれど、まさかおいて行くわけにはいきませんものねえ……」
 船に乗り遅れる、の所をことさら強調してファーも応じる。
 ふたりの言葉でさらに落ち込んだエディは、やっとの事で「ごめん…………ふたりとも」と口にした。
 

 地図に表示された一番近くの村。そこはなんとも寂れたところだった。
「ここ……だよな?」
「……ですわよ……ね?」
「気持ち悪い……」
 まともな反応が返ってこないエディを放って、デルディスとファーは地図をのぞき込み、村を見渡す。火事だろうか、黒く煤けたままの家が多い。
「……ひと、いるんだろうか……」
 つぶやきながら家々を見て回る。にぎやかに村人たちがいるべき場所に、誰もいない。
「おかしいですわね、村がつぶれたなんて話、レインファラでも聞きませんでしたわ。ああ、デル、あちらの一番大きな家は? 村長の方がいらっしゃるかもしれませんわ」
「行ってみる。……済まない、誰かいるか……?」
 きぃ、と古びたドアが軋む。村で一番豪華な家も、どこか暗く沈んでいた。
 ……と。
「何かね?」
「うわあっっ!」
 まるで闇から抜け出すようにして、ひとが姿を現した。
 

「ほっほっ。二日酔いか。若いのう。まあ、その寝台に寝ていなさい、薬草を煎じてこさせよう」
「お手数おかけいたしますわ。申し訳有りません」
 現れたのはやはりこの村の長だった。一行の願いを快く受け入れると部屋を用意してくれる。寝台にばたんと倒れ込んでそのまま眠りの海に沈むエディを見て、ふと何かに気づいたように目を丸くする。少しひととは違う耳朶。
「おや……その若者はもしかしたらジールヴェかい? 珍しいね。良くいるとは耳にするんだがわしは初めてみたよ」
 自然なるもの、精霊。そしてこの広い世界を自由に行き来する人間。自由を夢見る精霊は、それを持つ人間にあこがれ、不思議の力を司る精霊に、人間は尊敬の念を抱く。そしてそれが、種族を越えた愛につながるのも珍しいことではなかった。そうして異なる種族の間に産まれた子供を《ジールヴェ》と呼ぶ。
「ああ、お気づきになりましたか。ええ、そうですよ。でもこいつは人間と何ら変わりないですね、本当に」
 デルディスは安らかに寝息を立てるエディを優しく見つめる。出会った頃からすると、ずいぶんひとらしくなったものだ、と。
「じゃあ、彼はゆっくり寝かせてやりなさい。おまえさん方も居間でくつろいでおいで。わしはやらなければならないことがあるので失礼するがね」
「はい、ご厚意に甘えさせていただきます。あの……」
 去っていこうとする村長に聞き忘れていた、とファーが口を開いた。
「何かな?」
「差し出がましいようですけれど……この村は今何か問題があるのですか? 街道の近くで家も多い、決して寂れるような場所ではありませんのに……。もしも私たちでよろしければ、場所をお貸しいただいたお礼に何か出来ることはありません?」
 ファーの言葉に村長はなにやら困った表情を浮かべた。
「その言葉はありがたいが……お客人に被害があってはいけない。大丈夫だから何も気になされるな。それに……相手が精霊とあってはそうすぐに解決できるものでもないしの……」
 

「ねえ、デル、あれどういうことかしら。相手が精霊って……」
 村長の家の居間で出されたお茶を飲みながらファーがつぶやくように言った。
「そうだな……この村、酷い火事があったように焼けている家がほとんどだった。それと関係があるとしたら……。この村をこんな状態にした原因が精霊にあるということだろう。焼けた様子から察するに、炎の力を持つ精霊か……」
 寝椅子で考えながら言葉を口にするデルディス。
「何にしろ、このまま放っておくわけには行かないと思いません? 私たち、エディのおかげでただでさえ精霊とは縁が深いのですし、こんな時ぐらい役に立たなくては。このままでは人間と精霊の仲が悪くなる原因ともなりかねませんわ」
「エディは今動けないしな。俺たちがやるしかないか。こういうとき、真っ先に飛び出していきそうなのはあいつなんだが」
「仕方ないじゃありませんの。……さて、ではどうしましょうか」
 ファーが立ち上がる。衣装のあちこちに縫い止められた飾りがしゃらり、と鳴った。
 

 そして、こんな事件に巻き込まれる発端を作ったエディは、いまだに眠っていた。二日酔いの何だかすっきりとしない頭で眠るのはあまり気持ちいいものではなかった。が、この気分の悪さはどうしようもない。
 と、そんなエディの姿を遠くから見つめる目があった。
「……何あれ。なっさけない。あれでも精霊かしら。……ああ、あいつ、半人前なのね。……ふふ、今日の標的はこの家、あの半人前ね。あたしの力、思い知らせてあげるわ」
 炎色の髪と瞳。皮膚の色も炎が照らしているようにほのかに赤い。長い髪をなびかせて、ちいさな炎の精霊は楽しそうに笑った。手をエディの方へ伸ばし、ささやく。
「我が力。大地の奥深くに眠る熱き炎の力よ。今こそその力を解き放て……」
 少女の指先から炎が巻き起こる。その炎は部屋全体を包み、あっという間に家全体に燃え広がった。
 

 ぱちぱち……何かの音がする。それに何だかあつい。
「う……ん……」
 寝苦しくてエディは寝返りをうった。それでもやっぱり起きられない。体が動かない。
「従弟殿っ! 起きなさいっ!」
 夢の中でエディをいつも守護してくれている従兄の風の精霊の声がした。なにやらばしばしと痛いほどに叩かれているような気もする。
「駄目だよ……も少し寝かせて……」
 寝ぼけて敷布をかぶる。と、ぐいっと引き上げられ、頬に平手打ちが飛んできた。
「起きないかと言っているんです!」
 頬に灼熱の痛みを感じ、ここに来てようやく意識の浮上したエディが飛び起きる。
「酷いよいきなりっ! ……ってあれ、何でこんなとこにいるの?」
「……本当に、あなたというひとは……。火事なんです、急いで逃げないと焼け死にます。私たちはそれほどでもありませんがあなたは半分人間でしょう。私は逃げ遅れた方がいないか見てきますから。従弟殿は先に逃げて下さい」
 エディと同じ銀の髪・新緑の瞳の風の精霊はそういうとふっと風に姿を変え消えた。
「……火事って……ここ何処だろう……」
 炎しか見えない部屋を見て、それでも何だか状況把握の出来ていないエディ。二日酔いでまだ何だか頭が痛い。
「……逃げよう」
 寝ぼけた頭で何とかそれだけ考えた。
 

「デルっ! 見て、村長の家……!」
 村長を追いかけ、協力を申し出たデルディスとファーは、残った村人たちと一緒に燃えてしまった家々を回っていた。何か手がかりとなるものを探して、である。ふと、エディが気になり村長の家に視線を向けたファーが悲鳴を上げた。
 村長の家が炎で包まれている。火は家全体に燃え移っており、どんどんと勢いを増している。
「……何ということだ……今度はわしの家か……」
 気が抜けたように村長が膝をつく。
 今にも崩れそうな家の様子を見て、デルディスが走り出した。
「まだあの家の中にはエディがいるんだぞっ!」
 

 ぎい、と木の悲鳴のような軋みが聞こえる。燃え広がる炎は家を取り巻き、崩れさせようと襲い来た。
 逃げようとしたエディの目の前に焼けた柱が落ちる。
「く……ここも駄目か……」
 ここまで来てエディはようやく状況を把握し、真剣な表情に戻った。
「……このままじゃ逃げられないや……」
 まだはっきりしない思考をまとめて、なんとか出来ないかと試みる。
「我願う。空と大地を巡る力、風よ、我に力を。目前の障害を消し飛ばせ。風刃っ!」
 自らの身に眠る精霊の血を呼び覚まし、風の力を願う。
 エディを中心として巻き起こった風が刃となって柱に向かった。風の刃に押され、柱が粉々になる。これで道が出来たと走り出すエディの目の前に、ちいさな少女がいた。
「ふふ。あなたもなかなかやるのね。でも、これはどうかしら」
 何故こんな所に、と呆気にとられるエディの前に炎が鋭い牙を持ち襲いかかる。慌てて体を反らし、避けた。
「何するんだっ! 危ないじゃないか。それにしても何で君はこんな所に……? こんなに燃えてるのに」
 降りかかってくる火の粉を払い、少女に近づく。
「……あなたって本当に抜けてるのね。あなたも精霊の力もってるんならわかるでしょ、あたしは炎の精霊。この家を火事にした……ね」
 くすっ。炎を操りながら少女は笑った。
「半人前のあなたがあんまり情けないから今日はここの家を火事にしたの。ふふっ。キレイでしょ? 赤い炎……すべてを飲み込む力」
「それだけのために?」
 ふ、とエディの顔から表情が消えた。目が細められる。
「そうよ。うふふ、怒った? だったら何とかしてみせなさいよ、あなたの力で。ねえ、半人前の精霊さん?」
 少女が両手を伸ばすと炎が波となってエディに押し寄せる。
 きっ、と少女を睨んだエディは腕を払った。それにつられ、エディのまわりを風が包み出す。
「風よ、我が力の源よ、我に守護を!」

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