Episode 1 「ブルーローズ」


「さて、と、後は焼くだけね」
 シェルター内、リアリィの私室、備え付けられたキッチンにて。他愛もない歌など口ずさみつつ、リアリィはうきうきとクッキーの載った天板をオーブンの中にいれる。時間を合わせて、忘れないようにと小さなベルもセットした。
誰が食べると決まったわけではないのだけれど、リアリィは心をこめて作ったお菓子達を食べて、大切な人たちが笑顔になってくれる、それが大好きだった。だから、何かにつけてお菓子を作る。
 今度は、誰のところにもっていこうかしら、と色々と想像をめぐらせ、楽しくなってしまう。
 暫くして、リアリィの部屋から、えもいわれぬ香ばしい、美味しそうな香りが漂ってきた。


 ポーン。
 軽やかなチャイムの音がした。そろそろかしらと、オーブンの前にいたリアリィは、慌ててドアのほうへと駆けて行き、相手が誰かを確かめる。
「まぁまぁ、アキ。どうなさったの?」
 ドアの前にいたのは、シェルター管理者、アキ。開けられたドアの前で、少し気恥ずかしそうに笑った。
「美味しそうな香りに誘われて……ね。それにちょっと仕事から逃げ出していてね」
「まぁ……アキでも、そんな事があるのね」
 くすっ。笑いながらリアリィは、アキを部屋の中に迎え入れた。
「本来なら、女性の部屋に一人ではいるというのは遠慮すべきことなのだけれど……すまないね」
「ふふ、内緒……ね?」
「お願いするよ」
「今日はクッキーなの。良かったらお茶も一緒にどうぞ。とっておきのリーフ、あけてしまおうかしら」
 予想外の訪問者に、驚いたけれど、こういう時間も楽しいものだった。二客分のティーカップに綺麗な色の紅茶を入れて、即席のお茶会の席の準備ができた。
「ありがとう、ではいただくよ」


「どうなさったの、アキ。あなたが仕事から逃げ出すなんて、珍しい」
 責任感の強いアキなのに、仕事中にこんなところまで来るなんて。そう言いたげに、お茶を飲んで人心地ついたらしいアキに、視線を向ける。当のアキは、肩をすくめて苦笑するばかり。
「ちょっとね」
 余り喋りたがらないアキに、とりあえず微笑んで、これ以上なにも言わないでおく。
 喋りたくなるまで待つのが、リアリィの常なのだ。
「さ、まだ召し上がる?どなたかに見つかる前に、食べてしまわなければ」
ティーカップを掲げて、おどけたようにまた微笑んだ。

「実はね、少し行き詰まってしまった事があってね。そればかり考えていると、ますます深みにはまっていきそうだし、どうしたものかと思ってね」
 暫くして、気が緩んだせいなのか、リアリィの微笑みに負けたせいなのか、ぽつぽつとアキが話しはじめる。
「まあ、そうなの……」
 一度話し始めてしまうと、もう躊躇うこともなく。聞き上手のリアリィのせいか、どんどんと心の内を話してしまう。
「やっぱり、管理者って大変なのね」
 ふわりとまたほほえむ。聞くことしかできないとわかっているから、すべてを受け入れるような笑顔。
「そうかな、私は、君の仕事もなかなか大変だなと思うのだけれど。私はどうも、子どもの扱いというのに慣れてなくてね。それに、教育エリアはこれから子どもたちがどう歩むかに関わる仕事だし」
「あら、私は楽しいわ。だって、子どもたちを見守っていくのはとても楽しいことだし、好きなんですもの。辛いことがあっても、みんなの笑顔を見たら、忘れてしまいそう」
 好きなことをやれるのは、幸せよね、とリアリィは言う。
「だからね、堅く考えるのは少し控えめにしたらいかが?あなたって、まじめすぎるから」
 アキは、ゆっくり紅茶を口に運ぶと、ふう、一息ゆっくり息を吐いた。立場上仕方ないとはいえ、確かに自分は、まじめすぎるのかもしれない。
「そう言う考えも、あるのだね。私は少し、思い詰めすぎるのかもしれないな」
口の端に浮かぶ苦笑。前々から気にしてはいたのだが、こうもはっきりと指摘されるとは思わなかった。
「……君は、なんだか母親みたいだね」
 つい、そんな言葉が漏れた。幼子を見守る、聖母のようなほほえみがそう思わせたのかもしれない。
 その言葉を聞いたとたん、まぁ、とリアリィは目を見開く。
「アキ、私、あなたより8つも年下なのよ?そんなことおっしゃるなんて、おかしいわ?」
 じっ。見上げられてしどろもどろになってしまう。
「あ、いやまぁ、そうなのだけれど、その……」
 狼狽えるアキの姿に、とうとうリアリィは、声を上げて笑い出してしまった。
 笑い出すリアリィのそばで、あわてたアキは何か言い繕おうと辺りを見回す。ふと、青い光が目に入った。


「……あれは?」
 部屋の奥。柔らかく青い光が漏れている。おかしくて、目ににじんてきた涙を拭いながら、光に気づいたリアリィが、立ち上がりそれを持ってきて、テーブルの上へと置く。
 透明なガラスのドームに浮かんだそれは、青いバラのホログラム。
「……またずいぶんと、凝った品だね……」
 有り得ない青の光に魅せられたように呟く。昔から、青いバラを作ろうと多くの者たちが奮闘していたのは知っていたし、何度か青いバラだという物を見たこともあったが、それはどちらかと言えばラヴェンダー色と言うべきもので。こんなに青いバラを見るのは初めてだった。ホログラムならではの、儚い美。
「私がね、外の世界から唯一持ってきた物なの。お気に入りだったから」
 幻のバラは、ガラスの中でくるくると踊り、光を散らす。
「……まるで私たちみたい」
 光に誘われて、リアリィがそんな言葉を漏らした。


「私たちに?何故?」
「可能性の象徴。多くの夢を秘めた、いつか叶うことの形みたい」
 その言葉に、アキは少し、考える顔をする。確か青いバラは、不可能の象徴だった。それを言うと、リアリィも知っていると答えたけれど。
「不可能ではなくて、私たちがまだ見つけていないだけよ。そう考えた方が、楽しいわ?いつか叶う夢を見ている途中なの。……ほら、私たちと同じでしょう?」
 卵の中で、夢見るこころ。
 いつか、きっと、目覚めるために。
「そうだね……」


 ポーンッ
 ふたりして、時間も忘れバラに見入っていたとき。
 心なしか慌てたようなチャイムの音がリアリィの部屋に響いた。
『リアリィ、アキがいないの!知らない?』
「まあ、ショウ!」
 現実に戻り、急いでドアを開ける。
「リアリィ!」
 ドアが開くのももどかしいという風に、慌てたショウが部屋に駆け込んでくる。
「アキ、どこかに消えちゃって。こっちで見たって人がいたから来てみたんだけれど、何処にもいないのっ」
 すぐそばにいるアキが見えないくらい、よほど慌てているようだ。しまったという顔をして、アキがそばによる。
「ショウ、私ならここだよ」
 混乱した表情のショウは、一瞬じっとアキの顔を見つめると。
「……何処に行ってたんですかーーっ」
 安堵のせいなのか、一気に床にへたり込んだ。


「済まないね」
「いいえ、また息抜きにでもいらして?今度はショウや他の方も一緒にね。心配かけないでね?」
「アキ、みんな探してます。早く行かなきゃ!ごめんなさいリアリィ、迷惑かけちゃって」
「いいのよ。でもショウのアキを探す力って、一種の才能よね」
 この広いシェルターの中、慌てているとはいえちゃんとアキの居場所を見つけ出せたのだし。そうほほえむと、ショウは真っ赤になって首を振った。
「な……何いってるのリアリィったら!」
 そのまま、アキを引きずるようにして去っていこうとする。
「こらこらショウ、もう消えたりしないから落ち着いてくれ。……それじゃあ、ありがとう、リア。……行こうか」
「どういたしまして、アキ」
 軽く手を振って見送る。
 ふたりの姿が小さくなりかけたとき、今更ながらアキが自分のことを「リア」と呼んだことに気づく。少しはまじめを廃業するつもりなのかしら。そんな風に思い、くすくすと肩をふるわせる。


 消えていくショウとアキを見守るリアリィ、その後ろで。
 青いバラが静かにさざめくように光を放った。