File.16「協力」


 きょとんとして非難の言葉を受け止めたエディは、むくれた顔をして反論した。
「馬鹿馬鹿って、だいたい、訳もわからないのにつかまって、じっとしてるなんて出来ないよ。逃げられるんなら逃げた方がいい」
 納得のいかない様子で腕を組む。
「……助けに来てくれたことにはお礼をいうけどさ。もうちょっと早くして欲しかったな」
 忘れていたことのように、言葉を付け加えた。
「さあさあ、それはいいから早くここから出ましょう。早くしないと見つかってしまいますわ」
 ファーが急かす。その言葉に、エディの耳がぴくりと動いた。
「見つかるって? 話をつけて出してくれることになったんじゃないの? どういう事だよ」
 問われた側のファー、デルディス、アルフォークの三人は、気まずそうに顔を見合わせる。
 さらに表情で先を促したエディに、ようやくアルフォークが話し出した。
「……私が近衛だということで、こっそりおふたりをこちらに案内したんです。私なら、王宮内で動いても怪しまれませんから。父にも、私の命の恩人ということで話はつけてありますから、大丈夫です。ただ、その、下の者にまでは話が行っていないので、気をつけないと大変なことに……」
 言いづらそうに語るアルフォークの声に、扉の開く音が重なった。
「城下でつかまった間抜けなジールヴェぐらいしかいないのに、牢番なんてなあ……。……ん? お前たち、何者だ?」
 扉を開けたのは、どうやら交代に来たらしい兵士だった。牢前で立ち話、という有り得ない状況に目を丸くしたが、気を取り直して警戒する。槍を突きつけられ、一瞬怯む。ぼうっとしたままのアルフォークを急かした。
「あ……あー、私は近衛のアルフォーク。こちらは私の部下。少し用事があってね、ここを借りていたんだ。済まなかったね、仕事を頑張りなさい。私たちはもう行くから」
 あまりに稚拙なその言い訳に、唖然とする兵士をよそに、アルフォークはエディたちを扉の外に促した。ぱたん。最後に出たアルフォークの後ろで扉が閉まる。
 兵士が現実世界に戻る前に、脱兎の勢いで駆けだした。
「馬鹿はどっちだよいったい! こんなことしたら余計怪しまれるだけじゃないか!」
「済みません、他に方法がなかったんです。正面から行っても、きっと受け入れられないでしょうし……」
「助かったんだからつべこべ言わずに、さあ、急いで!」
「勝手にとっつかまるお前には負ける」
「僕だって好きでつかまった訳じゃない!」
 叫ぶエディに、反論する三人の言葉はいささか弱い。
 駆ける四人の背に、兵士の「脱走だ! 探せ!」という声が響いた。
 

 さすがに王宮に詳しいアルフォークのおかげか、兵士がうろつく中を、一行は無事に脱出することができた。その足で、案内されたアルフォークの屋敷へと向かう。屋敷の重い扉が四人の後ろで閉まると、やっとの事で歩みを止めた。ほっと安堵のため息をつく。
 呼吸を落ち着けていると、綺麗に整えられた庭園の先、堅牢な作りをした屋敷の扉が開くのが見えた。駆けてくるのはちいさなひと影。その近くの中空で、炎色の何かが揺れている。
 四人が見守る中、ひとかげ――ミュア――が近づいた。迷子にでもなったかのような不安げな表情で、彼女は一生懸命に駆けてくる。デルディスの姿を見て、やっと顔の緊張を解くと、飛び上がってデルディスの首に抱きついた。
「ミュア。大丈夫だ。どこにも行ったりしないよ」
 抱きしめたデルディスが、彼に出来る限りの優しい声音でそう告げる。ミュアは幸せそうに、もういちどデルディスの首に手を回した。
 ミュアの後を追いかけていたティアフラムが、エディの姿を見つけてほっとした表情を浮かべる。だが、すぐにその色をそぎ落とした。
「まったく、情けないにもほどがあるわね。あんなに簡単につかまっちゃって」
「あら、助けに行かなくていいのって一番騒いでいたのはティーじゃなかったかしら?」
 懲りずに憎まれ口を叩くティアフラムに、ファーが笑う。一瞬にして、エディとティアフラム、ふたりの顔色が変わった。意外そうな、そして、何かこころの内を暴かれたかのような、そんな色。
「……心配、してくれた……んだ。ふぅん。……そういえばティー、山の上なのに平気だね?」
 どうでもいいことを付け加えて、こころの内に生まれたとまどいを、エディは何とか隠そうとする。
「山は……どうでもいいじゃないのっ。迷信、だったのかもしれないって今は思うんだけど。じゃ、なくって! 誤解、しないでよねっ。あんたにもしものことがあったら、契約が中途半端に解消されちゃって、気持ち悪いんだから。契約解消するまで、あんたには無事でいてもらわなくちゃいけないんだからね」
「本当にそれだけか? ほら、顔が赤いぞ?」
「あ、ほんとうだ」
 半ば本気、半ば冗談でデルディスがささやく。それに乗る様子で、アルフォークが付け加えた。
「もともとよっ」
 うわずった声でティアフラムは反論する。だが、それを本気にとったはいないようだった。笑いが庭園に満ちる。これ以上はない位に頬を赤くするティアフラムと、どう反応していいかわからないエディだけが沈黙を守っていた。


「つかまったとき、兵士は『ジールヴェは禁忌だ』って言っていた。それが何故なのか、アルフォークだったらわかるよね?」
 皆がようやく笑いを収めたあと、エディが大切なことを思い出した。何故自分が、何の罪もないのに囚われる羽目になったのか。罪人に顔が似ているというのならともかく、ジールヴェという自らの生まれによりこのような処遇を受けることになろうとは。嫌な予感がこころの内に満ちる。
「それは……」
 息をのみ、口ごもるアルフォーク。あたりを見回し、ため息を吐いた。
「一度、屋敷の中に入りましょう。ここでは、兵士に見つかったときに言い訳が出来ません」
 

 屋敷は、歴史の感じられる調度品でまとめられた、豪奢なものだった。その様子に、はじめて足を踏み入れるエディは息をのむ。今まで、こんな立派な建物に足を踏み入れたことはなかったからだ。急に、自分の格好がひどくみすぼらしいものに感じられてしまい、戸惑いがうまれた。
 元々こういう雰囲気が普通だったらしいファーは、何の努力もなく屋敷になじんでいる。戸惑うエディに、緊張しなくても大丈夫、と微笑んだ。
「お部屋を、皆さんのために用意してあります。エディさんもそちらに、どうぞ」
 所在なげに立ちすくむエディに、アルフォークも柔らかく微笑んで先を示した。


「……じゃあ、お話しします。私も、こちらについてまだ時間が経っていないので、把握できている範囲で、ですが……」
 一行のために用意された、大きな客間の応接室。茶を運んできた使用人を下がらせると、アルフォークがそう告げた。視線で、その先をエディが促す。
「陛下が崩御されたのは、五日前の深夜。ご遺体は、陛下の寝室にて見つかりました。そばには……この大陸の精霊の長、つまり、地の精霊の長のアルフェリシアさまの名残があった、と王宮召喚士がいっています。陛下とアルフェリシアさまは、この王家の歴史の中で、類を見ないほど親密な仲でいらしたので、その晩も、おふたりで語り明かしていらっしゃったのではないか、ということなんです」
 話を聞いたばかりでこちらへ来たのだろう、考えをまとめつつ話すアルフォークの顔にもまだ、とまどいが浮かんだまま、消えることはない。
「それと、僕たち……ジールヴェが禁忌だっていうのと、どう関係があるの? 名残、ということは……地の精霊の長も、消えてしまった可能性が高いって事だよね」
 アルフォークの言葉と、自分の身に降りかかった出来事とがどうにもかみ合わず、エディはそう問い返す。アルフォークは暫く考えた後、頷いた。
 
「はい。……王宮召喚士の言によれば、ですが……。この王家に脈々と受け継がれる、王の血、そしてこの大地を愛し守る、地の精霊の力。つまり陛下とアルフェリシアさまの力以外に、残っているものが何もなかったのです。誰かが王の居室に足を踏み入れれば、王以外の力が残ります。ですがそのような痕跡は何もない、と。ひとでは、有り得ないものだということなのです。そして、精霊でもない。とすれば考えられるのはただひとつ」
「ジールヴェ、ですわね」
 ジールヴェ。精霊とひとと、ふたつの力を受け継ぐゆえに、どちらにも解け合えない、哀しい愛し子。
「だから禁忌、か。王と守護精霊、同時に失わせたとあれば無理もない」
 納得のいった様子でデルディスがため息を吐く。その横で、エディが悔しそうに唇を噛みしめた。
「誰かが、影を雇ったんだ。多分、だけど……。王に反感を持っていた誰かが、その意志を通そうとして」
「……影、とは?」
 意味のわからないアルフォークが問い返す。それは、裏の事情を知らないということに等しい。答えを待つ彼に、エディは知らなければいいんだ、と付け加えた。アルフォークは、しかし、納得がいかないと食い下がる。
「……この国には、陛下を良く思わない者たちがたくさんいます。表向きには何も争いがないようにみえますが、昔ながらの道をゆく陛下を、排除しようとする者たちがいることは事実なのです。……精霊に頼らず、森と大地を切り開き、富を追い求めようとする、そんな者たちが」
 堪えかねたように、言葉が独りでに飛び出す。正義感の強そうなひとみにとって、それは耐え難いものに映るのだろう。
「……そうか。でも、知らない方がいい。ただ、ジールヴェには、自分の意志と関わりなく、背負ったものがあるっていうことを、わかってもらえればいい」
 裏を知ることで、アルフォークに暗い影を落としたくはなかった。彼の父もまた、この国では重要な位置にある。関わっていない、とは言えないのだから。納得のいかない様子で、アルフォークは渋々引き下がる。
「影も、とうとうこんな深いところまで踏み込んできたのか」
 今までは、暗殺といっても権力の中心にいるような王にまで及ぶことはなかった。いかに勢力争いをしていても、冠戴く王に手出しをすることはなかったのだ。そして。
「精霊の長まで、それに巻き込まれてしまうなんて……」
 精霊に死がないわけではない。生を受けると同時に、生まれ持った力は、自分の成長と同時に増幅してゆき、そして長い年月を過ぎると徐々に減ってゆく。その力が消えたときが、すなわち精霊にとっての死なのだ。だが、その生の中盤、まだまだ長い時をこの世界で過ごすはずの精霊が、突然消えてしまうということは有り得なかった。
「何か、大きな変化があったんだ、多分。こんなに大きい影響を残す行動に出るってことは」
 どうにもならないところまで追いつめられているのか、それとも、大胆な行動に出るまでに余裕が出てきているのか。
 

「……アルフォーク。長・アルフェリシア殿は姫君と呼ばれてはいなかった?」
 ようやく、ばらばらのかけらがひとつにまとまりはじめる。
「……はい。麗しきめぐみの姫君、と私たちは呼んでおりました。地の一族の方々も、敬意と親しみを込めて姫君、と」
 それが何か、との言葉には答えず、エディは立ち上がる。
「君を助けた森での出来事、そして精霊たちの怒り。王の崩御は全部、ひとつに繋がるよ。……思わぬ所から、ほころびがはじまっている。均衡が崩れはじめている。放っておくと大変なことになる。まずは、精霊たちの怒りをおさめないと、本当に、この大地にはひとが住めなくなってしまう。勢力争いとか、やってる場合じゃなくなるから」
 話を聞いて、ようやく納得のいったらしいデルディスとファーが、エディを見て頷く。
「それで、どうするの? 私たちに出来ることなんて限られていますでしょう?」
「それに、こう言っては何だが、俺たちには直接関係のない出来事だ。あえて踏み込んで、身を危険にさらすか?」
 ふたりの言葉は、厳しいが真実だった。だがそれでも、とエディは思う。
「精霊の怒りは広がってゆく。それに、同じ事がまた起こらないとも限らないだろう? それに、僕たちにとって、まったく無関係っていうわけじゃ、ないようだし」
 皆を振り返ったエディの表情は、すでにひとつの意思を表していた。
「……ばっかじゃないの」
「あなたというひとは、本当にもう」
「お前も本当に物好きだよな」
 呆れ顔の三人が、口々にため息を漏らす。この先、どのような言葉が紡がれてもきっとおかしくはない。
「どういうことですか? 私には、まったく、何の事やら」
 独り訳のわからないアルフォークだけが首を傾げていた。
「会いに行く。まずは誤解を解かなくちゃ、ね」
「誰のところに?」
 窓から間近に見えるデイアベル。薄い帳のこちらから、それを仰いで。
「深き英知を秘めた精霊の大地、地の精霊の住む聖地に」

 

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