File.18「使者」
 

 ディラは泣きながら、自分の見てきた様子について語った。聞いていくうちに、彼女を支えるアルフォークの手が震えはじめる。
「開拓村の様子を聞いて、街道沿いの村や町のひとたちは、みんな怖がっています。逃げ出そうとするひとたちで、どこも大騒ぎなんです。中には、他の大陸に行こうってひとたちもいて……。兵隊さんたちは、それを押さえるのに精一杯な様子でした」
 ついこの間通ったばかりの街道や港町。平和に暮らしていたはずのひとびとが、牙をむいた精霊たちになすすべもなく逃げ惑う様子が脳裏に浮かんだ。
 これに王の崩御という大事が加われば、収拾がつかなくなることは容易に想像できる。頼るべき王を失った民に、できることはあまりに少ない。
 
「アルフォークさまは王さまのおそば近くにおられる近衛なのでしょう。王さまに何とかしていただくことはできないのですか。このままでは、あたしたちは住む場所を失ってしまいます。どうやって生きていったらいいのですか」
「ディラ。近衛はね、確かに陛下のそば近くに控えている。けれどそれは、陛下の御身をお守りするためなんだよ。政に口を出すことは許されていないんだ。……でも、これは本当に一大事だからね。そうは言っていられない。父に頼んで、政に携わる方々に何とかしていただこう。ディラはお休み。まだ、体が癒えていないじゃないか」
 王の崩御のことは、まだ民に広くは伝わっていなかった。貴族の上のものしか知らないようなことなのだ。王が暗殺で命を落としたとあればなおさら、国は荒れる。それを避けるための手だといえた。ディラをこれ以上混乱させないため、アルフォークは王については真実を告げなかった。
 ディラをふたたび横たえる。アルフォークはその純朴そうな顔を、これ以上はないほどに強張らせ、立ち上がった。使用人を呼ぶと、何があってもディラを追い出さないよう強く言い含める。
 そして、エディたちを部屋の外へといざなった。
「ディラにも言ったとおり、父に話してみるつもりです。このままでは、この大陸はおかしくなってしまいます。王都のこのあたりまでは、まだ精霊たちの怒りが届いていないようだから、緊張感がないんでしょう。早く手を打たないと。エディさん。あなたが森の中で見たもの、感じたことを話してくださいませんか?」
 そして、それまでは、早まった真似を止めてここへとどまってくれませんか、とアルフォークは頼み込んだ。
「……わかったよ。どうやらまだ、外には出られないみたいだし。ただ、今緊張感がないって言ったけれど、王宮付きの召喚士なら、ある程度はわかってるんじゃないか? それなのに動きがないっておかしいね」
 エディよりも何倍も、その力が強いはずである召喚士たち。彼らならば誰よりも早くこの状況を察知していてもおかしくないはずなのだ。
「そうなのですが……。今は陛下の崩御とアルフェリシアさまのことでいっぱいになっておられる御様子。とても他のことにまで気が回らないのでしょう。それに、アルフェリシアさまの気配が消えてから、満足に力が解放できぬ、と仰っていた気がします」
「つながりが一方的に切られた可能性があるね。精霊たちの怒りを考えたら無理もないけれど。アルフォーク、それで、お父上は?」
 協力するしかないとこころを決めて、エディはアルフォークを見る。
「はい。今はしばしこの屋敷で休養を取っています。陛下の崩御以来、休みなく動いておりましたから。ご案内します」
 そう言ってアルフォークは、屋敷の奥まったほう、沈黙の支配するところへと足を向けた。
 

「父上、アルフォークです。お休みのところ失礼致します」
 ノックの音と緊張しきった声があたりに響く。アルフォークにとって、父は恐れるべき人物であるらしかった。扉の向こうからちいさく答えが返ってくると、彼は緊張を崩さない様子で扉を開けた。
「アルフォーク、今日はよくよく客人に恵まれるものだな。聞いたぞ。あの娘のことも」
 入るなり、低く威厳のある声がかけられる。アルフォークはなんと答えていいものやら、困惑した様子で頭を下げた。
「エディ・フォ・メイデンと申します。私の解放に、お口添えいただいたとのこと、ありがとうございます、メディス卿」
 初対面となるエディが、慣れない改まった口調でそう告げた。その後ろで、デルディスとファーも感謝の意を示す。
「旅のものと聞いていたが、意外に口の利き方に品があるな。……まあいい。私の息子を助けてくれたということを聞いている。これぐらい安いものだよ。して、今回は何故にここへきたのかね。わざわざ休息を妨害してまで報告せねばならぬことか」
 重く引き下ろされた帳の向こうで声が続いた。外はまだ明るいというのに、この部屋だけは夜のように闇が続いている。かすかにともる明かりだけがメディス卿の様子をわずかにうつした。
「ディラのことはお聞き及びとうかがいましたが、彼女が大切な知らせを携えてきたのです。そして、私が彼らと知り合うきっかけになった事件のことも、まだ覚えておいでと存じますが」
 肉親に対するものとは思えぬほど、アルフォークの父に対する口調が固い。尊敬と畏れ、そして納得のいかぬ何かが混じった音。
「それがどうしたのだ」
 いまだ理解できぬという風に、メディス卿は質問を重ねた。疲労が声からにじみ出ていて、訪問者に早く立ち去れと無言のうちに伝えているかのようだった。
「事態は一刻の猶予もならぬ、と申し上げてもいいかと思います。精霊のこころを無視し続く開拓、アルフェリシアどのの死。それらが相まって、精霊はひとをこの世界に害なすものとみなしはじめています。精霊の怒りがこの大陸を満たし、ご子息があわれた災い以上のものが民を襲うでしょう」
 話が進まないことにいらだったのか、エディが一息に告げた。
「森の反乱は、今や私の行ったあの開拓村だけではなくなっているのです。ディラが教えてくれました。王都へ続く街道すらも、もはや混乱からは逃れられません」
 ディラが命がけで教えてくれたことをアルフォークは語る。部屋の奥で、メディス卿がわずかに身じろぎをする。彼も、事態がここまでひどいものだとは思っていないようだった。
「そう、か。もはや休んでいる暇などないな。客人殿、感謝する。おわかりのとおり、今この国は荒れておってな。見えるものすら見えなくなっている始末だ。良ければ王宮に一緒に来てはいただけぬか。政をあずかるものすべてが、理解あるというわけではないのだよ。アルフォーク、おまえも帰ったばかりで落ち着かぬだろうが共に来るように」
 拍子抜けするほどの言葉に、受け入れられないならと覚悟を決めていたエディが目を見開いた。
「……私は、そんなに頭が硬いように見えるかな、客人殿。アルフォークは私のことを、いささか誇張して伝えたに違いない。これでも古く続くメディス家の長だ。民と大陸のことを思うのは当然のことなのだよ」
 暗がりの向こうから立ち上がったメディス卿は、そう柔らかに笑ってみせた。
 

「私は、父のことを誤解していたのかもしれません。ディラのこともあって、少しこだわりすぎていたのでしょうか」
 王城へと向かう道すがら、父の背を見やってアルフォークが告げた。その表情には、わずかに照れが浮かんでいる。
「これで、ディラとのことも認めてくれたらいいんだろうけどね」
 隣にいたエディが答える。みるみるうちにアルフォークの顔が赤く染まるのを見て、笑いがこらえきれなくなった。父が意外に理解あることを知り、ディラのことを口にしようとしたとたん、それとこれとは別だとはっきり言い渡されてしまったのだ。
「それは、頑張るしかないです」
 屋敷に残してきたディラのことを思いながら、アルフォークは王城の門をくぐった。
 続いて、エディたちも門番の注視を受けながら足早に駆け込んでいく。
 
「ですから、先ほども申し上げたように、これは一刻の猶予もないことなのです。お分かりですか」
「といってものう。まずは崩御なされた陛下の葬送の儀式と、後を継ぐものを決めなければ。何しろ陛下はおひとりでいらしたから、その血を継ぐものがおらぬのですぞ。なれば王家の血を受け継ぐわれらのうちから、ひとりを選ばねばなりますまい。誰が王になるか、それ以上の一大事がありますかな?」
 貴族の中でも最長老と思われるだろう老人たちの前で、メディス卿は事態について必死に語っていた。一介の旅人の話だけでは信用を得られる望みはまずなかったからだ。しかし、この大陸一の有力貴族とされるメディス卿をもってしても、長老たちの意見を纏めることは至難の業のようだった。
 長年この王宮の中にいて、彼らは民のことを思うという義務すら、遠い時の彼方に忘れてきてしまったかに見える。
「精霊たちが怒っていると仰いましたが、われらの元にはそのような力は伝わってきておりません。失礼ですがメディス卿。ご子息方の思い違いではありませんか」
 長老たちの集団のそばに控えていた力ある王宮召喚士らしいひとりが口をはさんだ。ひとみには軽蔑の色をもってエディたちを眺めている。王宮召喚士が、旅人などに負けることは誇りが許さないのだろう。
 視線を感じたエディが、一瞬こころを抑えきれなくなる。それを感じて、デルディスとファーが彼の立ち上がるのを思いとどまらせた。ひとみの動きでここは我慢するべきだと伝える。
「我がメディス家が預かっている領地から、民が報告を携えてまいったのです。これ以上開拓村にとどまることはできないと。これは各々方の領地にても当てはまると思いますがいかがか?」
 正攻法では太刀打ちできないと判断したメディス卿が、言葉を変えた。もっとわかりやすい方法で、長老たちの危機感をあおるのだ。案の定、メディス卿の言葉に、長老たちは色めき立った。
「そして、召喚士の方々。力が伝わってこないのではなく、力そのものが使えないのではないですかな?」
 長老たちに言葉を投げかけたのと同じように、召喚士たちにも声をかける。さっと彼らの顔色が変わったのがわかった。
「いかにメディス卿といえど、われらをこれ以上愚弄することは許しませんぞ!」
「……で、あれば今すぐここで、私たちを安心させるに足る力を見せていただきましょうか。貴方ならば、アルフェリシアさまとも直にお話できたと思っておりますが」
 メディス卿のひとみの、あまりの鋭さに、召喚士は言葉を失った。
 皆が押し黙るのを見て、メディス卿はようやく息を吐く。
「皆さま方、異論はありませぬな」
 続く沈黙を了承ととったメディス卿は、まずなにをすべきかについて話し始めた。
 

「エディ殿、といったか、客人殿」
「あ、はい」
 事態は深刻だとわかっていても、頭の痛くなる政の話に、エディは半ば意識を飛ばしかけていた。もう少しで眠りの海につかまるかという頃、ふいにメディス卿に話し掛けられ、エディは慌てて意識を覚醒させる。
「客人にこのようなことを頼むのは、われらとしても非常にこころ苦しいのだが、精霊の聖地へ赴くのに適任者がいないのだ。王宮召喚士はこちらでの仕事があるうえに、今は力も無きに等しい。どうだろう、われらのかわりに聖地へ行ってはもらえまいか。怒りを静めるために、力を貸してはもらえないだろうか」
 精霊の状況について、実際に怒りに触れた自分たちが一番詳しいのは事実である。頼まれる前から行くつもりだったエディにとって、渡りに船とも言える状況だった。
「無論、すべての責任はわれらにある。陛下の謝罪を伝えることはもうかなわぬが、今ここにいるわれらのこころだけでも伝えるつもりだ。どうか、怒りを静めてほしいと。これからも、われら地の民は精霊無しには生きてゆけぬのだという気持ちを。護衛に、アルフォークをつけよう。さまざまな土地を旅してきたエディ殿にはいらぬ世話かと思うが。よいな、アルフォーク」
「はい、父上、喜んで」
「お願いできるだろうか、エディ殿」
 そう聞かれるまでも無く、エディたちははじめからそのつもりだった。
 

「あんたってほんっと馬鹿! 大体、関係ないことなのになんで、こんなことまでしなくちゃいけないわけ?」
 屋敷でおとなしく帰りを待っていたティアフラムは、聖地に赴くことになったいきさつを語ると烈火のごとく怒りはじめた。
「放っておけないんだ、仕方ないだろ。それにティー、関係ないなんていわせないぞ。もし地の精霊の怒りが静まらなかったら、僕たちはこの大陸から出ることも難しくなるんだからな。目的のファドにはいつまでも着けずじまい。……それでもいいのか?」
 混乱しきった大陸から、逃げ出そうとするひとびとで港町はひどい騒ぎになるだろう。船はすべてのひとを運ぶわけにはいかない。長い時間が経って、もし自分の番が回ってきたとしても、その頃にはもう、騒ぎは世界中に広まり、この大陸に船をよせようとするものたちなどいなくなるに違いない。
「……よくない」
「だったら決まり、ですわね。さあ、準備をしなくては。ミュア、しばらくここでおとなしくできるかしら?」
 さすがに、ミュアを危険な場所へ連れて行くわけにはいかない。首を傾げてミュアを覗き込むと、彼女は激しく拒否の意思を示した。目の前のファーを押しのけ、デルディスに駆け寄る。
「ミュア、いくらなんでも、今回ばかりは駄目だぞ。危険がいっぱいなんだ、わかるか?」
 赤子をあやすように語りかけるが、そんなデルディスの困り果てた表情をものともせず、ミュアは彼にしがみついた。何があっても絶対にはなしたくないとばかりにデルディスの肩衣を握りしめている。
「皆さん、そろそろ出発です。旅支度ならもう、こちらでしてしまいましたから、本当にいるものだけをお持ちになるだけで大丈夫ですよ。……どう、なさったんですか?」
 扉を開けて旅立ちを告げたアルフォークが、中の様子に首をかしげた。
「ああ、それが……ミュアが、どうしてもついていくといってきかないみたいなんだ。どうやら、デルと離れたくないらしくてね。危険だから、ここに置いて欲しいんだけど……」
 幼い少女が、デルディスにしがみついているのを見て、アルフォークも考え込む。
「確かに、聖地に向かうとなったら彼女にとっては危険でしょう。けれど、誰も知らないところでひとり待ちつづける恐怖と比べたら……。私たちで守る努力をしたほうが、彼女にとってはいいのかもしれません。それに、あの子はジールヴェでしょう。危険はありますが、連れて行っても大丈夫なのではないでしょうか」
 孤独に震える姿を想像し、デルディスはしぶしぶ頷いた。確かに、ミュアはジールヴェだし、影の追っ手を吹き払ったときのように、精霊の怒りを蹴散らしたときのように力もある。しかし、そのときのミュアのおびえた様子を考えると、彼女の力をもう使わせたくは無かったのだ。
「じゃあ、出発しようか」
 ミュアがデルディスの腕の中で落ち着いたことを見届けると、エディは立ち上がり、扉へと向かった。

 

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