解けない糸
ある日、女神は恋をした。叶うはずのない、想いだった。なぜなら恋の相手は他の女神の従者。従者は、身も心も、女神に捧げなければならないさだめだから。力か弱き人間の少年、女神の足元にも及ばぬものなのに。永遠に、彼女の手には届かない。
女神は仲間の中でも、まだ年若い、ほんの少女だった。悩みに悩んで、自分の仕事を忘れてしまうほど。異変に気づいた姉代わりの女神が、女神を優しく慰めた。
愛しい妹 何があったの?
その花のかんばせを そのように曇らせて
あなたの通る道にはいつも花が咲いていたというのに
いまはもう 見る影もない
さぁ 可愛いあなた 笑って頂戴
その司る愛の力を 世界に届けて
優しく語る姉女神。けれど、よりにも寄って少年は、その女神の従者。どうにもならぬ想いに、女神はひとり、泣き崩れる。
姉様 姉様 いいのです
わたくしのことなど どうぞ放っておいて
どうせ叶わぬ想いですもの 花が散るとともに消えましょう
愛しいあの人に 触れること叶わぬなら
永遠の眠りの海に 力もろとも沈めてしまいましょう
にどと めざめてしまわぬように
それでも、女神は少年を想い続ける。
仕事を忘れ、歌うを忘れ。
ただただ、愛しい少年を追い続ける。
女神の想いは増すばかり。
その想いに、少年も、いつしか囚われるようになっていった。
哀しい視線に見つめられて、か弱き小鳥を、守らずにはいられなくなる。
これは罪 けれど けれど
あなたのこの手を放すなら 私の命を捨てましょう
それほどまでに 私はあなたの虜
可愛いひと どうか
私のために 笑ってください
想いは隠せどあらわれるもの。
隠せば隠すほど、闇の中の光のように、浮かび上がってくるもの。
秘密の想いは、とうとう、皆の知るところになる。
私たちの娘 これはどういうことだ?
すべての人への愛を忘れ ただひとりに想いを注ぐとは
しかもそやつは そなたのものではないではないか
さあ 今なら許そう
帰っておいで 可愛い娘
もういちど 世界へ心を向けて
女神はそう、問いつめられても、涙ながらに説得されても。
少年の手を放そうとしなかった。
少年もまた、愛しい可愛いひとを守るように神々の前に立ちはだかる。
それならわたくしは この世界を捨てましょう
叶わぬ想いを抱えて 此処でなど生きてゆけませぬ
永遠の命などいらない ただ欲しいのは この方だけ
必ず巡り会えるように その手に糸を結んで
わたくしはこの世界を捨てましょう
女神の決意に神々は息をのむ。
可愛い一番年若な女神に、このような決断ができようとは。
神の長はため息をつく。この娘の意志は、もう動きようがない。
可愛い娘よ それでも
掟を破ることはできぬ
もしもそなたが この世界を捨てるなら
そなたは責めを 負わねばならぬ
そやつとたとえ結ばれても ともにねむることはかなわぬ
どちらかが死の眠りにつくときには そのどちらかが
違う世界へ わたることになるだろう
それまでの記憶を すべて無くして
自分が誰かも わからずに
けれど、その説得の言葉さえもふたりには通じなかった。
互いの瞳を見つめ、他のものは目に入らない。
たとえ世界は違うとも 必ず巡り会ってみせましょう
なぜならわたくしは 愛の女神
その想いは 世界を越えましょう
哀しき死は 永遠の別れではなく
次の世界へとわたるための 喜びに変わるでしょう
たとえ記憶が消えたとしても この想いだけは
何があろうと 永遠に変わりませぬ
そうしてふたりは、手に手を取って。
決して解けない水晶の糸で互いを結んで、鳥のように飛び立った。
いまでも ふたりは
どこかの世界で どこかの場所で
水晶の糸に導かれ ふたたび
きっときっと 恋をする
Fin.