File.15「虜囚」 山道を駆ける。世界最高峰ともいわれるデイアベル山の中腹に位置する王都まで徒歩であれば幾日もかかる。そこを、全速力で。天然の要塞のような王都は、本来であれば多くの民の住む都としてはふさわしくないといえた。だが、地の精霊とともにいきるこの大陸の王家の信念として、精霊の聖地に近いここ以外、場所はないのだった。 雲にかすむ頂上を見上げる王都に、一行がようやくたどり着いたのは、アルフォークと別れた数日後、日も高く昇った昼過ぎのことだった。休む暇も余り無いまま駆けたせいで上がっている息を整えつつ、あたりを見回す。王家の膝元とは思えぬ、しんとした雰囲気。屋敷も店も、窓は閉ざされ、重いとばりが引き下ろされていた。 外に出ているものはほとんどいない。いるとしても足早に、どこかへ駆けてゆくばかりだった。 「王が亡くなったのですもの、この様子も、仕方ないかもしれませんわね……」 寂しげにたたずむ王城を見上げ、ファーが呟いた。 「アルフォークの家に行こう。こんな時期に旅の者だと、怪しまれるかもしれない。単に王が亡くなっただけにしては、警戒が厳しすぎる」 周囲の気配を敏感に感じ取ったデルディスが、腕のミュアを抱えなおしつつ歩き出す。他の者も、無言でそれに従った。剣を携えた騎士らしき人間が、あたりを歩き回る音が、かすかに聞こえる。 渡された指輪と同じ紋章を探せば、簡単なはずだ。 「そこの者たち! 止まれ!」 広い王都を指輪を頼りにさまよっていたとき。一行は後ろから鋭い声に呼び止められた。とうとう来たか、と身を固くする。端から見れば、とても怪しい一行だろうと自分たちでも思うのだ。無言のまま、振り返る。 手を広げて、何の敵対心もないことを示す一行に、歩み寄ったのはやはり、王都を警備中の騎士だった。 「そなたたち、何者だ? 先ほどからつけていれば、あちらをうろうろこちらをうろうろと……。陛下が亡くなられて間もないこの時期に、そのような怪しい真似をすることがどういうことか、わかっているのか?」 どうやら王崩御の知らせから、ずっと警備を続けているらしく、騎士の顔には疲れといらだちが見えた。何か怪しい動きをすればすぐにでも拘束されてしまうだろう。 「道に迷ってしまって。メディス家に知り合いがおりまして、そちらを訪ねるつもりなのです。ほら、これがその証。アルフォークさまに預けられましたの」 柔らかな動作で、ファーが騎士に近づいた。衣装がさらりと音をたて、騎士がたじろぐ。白く細い掌が差し出され、置かれた指輪があらわになる。 「案内してくださる?」 にっこり。 ファーの言葉によれば『営業用』の、踊り子の微笑みがあらわれる。 あの笑みに勝てる奴はいないだろう。ファーの背中で、デルディスとエディが同情のため息を漏らした。 「あ……いいですとも。そうでしたか、メディス家ゆかりの……。こちらです、どうぞ」 顔を、傍目にもわかるほど赤くしながら、騎士が一行を横切る。さまよう視線がふと、エディの顔の上で止まった。 「……ジールヴェ」 呟いた声が刃のように厳しい。先ほどまでの人間らしい表情は消え、氷の面が現れた。豹変した彼の様子に、エディの体がこわばる。 「僕が、何か」 不審さをあらわに問いかける。だが答えはなく、騎士はいきなりエディの体を拘束した。とっさのことで、よけることもできずにエディは壁に押しつけられる。 「ちょっと、何をなさいますの? エディは私たちの仲間です。手荒な真似はどうか……!」 「大変申し訳ありませんが、お嬢さん。いまの王都でジールヴェは禁忌なのです。メディス家のお知り合いでなければ、あなた方も拘束しなければならないところです。彼は連れてゆきます。他の者に案内をさせますので、どうかお待ちください」 ジールヴェは禁忌。その言葉に、デルディスはとっさにミュアの顔を隠す。彼女のふわふわとした髪で、ジールヴェに特徴的な耳を隠した。 「僕は、何もしていない! 放して……く」 抗議の声をものともせず、騎士はエディのみぞおちに鋭い一撃をくれた。深い森の瞳が閉じられ、どさりと崩れ落ちる。 「エディ!」 残された三人が上げる声が、かすかにエディの耳に残った。 「寒い。眠い。疲れた。……おなか空いた」 明かりといえばちいさな燭台のみという、いかにもな地下牢。膝を抱えて、エディは呟いた。服に隠した武器はおろか、何を宿しているかわからないと手袋まで取り上げられ、冷たい石牢へと押し込められたのだ。 ゆらりあかりが揺れる。自分の影がそれと共におおきくちいさく壁に映る。寒さと共に襲ってきた孤独感を堪えるように、エディはきつく目をつぶった。 こうやって暗闇の中にいると、忘れ去りたい過去が形を伴って襲ってくる。明かりに照らされ、まるで血に濡れたかのような朱に染まっているだろう自分の両手。それがもたらした滅びの数々。 こころを手に入れる前に、消してきたいのちのかけらが、いまもまだずっと、エディの中に残っている。 「忘れたくても、忘れられないんだろうな……。忘れちゃ、いけないんだろうな……」 たとえこころはなくとも、決して自分の意志ではなかったとしても。自分がなしたことに変わりはない。自分は、道具として多くのいのちをあやめたのだ。 こうやって、こころを持って、普通のひとと同じように暮らしていることに、時々罪悪感を覚える。自分があのとき消さなければ、いまも生きながらえているひとは、たくさんいたはずなのに。彼らはもういないのに、自分はこうしてまだ生きている。 だが。自分はまた、死ぬわけにもいかないのだ。 あやめたいのちへの償いのために、そして自分を闇から救い出してくれた大切なものたちのために。 「どうしようかな……デルたち、心配してるだろうな。いつ出られるんだろう。アルフォークに話して、何とかなってるといいんだけど。……おなか空いたなあ……」 気が付けば、王都へ全力疾走を続けて以来、まともに腹ごしらえをしていなかった。アルフォークの家で、何かしら食べさせてもらうつもりだったのだ。ちいさな音をたてた腹を抱え、エディはぼんやりと石畳、そして鉄格子の上に視線を投げかけた。 だれもいない。明かりに照らされ、椅子が壁に映っている。けれど座っているはずの番人は影すら見えなかった。おおかた、逃げ出さないとでも思って油断しているのだろう。あるいは、王の葬儀でひとが足りないのだろうか。 「……逃げちゃおうかな」 格子の中から、もういちど外をうかがって呟いた。だって、何もしていないのにこれ以上ここに留まる理由なんて、無いではないか。ひとりで納得したエディは、ゆいいつ取り上げられなかった針を靴底から取り出す。 過去、どこにでも進入できることが条件であった暗殺者の技は、いまでも生きていた。 手を伸ばし、鍵穴に近づける。鍵穴に差し込んだ針を、鍵の後ろから耳を澄まして操った。しばらく探っていると、かちり、ちいさな音がする。 「あいた……」 かすかな安堵のため息。格子の扉を押して、外へ出た。燭台を手に持ち、薄暗い地下牢の中、出口を探す。誰かが来る前に、抜け出しておかないと怖いことになりそうだ。そんな危機感を抱いた矢先、とおくからこちらへ向けて駆けてくるような足音が響いた。 あたりには、隠れる場所もない。当然の事ながら、武器もない。あるのは、ここを抜け出すときに使った、頼りない一本の針だけ。絶体絶命の危機なのでは、とエディの顔から血の気が引いた。何もしないよりはまし、ととっさに物陰に隠れる。息を潜めた。気配が闇に消えてゆく。 ジールヴェだから、滅多のことでは見つからない。もしも見つかったなら針で脅すつもりで覚悟を決めた。鍵をあけてしまったことに、少しだけ後悔する。我ながら、間が悪いというか運が悪いというか。 がたん。 重い音をたてて扉が開けられた。同時に駆け込んでくるだれか。 「エディ! どこにいますの?」 「助けに来てやったぞ!」 「遅れました、申し訳ないですっ!」 駆け込んだ三人がみたものは、ぼんやりと揺れるあかりの中、誰もいない地下牢。鉄格子が寂しげに音をたてている。 「誰もいないわ! アルフォーク、ここで間違いないんですの? どこか別の場所では」 「エディは無事なんだろうな」 当然居るはずだと思われた囚われのエディの影すら見えないことで、アルフォークに詰め寄るふたり。 「はい……ここで間違いないです。エディさんはいったい何処に……」 「あの馬鹿、抜け出したんじゃないだろうな」 困り切ったアルフォークの表情を見て、我に返ったデルディスが呟いた。 「……誰が馬鹿だって? ……まあ、抜け出したのには変わりないんだけど」 危機ではなかったことで、物陰からエディがようやく抜け出す。デルディスの言葉に、仏頂面のまま歩み寄った。 「エディ!」 驚きの声を上げた三人は続いて、 「どうして助けに行くのが待てなかったんだ、この馬鹿!」 至極当然な怒りを、きょとんとしているエディへ向けた。 |
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