File.17「新たな怒り」

 
 地の精霊に会いにゆく。
 ひとはめったに足を踏み入れることは許されぬ、力満ちた聖地に。しかも、森での一件が示すように、精霊たちは今、怒り狂っているのだ。無謀なその言葉に、アルフォークをはじめ、皆言葉もない。
「あんた、本気?」
 聖地を侵したものへの裁きを知るティアフラムが、身を震わせて言った。自らの領域を侵された精霊たちは、その者に容赦することなどまずない。自分は加わることはなかったが、それでも、故郷である火の聖地に踏み込み、彼らの怒りに触れ、灼熱の砂漠の中に呑まれた哀れな人間がいることを知っている。
 ひとにはや惜しみない慈愛を注ぐが、領域を侵すことは許さない。精霊の意識とはそんなものなのだ。
「領域内には入れるとすれば、精霊の方々、もしくは特別に許された存在のみでしょう。……この大陸では王家の方々やごく一部の王宮召喚士ぐらいです。私たちでは、とても……。木々にとらわれ、永遠に大地の下で眠りにつく、それがきっと待ち受けている運命です」
 この大陸で育ち、幼いころより精霊の怒りを受けたものの話を聞いていたアルフォークは、恐怖とも戸惑いともつかぬ表情をする。
「……私は、おすすめしません。精霊の方々のところへ乗り込むなど、無茶です」
 普通のひとであればごく普通に持っている精霊にたいする尊敬と畏れが、聖地へ赴くことを踏みとどまらせるのだ。
「しかも、長のアルフェリシア殿を消した存在は、おそらくジールヴェ。普段は通してもらえるだろう、僕やミュアだって多分入れないだろうね。多分、人間よりももっとひどい仕打ちを受けることになるんだと思う」
「それがわかっていて、どうしてそんなことを……」
 エディの言葉に、アルフォークは信じられないと首を振る。
「なんでだろうね」
 ひとをくったような言葉の中に、答えは見えなかった。
 

 しばらくは外にも出られないだろうから、とすぐにでも出発したそうなエディを抑え、アルフォークは食事が運ばれてくるのと同時に仕事に戻った。地下牢で名前を出してしまったから、しばらくは帰れないでしょう、と苦笑いを残して。
 地の大陸ならではのめぐみに満ちた食事を、しばらくは無言で詰め込む。まともに食事など取っていなかったうえに、到着したとたんにあの有様だから、仕方ないといえば仕方ないといえた。
 食後に運ばれてきたいい香りのする茶を、口に運びながらファーがため息をつく。
「エディ、あなたには本当に困ったことばかり。どうしてそう、首を突っ込みたがるのかしら。あなたがジールヴェであることを差し引いても、少し、変よ」
 彼らと道をともにするようになってからというもの、このあてのないといえる旅の中、精霊が関わる事件に巻き込まれたことが幾度もある。そのたびにエディは、普段の穏やかさからは想像も出来ないほどむきになるのだ。
 自らがジールヴェであるということがその一因に違いなかったが、それでもここまでこだわることに、ファーは違和感を覚える。最近、その傾向がとみに強い。
 本当に嫌になるくらい困ったことはなかったが、それでも、エディに自省を促すためにそんな風にあえて口にした。本気ではない証拠に、口元の笑みは消えることはない。
「……ごめん……。嫌なら、いつでも離れてくれてよかったのに」
 エディは、その言葉を真に受けたのだろうか、声に元気がない。さっきまでの勢いなど、かけらも見えなかった。
「あら嫌だ、そんなに落ち込ませるつもりはなかったの。ごめんなさい、エディ。でもね、さっきのあなたがとても無茶なことを言ったのは確かよ。わかるでしょう? 今までだって、ティアフラムのときのような事件はあったけれど、ここまで大きい事件ははじめてよ。わたくしたちだけで解決できるような、そんなやさしいものではないことくらい、あなたもわかっているはずなのに」
 精霊の愛するやさしい声がやんわりと響く。
「わかってる。でも、ジールヴェと……影が関わってるなら、僕はそのままにしておくことなんて出来ないよ」
 今でも自分の命を狙い、追いつづけている、かつてとらわれていた影。それがいつの間にひとや精霊を、その目に見えるほど脅かしはじめた。今でも影に関わることは、本能的な恐怖を感じる。けれど、それと同時に、こころの底から自分を揺さぶって放さない、耐えがたい感情の高まりがあるのだ。
 自分から両親を奪い、時間と幸せを奪った影。自分たちの同朋を捕らえたまま利用し続けている憎むべき存在。ひとと精霊の絆が薄れ始めていることが、それに関係しているのではないかとすら思いはじめていた。
「あんたって、救いがたいほどの馬鹿なのね」
「……うん」
 落ち込んでいるらしいエディを見るのは、なんだか気持ちが悪くて、ティアフラムはいつものように憎まれ口をたたいた。これで少しくらいはいつもの調子に戻ってくれることを期待したのだが、思っていたような反応は得られなかった。
「面白くないっ」
 勢いをそがれ、興味を無くしたかのように、赤い髪がエディから遠ざかる。
 
「僕たちは、ひとと精霊のつながり無しにはうまれなかった。存在できなかったんだ。絆がなくなるのが、怖いんだ……」
 こころの奥底からのその言葉は、エディが皆の前で始めて口にしたこころからの恐怖だった。ずっとそばにいたはずのデルディスでさえもはじめて耳にする叫び。
 うまれながらにして、その気配が消えてしまいそうなくらい薄いジールヴェ。ただひとつ、すがれるものがあるとすればそれは、自分たちをうんだひとと精霊とのつながりだけ。
 それが消えていってしまうことが、どれほどの恐怖をもたらすのか、デルディスにもファーにも、そしてティアフラムにもわからなかった。
 ただエディだけが、思いつめた表情で中空を見つめている。
 

 駆けつづけた体は、エディの意思を汲み取ってはくれなかった。柔らかな敷布の上で、彼は今、ミュアの隣でちいさな寝息をたてている。
「こいつってさ、いつもこうなわけ? ……つまり、人間と精霊との問題になると、抑えが利かなくなるってこと」
 寝顔は無邪気なのに、どうして目を開けるとかわいくないんだか、とこころの隅で思いながら、ティアフラムが問い掛けた。問い掛けられたほうのデルディスとティアフラムは、戸惑う顔を見合わせる。
「……いや。ここまで無茶を言うのは初めてかもしれないな。おそらくは、こいつのこころの中にずっとくすぶってきた思いだったんだろうが……。たいていはどこかに勝機を見出せていたからこその無茶だったから切り抜けてこられた。しかし……」
 エディのことだ、何か無茶なことを言い出すに違いないと覚悟を決めていたはずのデルディスだったが、予想していたとはいえ、聖地に乗り込むとなるとやはり覚悟がいる。
「こうと決めたらそれを変えませんものね、エディは。本当に強情なんですから……。メルがいてくれれば、少しは変わったかもしれませんのにね」
 唯一、エディに対して強気でいられる存在は、今は遠く別の大陸に有り、当分戻ることはないだろう。地の精霊が大変なのと同じように、風の精霊にも問題がのしかかっている。
 目の前の青年が目覚めたとき、どう彼を抑えようかと、三人はそれぞれ重いため息をついた。
 
 ちょうどそのとき、である。何かに気づいたミュアが、まどろみから目覚め、かすかにおびえた声をあげた。しきりに窓の外を気にしている。
 ミュアを落ち着かせるために肩を抱きながら、デルディスが薄いとばりをあげた。
 かすかに眉を上げる。
「どうしましたの、デル?」
 同じように窓の外を見やったファーが、まあ、と口を覆う。
 ぼろぼろの服、あらわになった肌にはあちこち傷が見える。必死の思いで屋敷の扉を叩くのは、二十を数えるエディよりも、さらに幼く見える少女。自分の姿の乱れも気にせずに、彼女はなおも扉を叩いていた。何かをしゃべっているようだったが、窓のこちらではうまく聞き取れない。
「大変。怪我をしているじゃありませんの。どうして開けてあげないのかしら……」
 客人である彼らには、勝手な振る舞いは許されるはずもない。あの少女が、歓迎されざる人物である可能性もある。しかし、黙ってみておけるほど、悟りきっているわけではなかった。はじめは抑えなければ、と我慢していたが、こちらにも聞こえてくる扉の音と、少女のあまりに痛ましい様子が、ファーの怒りを限界まで近づけていく。
 柳眉を逆立て、ついに我慢できなくなった彼女は勢いよく客間の扉を開けた。広い屋敷の中、軽い足音がそれに続く。階下で、なにやら言い争っている声が聞こえてきた。残されたデルディスは、きょとんとしたひとみのミュアのそばで、頭を抱える。
「……どうしてこう、抑えが利かないやつばかりなんだ……」
 その様子を、のんきに見守っていたティアフラムは、肩をすくめてかすかに笑いを漏らした。
 

 ファーのあまりの押しの強さに、屋敷の人間は根負けしたらしかった。彼らは少女を知っていたようだったが、なぜ屋敷に入れることを拒んだのかに関しては、一向に口を開こうとはしなかった。駆け込んできた少女は、今は客間の寝台で、ひと時の安らぎを得ている。ファーの歌により、大きな傷は癒された。少女は、まどろみの中、しきりにアルフォークの名を呼び、うなされている。
 客人が無断で屋敷にひとを入れたということは、すぐに伝わったようだった。取るものも取り合えずといった様子の、取り乱したアルフォークが、間をおかず屋敷に帰ってきたのだった。部屋に入るなり、真相を問いただそうとしたアルフォークは、しかし、寝台の上に横たわる少女の姿を見て顔色を変えた。
「ディラ! 皆が何も言わないから、誰かと思えば……君だったのか。……ありがとうございます。皆さんが無理にでも彼女を入れてくださらなければ、彼女はきっと追い出されていたでしょうから」
 彼女を見守る表情は、大切な存在を見守るそれ。
 屋敷の人間の、妙に複雑な表情が意味するもの。多分、アルフォークの父親が、厳しく言い渡しでもしたのだろう。
「そう、この方があなたの大切な方、なのね?」
「……はい」
 アルフォークは、もう離さないとでもいうように、彼女を抱きしめていた。


「皆さんとはじめてあった、、あの開拓村に彼女はいたんです。森がおかしくなってから、彼女は別の、もっと大きな開拓村にいたはずなんですが……」
「彼女はね、ここへきたときひどい怪我をしていましたの。とても思いつめた様子で、なんだかただ事ではなかったわ」
 駆け込んできたときの様子を語ると、アルフォークは眉をひそめた。
「もしかして、何かあったということなんでしょうか」
「もしかしなくても、その可能性が高いだろうな。彼女が目覚めないと、なんともいえないが。ところでアルフォーク。親父さんに何か言い訳しなくてもいいのか? 彼女はどうやら、この屋敷には立ち入り禁止のようだが」
 ここへ来てからというもの、アルフォークは彼女――ディラのそばから離れようとしない。
「いいんです。私が彼女を守りますから。……あ、ディラ? 気がついたかい? もう大丈夫だから」
 アルフォークの腕の中のディラが、わずかに身じろぎをした。かすかに目を開けて。あたりをうかがう。霞む視界にアルフォークの姿を認めると、衰弱しきった体にもかかわらず、身を起こしかける。
「ディラ、まだ起きてはだめだ。ゆっくり休んで、それからでいいから」
「アルフォークさま! そんな場合じゃないんです。アルフォークさまに助けていただいてから逃げ込んだ開拓村も……ううん、森や山を切り開いて出来た村は全部、あたしたちの村みたいに、めちゃくちゃになってしまったんです。逃げ出せたひとも少なくて、みんな、森の中に……」
 アルフォークに会いたい一心で駆けてきて、ようやく彼に会えたことで安心したのだろう。ディラはアルフォークが戸惑うのもかまわず、彼にすがり付いて泣き出した。

 

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