File.12「騎士」
 

 張りつめた空気があたりを支配する。緑の刃も、やむことはなかった。
 少しでも被害を少なくしようと、ひとつにまとまる。一番弱いミュアを真ん中に、三人で円を形作った。ティアフラムも、見えない彼らを警戒するかのように、中空に浮く。
 両手が自由になったデルディスが、剣に手をかける。傷つきながらも、ファーが体勢を整え、短剣の感触を確かめる。ティアフラムは、エディの解放の声が掛かりさえすればすぐにでも、あたりを焼き払うつもりで封印されてしまっている力を高めようと試みた。
「デルにファー、だめだ。武器から手を離して。ティー、封印を解くつもりはないからなっ」
 三人三様の戦闘準備を背に感じ、エディは制止の声をかけた。金属の匂いに、今にも発火しそうな熱い力。精霊たちを刺激するには十分すぎるほどの威力を持つ。
「ちょっと、この状況で抵抗するなってことですの?」
「馬鹿を言うな、エディ。このままだと、俺たちの命の方が危ないぞ」
「もうっ! あたしだってこのままなんて嫌なんだからねっ」
 
 これまた三人三様の反論を受け、それでもエディは意志を曲げようとしない。
「元はといえばティー、お前の責任なんだからな。今はそういう場合じゃないけど、逃げられたら覚えてろよ。
 デルにファー、何か理由があるはずなんだ。それを知る前に、彼らを刺激するようなことはしたくない。何かあっても、道はあるから」
 それぞれに言葉を返し、最後に意味深げな笑みを浮かべると、エディはなおも攻撃をやめようとしない彼ら、地の精霊に向かった。
 うごめく木の中に、誰か、逃げ遅れた村人だろうか、ひとが閉じこめられているのを見つけ、目を細める。何かがおかしい。
 
「大地を司り、恵みをもたらす偉大なる力。ゆるぎないはずのあなたがたの、ゆらぎの理由を、怒りの理由を教えてください。僕らの声を、どうか聞いてください」
 他の皆の盾になるようにその身を向け、語りかけるエディに興味を惹かれたのだろうか、緑の刃の威力が、少し弱まった。
「村の住人が、この森にはもう住めないと、精霊が見捨てたのだと言っています。そしてこの森の有様。あなたがたの力に、ひとも動物も森全体もなすすべもなく消えていくのみです。
 いったい何があったのですか? このままでは、ひとと精霊の大切な絆さえ……」
 攻撃が弱まり、ほっとして語りかけるエディに、急に木の枝が襲った。
 素早い身のこなしで何とかよけたエディに、怒りに満ちた声が降り注ぐ。
「精霊が見捨てただと? 何をいう! 我らの力のおかげとも知らず豊かに暮らしながら、その恩を忘れ森を、山を、消していったのはお前たちの方ではないか! それだけならまだ、子どもの他愛ないものとして許すことも出来よう。幼い種族なのだからな。
 だが! それだけでは飽きたらず、我らの大切な姫君まで奪いおって!」
 次々に声が重なる。あまりに怒りが強まったせいか、それは高く、低く、波のように、ひとの聞き取れる範囲を超えてエディたちを取り巻いた。
「どういうことです? 姫君とは? 教えてください。あなたがたの一族に、何が起こったんです!」
 精霊たちの怒りが、単に住む場所を奪われたもののそれではないということに気づき、声を張り上げる。
 取り巻く声、襲い来る力。もはや、まともに立っていることすら出来なかった。守られるようにして中にいたミュアが、かすかにおびえたような声を上げ、なすすべもなく様子を見守っていたデルディスにしがみつく。
「もう、我慢できない! 好き勝手されて黙ってるの? 焼き尽くしてやりたいわっ」
 小声でティアフラムがつぶやき、ファーに慌てて止められた。
 
「教える義理など無いわ。私たちの怒りの中へ入ってきてしまったのだもの、もう逃げられない」
「運が悪かったと思って、諦めるんだね」
 重く、精霊の気配がのしかかる。とてつもない勢いで、精霊たちの力が増幅していくのが感じられた。波のように、だんだん大きくなるそれは、エディたちを目標に押し寄せる。
 来る。
 力を感じ、身構えるファー。吹き飛ばされないように薄布にしがみつくティアフラム。守るように抱きしめるデルディスの腕の中、ミュアの瞳が大きく見開かれた。
 挑むような目つきをしたエディだけが、正面を一歩も退かない覚悟でにらみつける。
 
「我が身にながれし風の力を持って、願う! 
 すべてを吹き飛ばし、我らの前へ道をつくれ!」
 その言葉と共に、エディを中心として風が巻き起こる。
 怒り狂った地の精霊によって、すでに森は、他の精霊の力が及ばなくなっていた。だが、メルディースと風の一族によってかけられた守護の力は、それを破る勢いで増幅してゆく。
「メルがいなくても、代わりに守りを残してくれたからね。仕方がないからちょっと乱暴だけど、吹き飛ばして道をつくる」
 力を抑えるのにせいいっぱいで、少しゆがんだ笑顔がデルディスたちに向けられる。成り行きに唖然として、デルディスたちは声も出ない。
「あぶない、うしろ……」
 エディを過ぎて、ひとりだけ周りを見ていたミュアが、何かに気づいた様子でちいさく声を漏らした。つられて、デルディスもファーもティアフラムも、その方向へ視線を向ける。
「エディ、よけろっ!」
「え?」
 デルディスの声に反応し、振り向いたとたん、大剣並に大きな木の枝が自分めがけて襲うのをエディは視線の端でとらえた。続いて、衝撃。
 主を失った風の力が吹き荒れる。木も、大地も区別がつかないほどの力。倒れ込んだエディを中心に、身を低くして固まったデルディスたちの間で、荒れ狂う力を目の当たりにしたミュアが、頭を抱えた。かたかたと震え、涙が止まらない。
 強く風が吹くと、ミュアの周りから音も色も、すべてが消えていった。
 

「ゆらゆらきらめく めぐみの光 きよきながれは けがれを払う
うしなわれし力は みちをとりもどし 消えゆく爪痕は 水面のごとくに」
 かすかに、声が耳に入った。それと共に、意識が覚醒してゆく。全身に負った傷の痛みが、ひいてゆくのがわかった。誰かが、癒しの力を込めて歌っている。
「う……ん。誰……?」
 頭の中がもやもやとして、正常な思考が紡げない。思わず漏らしたエディの声に、歌がやんだ。
「目が覚めましたのね、エディ」
 日差しに金の光がきらめく。のぞき込んだのはファー。歌と同じ、こころに染みいる声だ。
 森なのに、やけに明るいと視線をさまよわせた。暗い森の中なら、彼女の髪がこんなに輝くわけはない。上を向くと――青い空がぽっかりと、ファーの向こうに空いていた。森の緑は、かけらも見えない。
「ここはどこ!? ……痛っ……」
「まだしっかり傷がふさがっていないのよ。動いてはだめ。ここは森よ。さっきと場所は変わりませんわ。あなたが喚んだ風と、それから……どう言えばいいのかしらね、ミュアの……力のおかげで精霊たちは消えてしまったの」
 飛び起きて、傷みのせいでうずくまったエディをふたたび横たえながら、ファーが語った。かすかに光る薄布を手に、傷ついたエディの体を手で撫でる。
「ミュアの……?」
 自分を癒す力に身を任せながら、エディが声を返す。同じジールヴェであるらしい彼女には、あの窮地を抜け出せるほどの力を持っているとは考えられなかった。
「そうよ、ミュア。あなたが倒れたあとすぐに、ミュアを中心に、すべての力が消えていったの。押し寄せていた精霊も、それで吹き飛ばされてしまったみたい。
 デルディスがね、自分が助けられたときと同じって言っていたわ。あのときも、襲ってきたジールヴェがすべて、力を奪われたように吹き飛ばされたって」
 さあ、これでいいわね、と続け、ファーがエディの胸をぽん、と叩いた。
「無茶はするなっていっておきながら、あなたが一番無茶をするんですものね。傷は全部塞いでないから、しばらくは痛い思いをしてなさい」
 
「ミュア……本当に、何者なんだろうね」
 ようやく動けるようになり、身を起こしたエディがひとりごちる。
「……でも、ミュア自身は怯えて、何がなんだかわかっていないみたいだったわ。聞いてもだめ。今は疲れて、眠っているのですけれど……」
 声を聞いたファーが答えた。彼女の視線の先には、デルディスの肩衣にくるまれ、眠っているミュアがいる。力を使い果たし、疲れ切った表情だ。
「ともかく、デルディスは暫く、ミュアには何も聞かないでおきましょうって。わたくしも同じ意見よ」
 エディも、それに反対する理由はなかった。こんなに小さい子どもが、怯えて力を制御できていないのなら、それは何か理由があるはずなのだ。逃げ出せなかった幼い頃の、暗い記憶が疼く。
「おーい、エディの奴、起きたか?」
 とおくから、デルディスの声が聞こえた。どこかへ行っていたらしい。
「世話の焼ける奴っ!」
 ティアフラムの声も聞こえる。表情がまるで目に浮かぶかのようなそれに、いつか仕返ししてやる、とエディはこころの中で呟いた。
 
「ええ、ようやくエディ、目覚めましたわ。……まあ、デル、背中にいる方は?」
 戻ってきたデルディスに、誰かが背負われていた。腰に佩いた剣が、デルディスのものと重なって、かちゃかちゃと音をたてている。村人ではない。服も上等のものだった。
「誰かが居ないかと探していたんだが……木々に塞がれていた道の先で、彼だけをようやく見つけられたんだ。服から察するに……多分、王都の騎士か何かだろう。何でこんな所にいたかは疑問なんだが……」
 重たげに、その騎士のような男を横たえる。傷は負っていない。気を失っているだけのようだった。

 

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