File.11「守護者の叛乱」


 村人一行を呆然と見送ったあと、改めてエディは森の奥の気配を探った。深い色の瞳が一瞬きつくなり、そのあと光を無くす。彼の身のうちに眠る風の力が、彼の意識をとおくへ飛ばした。
 
 ――視えたものは、この世ならぬ風景。
 ――聴こえたものは、木々と大地の形を借りた、精霊の声。
 
 ゆらめく木々は、ざわざわと枝を鳴らし、泉の水がおびえて逃げ出すほど、大地はその形を留めることなく震えている。空間がどことなくゆがんでみえる。闇の底に引きずり込まれてしまいそうなほどの、なにか。
 そこから感じ取れるのはただ、『憎悪』のこころ。
 
 普段穏やかで知られる大地の恵み司る彼らが、ここまで怒り狂っていることが、エディは信じられなかった。もはや、森に棲む動物たちの声も、翻弄される植物たちの声も、そして心配して様子を見に来た、他種族の精霊たちの声にさえも、彼らには聞こえていないようだった。
 
『誰だ!』
 エディが視ていることに気づいたのか、鋭い声と力が飛んだ。一瞬にして、吹き飛ばされるようにエディは体に引き戻される。くずおれかけた体を、デルディスが支えた。
 ありがとうと一言告げて、体をおこす。心配げな眼差しを感じ、何でもないとのぞき込むみんなに笑いかけた。
「森の奥の気配を探ってみたんだ。さっきの村人たちも、精霊がどうとかっていってたよね? だから、気になったんだ。先に進む訳なんだし、何があるかわかった方が危険は少ないと思って」
 勝手に無茶をしたらしいエディに、デルディスとファーは苦笑を漏らす。誰にも何も言わずに、時々こんな暴挙に走るのだ。どんなに危険なことか、まったく自覚がないらしい。いくら言っても、自覚がないのだからどうしようもなかった。
 デルディスに軽くこづかれた頭をさすり、口を尖らせながら、エディは今、視てきた出来事を語った。
 
「この森の奥、もう、ひとがいられるような場所じゃなくなってた。木がまるで動物のようにうごめいてるし、大地もひっきりなしに揺れてるんだ。ひとがいたって形跡もまったくなかった。
 ……引き返した方がいいかもしれない。精霊たちがとても怒っているんだ。理由はわからないんだけど。でも、精霊たちの力で、一気にここまで引き戻されちゃったんだから、相当すごいんだと思う」
 重苦しいほどのざわめきが森から放たれる。エディはそれに顔をしかめ、表情に深刻なものを忍ばせた。ここまで怒り狂った彼らを、もし止められるものがいたとしたなら、それは彼らの長以外にありえない。
 
「引き返すって、じゃあ、あたしはいったいどうなるのよ!」
 エディの言葉に、ティアフラムがいきり立つ。彼女も、この森に流れるおかしな気配に気がついてはいたが、それは彼女にとってはどうでも良いことだった。ひとの形をとれるほどの彼女にとって、この森に生きる精霊たちなど、下位の、とるに足らない存在でしかない。
 それよりもティアフラムは、一刻も早く自由になりたかった。
「別の道を探すしかないと思う。やっぱり山越えかな。ある程度道は開けてるからこっちほど危険はないと思うけど」
 荷物から引っ張り出した地図を広げて、デイアベル山の方を指す。ここから道を引き返しても、そうはかからない距離のはずだ。
 
「でも、気になりませんの、エディ? そんなに精霊たちが怒っている事なんて、滅多にないのでしょう。何かが起こっているのではなくて?」
 森の奥に潜む不穏な雰囲気に目を細め、それでも興味津々といった体のファーが、首を傾げる。ここで引き返しては面白くないじゃない、と言っているようにも感じた。
「そりゃあ……気になるけど、今そこへ行ったらきっと、命の保証は出来ないよ。高位の精霊たちはいないけど、それでも凄まじい力が働いてる。制御されてない力が吹き荒れてる。危険だよ」
 あの場に赴いたらどうなるのか。先ほどの光景を思い描き、身をすくませる。
「なあにようっ! 下位の精霊たちならいいじゃない。もしもの時にはあたしが燃やしちゃえば、きっと怯んで手出しなんかしないと思うわ。それでいいじゃない。いくじなしっ」
 ティアフラムの容赦ない一言が飛んできて、エディの眉が跳ね上がった。また無茶なことを言い出したといわんばかりの表情になる。
「燃やす、だって? 本気かお前。そんな事したら高位の精霊まで怒り出すぞ。そうなればここから死ぬまで出られなくなる。精霊だって例外じゃないぞ。それぐらい、精霊のお前の方が良くわかってるんじゃないか?」
 精霊は、自らの一族、愛するものに危機が及んだときの報復が恐ろしい。たとえ同じ精霊であっても、その厳しい裁きからは逃れる事は出来ない。最悪、その存在すら消されてしまうほどに厳しい、逃れ得ぬものなのだ。
 鋭い眼差しを向けられ、一瞬ティアフラムが怯む。けれどやはり納得がいかない様子で、何か言い返す言葉がないかと瞳を巡らせた。何か、一瞬で立場を逆転させられるような、強烈な言葉を。
 微妙な沈黙の時間が流れた。デルディスに抱えられたままのミュアが、首を傾げる。なんだか、急にわあわあ言い争ったり黙り込んだり、訳がわからないといった雰囲気だ。
「……いくじなし?」
 ティアフラム、と言われている、赤い小人が言った言葉が、妙に頭に残って、響きが面白くて。ぽつり、と呟いた。意味など、わかるはずもない。けれど、妙に静かなそこに、少女の声は良く響いた。エディに再起不能なまでのダメージを与えるきっかけを作れるほど。
 

「ああわかったよっ! 行けばいいんだろう行けばっ! どうなったって知らないからなっ」
 ミュアの一言に触発され、ティアフラムが勝ち誇ったようにその言葉を引き継いだ。ミュアに言われるなど想像もしていなかったエディは、予想以上の衝撃を受けたせいでティアフラムに反論する気力さえなくして。どこかが音をたてて切れたのだろう、開き直って森の中を突き進んでいた。
 道なりに進むにつれ、かつて道であっただろう所は細くなっていき、ついには草に隠れて見えなくなった。この先にはいくつも村があるはずのに、である。
 草をかき分け、さらに進んだが、それも大きな木々が立ち並ぶようになると先へ進むのは不可能になった。木々の合間から、板やら車やら、ひとの生活の残骸がのぞいている。破片の切り口も新しいもので、本当につい最近、うち捨てられたか破壊されたかしたのだろう、そんな雰囲気だった。
 
「行き止まり、だね。この先にも道はあるはずだし、村もあるはずなんだけどこれ以上は進めないよ」
 これで文句はないだろうとティアフラムの方を振り向く。ティアフラムは腕組みをしたままふわりと漂い、頬を膨らませていた。いかにも納得がいかないという様子である。
「大体、何で精霊たちが、自分たちの守るべき森をこんな風に変えちゃうのよ。どんな事があったって、自分の思い通りに世界を変えちゃいけないのよ。それが力ある精霊、守護者たるものの義務なんだから」
 自分の犯した罪を棚に上げて、と冷たい視線が彼女に突き刺さる。だが彼女はそれに構わず、その炎を映した髪を揺らめかせ、森に挑んだ。
「文句があるなら出てきなさいよっ! 聞いてたんでしょ今の話っ! 大人しく出てこないと燃やしちゃうんだからね! あたしはあなたたちよりも高位の精霊なんだから、それぐらい簡単なのよっ」
「うわ馬鹿、ティー、やめろっ」
 止める暇もあらばこそ、ティアフラムは森に指を突きつけ、あらん限りの大声でそう叫び、そそくさとファーのかげに隠れる。
 隠れながらもふふん、と得意げにエディを見やった。彼女に向け、思いつく限りの罵倒の言葉を投げかけたくなる。思わず口を開きかけたが、森の奥からとてつもない力を持つものたちが襲い来るのを感じ、慌てて身構えた。
 
「何かあったらお前のせいだからなっ」
 まだファーの後ろにいるティアフラムに向け、そう怒鳴る。
「呼んだのはあたしだけど、それからどうなろうとあたし、知らないもん。召喚士ならどーにかしたら? それ位できるでしょっ」
 相変わらずの憎まれ口に、もう我慢がならないと口を開く、と。
 あたり一面が緑に染まった。続けて、細かい何かが体に次々と刃のように襲ってくる。目を開けていられないほどだった。
 まったく身構えていなかったデルディスが、ミュアごと吹き飛ばされそうになり、少女を守りつつしゃがみ込む。肌をさらしているファーが、薄布で身をかばい、それでも鋭く斬りつけられ、悲鳴をあげた。長い髪も、金の糸となって飛んでゆく。
「きゃあっ! 何ですのこれ! ナイフみたい……これは、葉?」


「直ちに立ち去れ。さもなくば我らは、お前らに何をするかわからぬぞ!」
 互いをかばおうと身を寄せ合った一行に、大きな声が響いた。
「ジールヴェが居るわ。私たちの姫君を、悲しみに追いやった哀れなかけらたち」
「我らの住む場所を奪った人間も居るぞ。どんなに憎んでも憎み切れぬ奴らよ」
「憎いわ、本当に。ねえ、閉じこめてやりましょう。わたくしたちの姫君のおこころが休まるように」
「いっそ、僕らの糧にすればいいよ」
 集まりだした、目には見えない存在たちが、口々にそう叫ぶのが聞こえた。

 

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