File.19「まどろみの囚われびと」


 精霊の聖地へと向かうためには、きびしい道を進まねばならなかった。王都を通る大きな街道は、デイアベルの頂上までは通っていない。頂上と聖地をよけるようにして反対側のふもとへと続いているのだ。ただ、王や王宮召喚士などのために作られた古い道が草木に覆われ、わずかに見えるだけだった。王都からひそかに出発した一行はその道をたどっている。
 旅慣れているとはいえ一行は道行きの困難さを感じていた。まして今は、力なき幼い少女も連れている。
 恐れていた精霊たちの怒りはまだなかった。だが、エディはその身に、痛いほどの視線が突き刺さるのを感じていた。聖地に近づくにつれ、それは増してゆく。いつでも攻撃できるだろうに、精霊たちはこちらへ積極的に働きかけようとはしなかった。それがますます一行の恐怖をあおる。ぴりぴりと、張り詰めた気配だけがあたりを取り巻いていた。
 登るにつれて薄くなる空気に、皆荒い息をついている。険しい崖がないのだけが唯一の救いといえた。
 行く手を阻むかのように木々は生い茂り、昼間だというのにあたりは暗い。
「ねえ、アルフォーク。先ほどから一向に景色が変わりませんけれど、わたくしたち、迷ったのではない? 聖地には何か、目印のようなものはありますの?」
 緊張に耐えかねて、ファーが疑問を口にした。それが合図になったかのように、皆立ち止まる。
「少し、休みましょうか」
 限界まで張り詰めていた体から、一気に力が抜けていく。疲れた体を投げ出すように、座り込んだアルフォークが言った。
 こんな状況の森の中で、森に危害を加える火を使うことはできなかった。そのため、温められないままの食料と、冷たくも温かくもない水とで休息を取る。こころから落ち着くことはできなかったが、それでも一息入れることができた。
 焼き菓子を口に運びながら、アルフォークは森の先を見やった。薄暗く、見るものに恐怖心を与えるかのような雰囲気。
「この先で間違いはないと思うんですが……。何しろ、森の様子が変わりすぎています。聖地の域に入れば、力が変わるからすぐにわかる、ということだったんですが、力のない私にはさっぱりわからなくて」
 これでは何のためにご一緒したのだか、とアルフォークは肩を落とした。
「力なら、多分僕やミュア、ティーならわかるんじゃないかな。心配いらないと思う。ただ……まあ、入れてくれるかどうかはわからないんだけど。僕たちは森に住んだ経験がないからね、アルフォークが案内してくれて助かってるよ」
 落ち込む彼に、エディが慰めるように言った。わずかにはにかんでアルフォークが顔を上げる。
「エディさんは、精霊の聖地がどんなものかということはお分かりなんですか? その、ご両親から話を聞いたことがあるとかそういうことで」
 たずねるアルフォークに、エディの顔が曇る。その変化に、アルフォークは気の毒なほど慌てふためいた。聞いてはいけないことだったかとおろおろした様子で問い掛ける。アルフォークとしては、エディがジールヴェ、つまり精霊の血をひくものだという純粋な好奇心からの言葉だったのだが、何か事情でもあったのだろうか。
「……いや、うん、僕にはね、もう両親はいないんだ。ものごころつく前に、ね。生まれは風の大陸マールだから、本当に小さい頃には行ったことがあるのかもしれないけれど、覚えてない。マールの記憶だって、まったくといっていいほどね、ないんだ」
 優しかっただろう両親の、声も顔も覚えていない。両親のことで知っているといえば、影より救い出されてから、メルディースに教えてもらったほんの二、三の事柄だけ。マールにも、事情が許さずに旅をはじめてからも行くことができないでいる。いつも、父の風の一族は自分によくしてくれるが、彼らの風の地が本当にどうなっているのか、その身で確かめたことがないのだった。
 寂しげに語るエディに、立ち直ったはずのアルフォークが、先ほどよりはるかに落ち込んだ様子で座り込んだ。言わなくてもいいようなことを言ってしまったり、助けるつもりが助けられたりと、要領の悪さばかりが目立ってしまっている。情けない。
「すみません……」
「気にしてないよ、謝らないで。それより、落ち込んでる暇なんてないよ、先に進もう」
 立ち上がったエディは、笑ってアルフォークに手を差し出した。
 

 暗い森はなおも続いた。話によれば、聖地までは王都から一日はかからないといわれていたのだが、どうやら精霊が迷いの力をかけているようだった。気が遠くなるほど長い時間が過ぎた気がする。変わらない景色に、ぐるぐると同じところを巡っているような印象さえ受ける。
 ただ、精霊の力が増すのを感じることだけが唯一の手がかりといえた。
「右だよね?」
「うるさいわね、ちょっと待ってよ。……うん、右だわ」
 ミュアはデルディスにすがりついたままで、役に立ちそうにはなかった。時々口論になりつつも、エディとティアフラムが力を感じ、道を決めていく。濃い力の気配が、森の先にあった。
「なんだか、眠くないですか? 私は、もう……。それに多分、もう夜なんだと思います」
「俺もだ。ミュア、大丈夫か?」
「わたくしも、もうだめ……。少し、休みましょう……。今夜はここで、しばらく……」
 アルフォークの言葉に、デルディスとファーが頷いて、座り込む。その目はまどろむときの霞んだ色を映している。デルディスに抱かれているミュアが、きょとんとしてデルディスの頬に触れた。そして、心配そうな表情で先に立つエディたちのほうへと視線を向ける。
「アルフォーク、デル、ファー? 三人とも、どうしたの? まだ夜じゃないよ。時間が長いように感じてるだけかもしれない。ほら、起きて! こんな場所で寝ることなんでできないよ」
 異常に気づいたエディとティアフラムが、四人のもとへ戻る。揺り起こそうとするが、ぐったりと力が抜けて、皆まともな反応をしない。デルディスの様子が変だと、ミュアは目に涙をためている。ちいさな手で頬を叩き、何とか目を開けて欲しいといっているように見えた。
「どういうことだ? 僕たちは平気なのに……。まさか、精霊の」
「と考えたほうがいいみたいね。あんたにしては頭の回転が速いじゃない。多分、人間を聖地に入れないための仕掛けね。あんたたちも、これ以上先に進むと危ないかもしれないわ」
 いちいち突っかかる言い方をするティアフラムをにらみつけておいて、エディは森の先に目を凝らした。ゆらり、濃い力がたゆたっているようにすら見える。
「……王や王宮召喚士は通れるみたいじゃないか。それに、王都ではそんなこと聞かなかったぞ。それに、僕たちも危ないって、お前はどうなんだよ」
「この状況よ? 地の精霊たちがそうやすやすと人間を通すわけ、ないじゃない。事情が変わってたって文句はいえないわ。あたしはれっきとした精霊だもの、こんなまやかしには引っかからないわ。けどね、あんたたちは半分人間なんでしょ、人間に影響するものに抵抗力はあっても、完全に防ぐって訳にはいかないわよね」
 鋭い指摘に、エディが一瞬黙り込む。自分たちが無事なのは、精霊の血を引いているおかげ。そのおかげで力の及ぼす影響が弱められているせいだとしたら、この先、もっと強い力を受けたときには、負けてしまう可能性だってある。中心部にたどり着くことができるかどうか……。
「そうだけど、ここで引き返すわけにもいかないだろ」
「じゃあ、進むの? ここにファーたちを置いていったら、森に飲み込まれるわよ。そんな事させるわけにはいかないんでしょ。でも、わかってるかもしれないけど、精霊のかけた眠りは精霊にしか解けないのよ。ここの精霊が怒ってる間は、まず無理ね」
 眠り込んでしまった三人を、置いていくわけにはいかない。けれど、運ぶのは不可能に近い。エディのほかはティアフラムとミュア、とても人間の大人を運べる力を持っているとはいえなかった。
「……ティー、お前がここにいたら三人は飲み込まれずにすむ?」
 しばらく悩んでいたエディは、ようやく声を絞り出した。
「どうかしら……。みんなの周りにこれ以上力が及ばないようにすることだけはできるかもしれないけど。……ただね、それにはあんたがあたしの力を解放してくれることが必要よ。このままじゃあたし、蝋燭を灯すことだってできないんだからね」
 そうなったのは、もとはといえばティアフラム自身のせいなのだが、そんなことはかけらも口に出さず、エディをにらみつける。
「逃げるなよ。力は解放するけど、契約は破棄しないからなっ」
 悩んでいる暇も、考えている暇も、今はなかった。輝いた顔をするティアフラムに釘をさしておいて、エディは意識を集中させた。
「……仕方なくやるんだからな、あくまで。調子に乗るなよ。『我、エディ・フォ・メイデンの名において、火の力に恵まれし炎の令嬢・炎の雫"ティアフラム"よ、汝の力を此処へ! 』」
 エディの言葉に続いて、ティアフラムの腕にはめられた、緑色の腕輪が光を放った。力を封じるためのそれは、光の中に色をとかしだしたかのように、薄く、その形を変える。
「……やっと戻ってきたわ……」
 光が消えると、ティアフラムは自らの中に蘇ってきた熱い力を目を閉じて感じた。久しぶりに力を使えるかという期待に、じりじりと髪の先が燃え立ってくるような興奮をおぼえる。
「いいか、これ以上怒らせるような真似をするなよ。むやみやたらと燃やし尽くさないように! あと、何度も言うけど逃げるなよ!」
 そう言い残し、エディは森の奥へと駆け出していった。緑が濃い気配となって満ちている、森の中心、地の精霊の聖地へ。

 

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